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東京スカイツリーから得られる「絵巻物」の眺め。それは、現代の「物見遊山」だ!
»2012年5月 2日
高瀬文人の「精密な空論」
東京スカイツリーから得られる「絵巻物」の眺め。それは、現代の「物見遊山」だ!
フリーランスのライター/編集者/書籍プロデューサー。 月刊総合誌や『東京人』などに事件からまちの話題、マニアックなテーマまで記事を発表。生命保険会社PR誌の企画制作や単行本の編集も行う。著書に鉄道と地方の再生に生きる鉄道マンの半生を描いたヒューマンドキュメント『鉄道技術者 白井昭』(平凡社、第38回交通図書賞奨励賞)、ボランティアで行っているアドバイスの経験から生まれた『1点差で勝ち抜く就活術』(坂田二郎との共著、平凡社新書)、『ひと目でわかる六法入門』(三省堂編修所、三省堂)の企画・制作。
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東京スカイツリー開業まで、あと20日(5月2日現在)。
巨大な建築物は、それ自体が何かの思想を見る者に伝え、街のありかたを決めてしまう。「命令している」と言っていいほど、その力は強い。だから、巨大建築を手がける建築家は社会的な権力性を帯びることになる。丹下健三設計の東京都庁舎、と例を挙げれば、イメージできるだろうか。
2003年に六本木ヒルズが開業したとき、デベロッパーの森ビルは1000分の1縮尺で東京都心・湾岸部を再現した巨大な模型を展示して、世をあっと言わせた。巨大な超高層ビルや大規模開発が、東京自体にどんな影響を与えるのか。「わが社はそれを十分理解し、検討する。開発とはそういうものだ」と、森ビルは模型を通して語っているのだ。
ところで、「タワー」は、その並外れた高さのせいで、そのような「命令調」とは別の印象を与えることのできる建造物である。
大阪万博での、岡本太郎による「太陽の塔」の提案。丹下健三がプロデュースした「お祭り広場」の大屋根を突き破り、上に伸ばすデザインを岡本が提案したのは、巨大建築による「命令」への反逆であったと読むことができる。実際に、プロジェクトには一触即発の緊張状態がもたらされたという。
東京スカイツリーはどうだろうか。
その外観は、三本の脚から上方に行くにつれて円形になる形状であり、三角形→丸にしだいに変化していく三次元曲面を描いている。その要件を利用して、鋼管製の鉄骨は、根元から上に向かっては日本刀の曲線にヒントを得た「そり」を、上部では、中世の寺社の柱に見られる膨らんだ形状「むくり」を表現、三次元曲面で設計・組立することが要求され、「人間の手では設計しきれない」(慶伊道夫日建設計技師長)ほど複雑な設計となった。このあたりの苦労話は『東京人』5月号に書いたので、読んでくださいね。
これにより、見る角度から印象の異なる----東京のさまざまなところから、それぞれ違った印象を受ける塔というデザインとして、見る者とのインタラクションを生じさせることになった。つまり、見る者の「解釈」をはさむことができ、そうすると景観の中での圧迫感がだいぶ軽減される、非常に巧みなデザインだということができる。
そして、スカイツリー内部の展示にも、そのあり方についてのメッセージが込められている。
スカイツリーに上るためのエレベーター「天望シャトル」のエントランスは4階にあり、個人客はここから入るようになっているが、1階には団体用エントランスが設けられている。おそらく待ち時間が発生するのを想定しているのだろう、展示にはさまざまな工夫が凝らされている。
その中でも圧倒的で目を奪われるのが、「隅田川デジタル絵巻」だ。
東京湾岸から隅田川を遡ってスカイツリー、さらに隅田川上流までに至る東京の街を、絵巻物の視点=上空から見た姿を精密に描いている。漫画的なデフォルメが施されてはいるが、東京駅、秋葉原など、ランドマークはそれらしく描かれていて、それらを見つける楽しみは、タワーから自分の知っている風景を探すのとまた違ったおもしろさがある。
なぜ、「デジタル絵巻」なのか。
45メートルの長さにわたるこの壁画の中央部には、大型モニターが仕込まれている。
なんと、壁画がアニメーションになっていて、電車や車が走り、人が歩き、隅田川には船が行き交う。「生きた都市」の姿が活写されているのである。
さらに目を凝らすと、壁画には異次元の空間が生まれている。街の中にはビルの大きさほどの力士や大奴をはじめ、さまざまな「隠れアイテム」がある。あまりネタばらしすると面白くないので紹介はこれくらいにしておくが、ぜひ1階にも回ってみることをおすすめしたい。
この巨大壁画の画家名は公開されていないが、江戸と東京、時空を超えた事物をひとつの画面の中に混在させ、モダンなビルや電車に瓦屋根を載せたりする超日本画ともいえる画風をもち、日本橋三越新館オープンのポスターや広告で知られる「あの人」ではないかと思われる。
「天望シャトル」で第一展望台「天望デッキ」に上がると、ここにも大きな屏風絵が展示されている。
鍬形恵斎(くわがたけいさい)が江戸時代後期に描いた「江戸一目図屏風」(えどいちもくずびょうぶ)。江戸の風物をリアルに描き、スカイツリーからの視点に近いといわれている。絵巻物より引いてはいるが、やはり俯瞰の視点であり、山に登って描けるアングルではない。
ガラスに封入されて立てられているので、まるでそれ自体が浮遊しているようにも見える。さらに、雨天時にはパノラマスクリーンで、屏風絵の世界が動く演出が施されるという。つまり、時を超えて、1階の「隅田川デジタル絵巻」とコンセプトが交錯するのだ。
絵巻物のルーツは平安時代にある。現代で言えば「空撮」のアングルだが、タワーやヘリコプターのない時代になぜ、脈々と描き続けられたのだろうか。
俯瞰のアングルは、「何が起こっているのか」を知るにはうってつけだ。絵師は、その当時ありえない俯瞰の視点をつかみ、地上を歩き回って得た情報を俯瞰図に落とし込む。俯瞰図の情報量は、普通の構図の絵よりも多くなる。いろいろなことが同時に起こっている世の中を一望できる。俯瞰図は、人間の好奇心に忠実に描いた結果----たとえば、大図書館とか、分厚いマンガ雑誌とか、情報が集積しているさまへの憧れ、つまりメディア性----を表し、また、そのようなものを備えているのが都市だと言っているのではないだろうか。
おそらく絵巻物の視点は日本独特のものだが、そのような視点を好むのは日本人だけではない。
古今東西、人は高いところや塔を作って「物見遊山」してきたからである。(江戸東京博物館で6日まで開催されている「ザ・タワー展」は、貴重な視座を提供してくれる。終了後、大阪に巡回するそうである)
だから、スカイツリーのコンセプトは「現代の物見遊山」であると私は思う。
それでいいのだ。