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書評:『デモクラシーの生と死』

書評:『デモクラシーの生と死』

出口 治明

ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。

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第39回_デモクラシーの生と死.pngデモクラシーの生と死』(上・下)
ジョン・キーン (著), 森本 醇 (翻訳)

刺激的な本だ。一言でいえば、デモクラシーの世界史である。上下2巻2段組みで900ページに迫る労作だが、知らないことがたくさん書かれており、読者を飽きさせない。本書は全体で3部に分かれており、上巻では「集会デモクラシー」と「代表デモクラシー」が、下巻では「代表デモクラシー」の続きと、「モニタリング・デモクラシー」が語られる。デモクラシーは、要するに、貴族制、王制や帝政と共に、太古の昔から連綿と続いてきたのだ。

第1部「集会デモクラシー」は、古代アテナイのデーモクラティアから始まる。常識的なスタートだ。そして、この言葉の語源がミケーネ文明の線文字Bに遡ることが示される。さらに、著者は、バビロニアとアッシリアの原始デモクラシーに言及する。メソポタミア文明の古代の自己統治的集会が、フェニキアを経て、ギリシアへと感染したのだ。「デモクラシーの理想や諸制度が誕生して、初めて育てられたのは、西はアテナイとローマ、東はバビロンとメッカという都市で囲まれた四辺形領域の内側だ」。デモクラシーはイスラム圏で、さらに成長する。9世紀に生まれたアル=ファーラービーは、支配者公選制を主張したのである。著者は、史実を丁寧に押さえつつ、欧米偏重史観に痛打を浴びせる。そう、集会デモクラシーは、実は東より西へと伝えられたのだ。「東洋的専制」は、実はフィクションであったのである。

第2部では、「代表デモクラシー」が俎上に上る。その始まりは、実は英国ではなく、スペインである。レオンのアルフォンソ9世が、1188年、初めてコルテス(身分制議会)を招集したのである。もっとも、アイスランドでは、930年前後にアルシングと呼ばれる代表制フォーラムが出現しているが、これは議会というよりは、最高法廷に近い。著者はキリスト教の公会議にもページを割く。(ただし、モンゴルのトイに代表される遊牧社会の議会について、一切言及されていないのは、とても残念だ)。そして、清教徒革命で、代表制統治が一応の完成をみたと説く。この動きは、新大陸に跳び移り、米国やラテンアメリカのカウディジョ・デモクラシー(有力者の統治)の歴史がかたられる。下巻では、フランス革命から英国のウェストミンスターモデル(議会制統治)、ネーションステートの誕生、そして、ヒトラーに象徴される第二次世界大戦、総力戦によるデモクラシーの墓場へと物語は受け継がれていく。

第3部は、「モニタリング・デモクラシー」である。著者はインドから筆を説き起こす。例えば、クォーター制は、インドから始まった。ところで、モニタリング・デモクラシーとは何か。それは、数多くの多種多様な議会外的な権力監視メカニズムによってモニターされるデモクラシーの新しい歴史の形態である。サミットや(この言葉は、1944年モスクワで初めて使われた)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル等の活動を想起してほしい。モニタリング・デモクラシーは、国家境界をやすやすと越え、驚くべき垂直軸の深さと水平軸の到達範囲を持っているのだ。

第39回_図.bmp

(下巻 p.234)

そして、著者は、わが国の民主党政権の挫折までを含めて、1945年以降、世界のあらゆる地域で、生まれては死に、死んでは生まれるデモクラシーの生々流転を丁寧に描き尽くすのだ。

オーストラリア生まれの著者は、辺境にも目配りすることを忘れない。例えば、女性参政権の突破口はポリネシアで開かれたのだ。また、バッジェに指導されたウルグァイの実験等、まさに、本書はデモクラシーの百科全書というにふさわしい、壮大な物語だ。ただし、余りにも多くの事実が詰め込まれているので、筋を追うことが、時には難しく感じられることがない訳ではない。

ところで、デモクラシーに未来はあるのだろうか。チャーチルの至言、「これまで次々に試されてきた他の形態はともかく、デモクラシーは最悪の統治形態」は、これからも生き続けるだろう。著者は言う、「デモクラティックな理想は、至るところ、何時いかなるときも、謙虚な者たちの、謙虚な者たちによる、謙虚な者たちの統治という観点で考える、と。」「デモクラシーは謙虚さで栄える」のだ。政治家や政治を志す人はもちろん、すべての市民が政治について考える時には、ぜひとも座右に置いてほしい本だ。