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書評:『国と世紀を変えた愛』

書評:『国と世紀を変えた愛』

出口 治明

ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。

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第75回.jpg書評:『国と世紀を変えた愛
富永 孝子 (著)

タイトルは正確ではない。なぜなら、「張学良と宋美齢、66年目の告白」と副題にあるが、本書はこの2人のことを主として書いた本ではないからだ。また率直に述べれば、本としての完成度が特に高い訳でもないと思う。それにもかかわらず、この本は一挙に読ませてしまう強さを持っている。1992年、ふとした偶然から還暦を超えた著者は92才の張学良に取材する。初対面の著者に示した張学良の含羞。「あなたには私と女性のことを話しましょう」と語りかけた張学良の発言内容の真贋を、戦争をはさんで多感な少女時代を中国東北部で送った著者は、以後20年余にわたって追い続けた。その20年余が圧縮されて眼前にある。

本書は、張学良一族の伝記であり、彼をめぐる6人の女性たちの物語である。父、張作霖を日本軍に爆殺された中国東北部(旧満洲)の指導者、張学良は、教養あふれる貴公子に育つ。最初の年上の妻は張作霖が決めた。賢くてあらゆる才にもたけた于鳳至は4人の子どもを産む。張学良は、日本軍との戦いをよそに共産軍討伐に力を入れる蒋介石に度々諫言するが容れられず、ついに1936年西安事件を起こして蒋介石を監禁する。そして抗日を誓わせるが、激怒した蒋介石は張学良を監禁してしまう。そして、この監禁生活は何と半世紀にも及ぶのだ。子どもたちとロンドンにいた于鳳至は、西安事件を聞いて直ちに帰国し、監禁先で張学良を支えるが、乳癌が発見され1940年に渡米する。そして2人は2度と再会することはない。アメリカでも于鳳至は懸命に生き抜く。証券投資や不動産投資でも成功し、夫の墓を傍らに用意して、1990年、93才で眠りにつく。

第2夫人はロシア人との混血の美女で後に物理学者になる谷瑞玉。しかし2人の結婚生活は短かった。ムッソリーニ令嬢、チアノ公使夫人エッダも張学良に熱をあげ、張学良一家をヨーロッパに誘う。そして蒋介石夫人宋美齢との交情。宗美齢が常に好意を持って張学良を陰から支援し続けたことは間違いがない。それに、宋姉妹と于鳳至は義姉妹の契りを結んだ仲でもあった。最高の女友達、蒋士雲。俊秀の江南の美少女は張学良にあこがれ続けるが、張学良に献身する于鳳至や趙一荻の姿を見て失恋する。しかし、残り火は燃え続ける。1991年、張学良のアメリカ訪問の際、91才の張学良は80才の蒋士雲のニューヨークの豪邸で2人で夢の3ヶ月を過ごすのだ。

1940年に于鳳至がアメリカに去った後、気の遠くなるような長い幽閉生活を支えたのは1子を成した第3夫人、趙一荻である。16才の時に張学良と出会い、張学良に拉致されて秘書という形でより添った美少女趙一荻は、于鳳至と協力して、そして鳳至がアメリカに去った後は決して強くない自らの体もいとわず子どもをアメリカ人に預けてまで、女手1つで一心に張学良に尽くし続ける。そして、2000年6月、移住先のハワイで張学良100才の祝賀を見届けた後、87才の人生を閉じる。張学良もその1年後、彼女の後を追った。

張学良を支え続けた女性たちは、本当にみんな強い。日中戦争、第2次世界大戦、国共内戦という歴史の大きな荒波に揉まれながら、歴史の生き証人、張学良が天寿を全う出来たのも、彼女たちの弛まぬ献身があったからこそではないか。しかし、このような彼女たちのロイヤリティを生み出したおおもとは、張学良の人間的魅力そのものにあったのだと思う。そして、張学良その人に魅かれたからこそ、83才の著者がこの書物を誕生させることができたのだ。この本が強いはずだ。