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「もったいない」の光と陰

「もったいない」の光と陰

嶋田 淑之

戦略経営協会理事・自由が丘産能短大教員・文筆家。 「不変と革新」「イノベーション」をテーマに新聞・雑誌・オンラインビジネス情報誌などで執筆活動を展開。国内外のイノベイター200人以上を取材し、記事化。「ビジネスメディア誠」でも2007年末より連載中(=「嶋田淑之の“この人に逢いたい”」、「あなたの隣のプロフェッショナル」)。

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エコロジー・ブームの先進諸国において、数年前から、日本語の「もったいない」が、広がりを見せています。

 

エコロジーの"キーワード"になるとの声もあります。

 

日本人なら、誰もが知っていて、誰もがふつうに使う「もったいない」という言葉!

 

 

どんなコトバにも言えることですが、ある一定の数の人々の間で"キーワード"として共有する場合には、事前に、明確な定義づけが絶対に必要です。

そして、それを「不変」の対象として堅持することによって初めて、そのコトバは、キーワードとして普遍的に機能するようになります。

使う人や、使う局面によって意味内容に差異が出るようでは、決して機能しません。

 

そういう観点から眺め直したとき、「もったいない」は、果たして、それが意味する内容、背景に存在する事実、そして、それがもたらす結果について、"共通理解"は存在するのでしょうか?

 

 

下記の記事は、フジサンケイビジネスアイで私が担当した全44回の連載の中の第3回として、2007年11月20日に掲載されたものです。

 

 

 

「もったいない」の光と陰

 

エコロジーの世界的な広がりの中で、近年、日本人の「もったいない」という価値観が国内外で注目を集めている。

 

なるほど、20世紀の大量消費・大量廃棄型社会に別れを告げ、限られた資源を大切にしてゆこうとするときに、「もったいない」こそは、世界の人々がよりどころとすべきキーワードになるのかもしれない。

 

しかし、「もったいない」には、そうしたポジティブな側面とは別に、DNAに刻み込まれた「日本人の悲しい性(さが)」とも言うべき側面が存在するように思う。

 

さる高名な経営学者が、面白い逸話を披露してくださった。

昭和世代の人々は、お弁当を食べる際、まず、ふたに付いたお米を一粒一粒丁寧に食べてから、お弁当の「本体」に箸をつける。

ところが、そのころには、もう食べ疲れてしまっているのか、結局、お弁当の半分近くを残してしまう人が多いという。

 

 

これを聞いた瞬間、私は、これこそが、日本人の「もったいない」という感覚の本質だと直感した。

 

資源小国で国民の生活レベルが低かった日本人ならではの「貧乏性」がここに現れている。

目先の小さな「もったいなさ」についつい目を奪われ、それを大事にしている間に、もっと大きなレベルで、取り返しのつかない損失を出してしまうということだ。

 

太平洋戦争でもそうだった。

劣勢な兵力で戦わなければいけない日本陸海軍は、虎の子の戦力を損耗させては「もったいない」ということで、兵力を小出しにする傾向が強かった。

小兵力ゆえに作戦が難航し消耗すると別の小兵力を出す。

戦術上最も避けるべき「兵力の逐次投入」が常態になり、それは結局、膨大な損失と作戦目的未達を招いて、戦局を悪化させる要因となっていったのである。

 

そればかりではない。

日本軍、とりわけ海軍は、「勝った」と思ったら直ちに退却するのを常とした。

せっかく勝ったのに、これ以上追撃することで、大切な兵力に損耗を来たしては「もったいない」と考えたからだ。

 

しかし、取り逃がした魚は大きかったというべきか。

撃ちもらした米軍兵力が、その後の戦闘で日本軍を完膚なきまでに叩いたケースは枚挙にいとまがないのである。

 

 

昨今、世間をにぎわしている「食品偽装」問題も、そうした日本人特有の「もったいない」に一因があると私は思う。

賞味期限が切れた食品であっても、必ずしも腐っているわけではなく、まだ使えそうなこともあろう。

そういう場合に、「だったら、廃棄するような『もったいない』マネはせず、賞味期限を偽装してでも売上に結び付けろ」という近視眼的な思考の流れになるのではないだろうか?

それが世間に露見することで、結局、業務停止や廃業のような途方もない代償を払うことになろうとは思いも及ばないのだ。

 

日本人の「もったいない」という価値観を再評価することは素晴らしいことだ。

しかし、「もったいない」に内在する「陰の側面」に関しては、「変えなければいけないこと」として明確に「識別」する必要がある。

「もったいない」を21世紀の新しい環境変化に即したコンセプトとして再構築し、「共通言語化」することが望まれよう。