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東京スカイツリーは、江戸と東京の歴史を一望するタイムマシンだ!
»2012年4月30日
高瀬文人の「精密な空論」
東京スカイツリーは、江戸と東京の歴史を一望するタイムマシンだ!
フリーランスのライター/編集者/書籍プロデューサー。 月刊総合誌や『東京人』などに事件からまちの話題、マニアックなテーマまで記事を発表。生命保険会社PR誌の企画制作や単行本の編集も行う。著書に鉄道と地方の再生に生きる鉄道マンの半生を描いたヒューマンドキュメント『鉄道技術者 白井昭』(平凡社、第38回交通図書賞奨励賞)、ボランティアで行っているアドバイスの経験から生まれた『1点差で勝ち抜く就活術』(坂田二郎との共著、平凡社新書)、『ひと目でわかる六法入門』(三省堂編修所、三省堂)の企画・制作。
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東京スカイツリー開業まで、あと22日(4月30日現在)。
先日、それに先駆け行われたプレス公開に、月刊『東京人』編集部のご厚意で参加してきた。
現在発売中の同誌5月号は「タワー」特集。展望台からの眺望ガイド「展望台から一望!江戸東京歴史パノラマ」、設計・施工・運営の苦労話を紹介する「東京スカイツリー、作ってみたらこうだった」という2本の記事を書いている。スカイツリーだけではなく、古今東西の塔を取り上げ、あらゆる面から「人はなぜ高いところに上りたがるのか」「人はなぜ塔を作りたがるのか」を考える面白い特集なので、ぜひごらんください。
まず、一気に展望台まで上がってしまおう。
内部に桜、祭り、花火、都鳥の四季折々の情景をイメージした装飾が施された「天望シャトル」と名付けられた東芝製のエレベーターは、分速600メートル、50秒で地上350メートルの第一展望台「天望デッキ」まで運んでくれる。
天望シャトルのドアが開くと、そこは江戸と東京が交錯する世界だ。
いままで未体験の視点。まるでヘリコプターに乗って空撮しているよう。そして、この俯瞰する視点は絵巻物と同じ光景が眼下に展開する。
東京の街区がすべて足下に見渡せる。これは、東京タワーや六本木ヒルズで得られなかった眺望だ。
そして両者が、東京の台地上からの----つまり江戸の武家屋敷の眺望であるのに対し、スカイツリーは町人文化の視点から江戸を眺められるのが大きな特長だ。
まず、南側の眺望を見てみよう。
碁盤の目のような街区が眼下に展開する。
スカイツリーのすぐ南側を流れる北十間側より南側の本所・深川地域は、江戸時代中期以降、江戸の広がりとともに開発された。本所や両国は武家屋敷や(吉良上野介邸も!)蔵町、深川は海を控えた漁師町や船大工で賑わう町人町として栄えた。縦横に走る運河がその風情を残し、「木場」と呼ばれる貯木場の跡は公園になっている。
歩いているとなかなかわからない、街のルーツが一目瞭然なのだ。
そして、一番向こうには、これも完成したばかりの東京ゲートブリッジの姿が(写真にも写っている)。これも見逃せない。
北側に回ってみると、隅田川上流や荒川を眺めることができる。隅田川の流れは明治期になって現在のルートに整えられ、荒川は明治後半から大正初めにかけて、隅田川の洪水防止のために人工的に掘られた川だ。明治期のこれらの工事が、現代の東京を作っている。東京の、もうひとつのルートである。隅田川にかかる橋も、上流から一番南側の相生橋まで、ほとんどすべてを眺めることができる。これは、主に昭和初期の関東大震災復興事業で作り上げられた景観だ。
さて、気になるのは東京都心方向の眺めだろう。
プレス公開の日は天気が悪く、視程がとても悪かったが、浅草、上野、池袋、新宿を一望のもとに見渡すことができる。
面白いのは、霞ヶ関から永田町につながる官庁・政治の街の地形がはっきりわかることだ。
なんと国会議事堂が、一段と高い台地の上に建っているさまが真正面に見える。
高いビルのなかった頃は、おそらく東京の低いところからも見えたのだろう。新鮮な眺めだ。
江戸から明治・大正・昭和・平成に至る東京へ。スカイツリーが与えてくれる新しい眺望の価値は、はかりしれない。