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書評:『わたしの名は赤』

書評:『わたしの名は赤』

出口 治明

ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。

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book01.jpgわたしの名は赤』(ハヤカワepi文庫)  
オルハン パムク (著), Orhan Pamuk (原著), 宮下 遼 (翻訳)

 2020年のオリンピック招致を巡って、名乗りをあげた東京の最大のライバル都市は、どうやらトルコのイスタンブールであるらしい。何度か訪れたことがあるが、ボスポラス海峡から眺める夕暮れのイスタンブールのシルエットは、間違いなく世界で最も美しい光景の1つであろう。
 ところで、トルコと言えばトルコ料理やトルコ絨毯、ハマーム(公衆浴場)などが連想されようが、実は、世紀を代表する世界で最も有名な作家の1人がトルコで活躍していることはあまり知られていない。

 『わたしの名は赤』は、2006年にノーベル文学賞を受賞したイスタンブール在住のその作家、オルハン・パムクの代表作である。
 時は、1591年、雪のイスタンブールでの9日間の出来事が綴られている。冒頭に死体が置かれている。被害者は著名な宮廷の細密画師。そして犯人は、仲間の、やはり著名な細密画師であるらしい。そう、これは、まずミステリー小説なのだ。しかし、それだけではない。若い男女の恋愛小説でもあるのだ。主人公のカラと若い寡婦シェキュレの純情と恋の駆け引きは、2人の心理描写の冴えもあって、ぐいぐいと物語世界に引き込まれてしまう。さらに、イスタンブールは、世界で唯一のアジアとヨーロッパにまたがる都市であるが、絵画を題材にした東西の文明間の食い違いが興味をそそる。ルネサンスを経て成熟したヴェネツィアの絵画と、遠くモンゴル時代の中国に淵源を持ちペルシアで大成した細密画がイスタンブールで出会った時に何が起こったのか、それがこの物語の背景をなす。

 それだけではない。既に、イスラム原理主義者が登場しているし、喫茶店の祖形となったコーヒーハウスも顔を出す。1591年と言えば、秀吉が全国を統一した翌年に当たる。それほど古い昔の物語であり、難解な固有名詞などもふんだんに出てくるものの、一気に読ませる筆力は並みのものではない。

 これを読んだ人は、きっと、当時のトルコ社会に親しみを覚えるに違いない。また、秀吉時代の日本人と、どちらが幸せだったのか等と自問するよすがも得られるだろう。