「ひとつのことに集中する」
ということでした。
ちなみに私が読んだ本は、
『minimalism 30歳からはじめるミニマル・ライフ』
『エッセンシャル思考』
『ワン・シング 一点集中がもたらす驚きの効果』
『減らす技術 The Power of LESS』
などです。
それで、私は考えて見ました。
私の生活の中で、
何が集中を阻害しているのか?
そして私は、
・メールやチャット
・電話
・ケータイ
・SNS
というものが、
多くのことを生みださずに、自分の集中を阻害していると考えました。
上記の本にも、これらを遠ざける方法は書かれていたりもしますが、
実際に私なりにやってみました。
1)電話
電話は自分がどんなに仕事に集中していても、
相手のことは一切考えずに鳴るものです。
これの対策は「不在にすること」です。
ケータイにかかる電話には原則として、まず出ないことにします。
会社での電話もなるべく留守電や不在にすることで、
あとで、時間が空いたときにまとめて連絡するようにしました。
すると、待ちきれないのか、
電話で繋がらないとメールで連絡してくる人が増えました。
だったら、最初からメールにしてくれればと思いますが、
忙しいと電話で話そうとする人は多くいるものです。
それに付き合う必要はありません。
不在を伝えてもらうときにも、
急ぎであればメールでお願いしますと伝えてもらうことにしました。
2)メールとチャット
これまで私はオフィスに着くと、メールとチャットを開いて、
仕事を始めるというスタイルでした。
多いときにはメールやチャットが100件ちかくありますので、
オフィスに着いて、しばらくはこれの処理で時間を使います。
また、オフィスを離れても、スマホでこれらをチェックします。
電車の中でも、本を読む手をとめて、メールチェック。
歩いていてもメールチェック。
何かの返事を心待ちにしているのであれば仕方ありませんが、
考えてみれば、そんなに常にチェックする必要性は何もありません。
オフィスのPCのメールは一日2回だけのチェックにすることにしました。
アラームをかけて、それがなると、メールとチャットのチェックをするのです。
最初は少し気になったりもしましたが、そのうち慣れてきました。
もちろん、ケータイの方も、メールやチャットが着信すると鳴るようにしていては、
意味がありませんので、着信通知も切ります。
3)SNS
人とのつながりのためのSNS。
コミュニケーションのためには今や不可欠な存在と思う人も多くいるかと思いますが、
これも、考えてみれば、なくなっても困るものでもありません。
しかし、なくしてしまうのも、もう連絡も取れなくなる人もでてしまうので、
存在は消しません。
これも、ケータイに新着通知などが出ないようにして、
決まった時間だけに確認することにします。
一日1回程度です。
4)ケータイ
上記のように通知が極力でないようにして、
さらにゲームなどのアプリもなくします。
つまり、本来の電話の機能のみ発揮できるようにします。
もちろん、アプリを消すわけではないので、
やろうと思えばメールもチャットもチェックできます。
しかし、決まった時間以外は、チェックはしないのです。
これらが、現在、何かに集中するために、阻害要因排除のために、
私が取り組んでいる方法です。
これだけでもぜんぜん違います。
かなりの集中力を発揮でき、仕事が捗る結果が得られました。
前にテレビで中尾彬さんがケータイは持っているけれども
常に切っていて、電話をするときのみ、電源を入れるような話をされていました。
理想はこれではないかと思います。
小池龍之介さんの本に書いてありました。
よく、人との食事やお茶のとき、ひどいときには会議中にも
ケータイを持ってきて、鳴ると確認する方がいます。
暗黙の了解のように、誰もが仕方がないかのようにしていますが、
これも考えてみれば、相手にこんな失礼なことはありません。
ケータイを気にしながら話すなんて、
相手との会話がつまらないかのようです。
礼儀としては、こういうときは、電源を切るべきでしょう。
ツールに振り回され、使われているような状態から脱して、
あくまでもツールの役割に限定するということです。
しかし、やりすぎても続かないと意味がありません。
私のように、やれることから、少しずつやっていけば、
「ひとつのことに集中する」
ことのできる環境は整うのではないでしょうか?
しかし、投資額が、多いにせよ、少ないにせよ、投資は投資。
どういう形にせよ、無駄なものに投資しているとすれば、
それはお金を"どぶ"にすてているのと同じになります。
投資の形は様々ですが、最も大事なのは
「引き際を知る」
ということだと思います。
つまりは、「撤退」を恐れてはいけないということです。
計画段階での撤退路線の検討はものすごく大事です。
「負けることを考えて戦うやつがいるか!」
とアントニオ猪木に怒られそうですが、
それは、決して、最初から負け戦を考えることではありません。
ポジティブな撤退と捉えた方がいいかと思います。
せっかくうまくいっている会社も、
引き際を間違えて、つぶれていった、
もしくは大きく傾いた会社を多く見てきました。
いい会社もたくさんあったのに、本当にもったいないことです。
すべては、経営者が「撤退」時期を見誤ったということが原因になります。
新規事業というのは、計画が重要であることは間違いありません。
計画段階でのマーケティングが正否を左右しますが、これがすべてではありません。
やっていくうちに変更など、新規事業である以上、普通のことです。
この点は柔軟でなければなりません。
決まったことに固執しすぎて失敗することもあるのです。
しかし、計画の上で、いくつかの重要なポイントがあるはずです。
「これがあるから、この事業をやる」という事業の原点となる部分です。
ここが狂うということは、
すなわち、撤退を考えなくてはならないということになります。
ましてや、新規事業をやるのに、事業計画すらないとすれば、
それは、経済活性化のためにお金を撒き続ける
"ボランティア活動"と考えた方がいいと思います!
そういう活動は個人でやるべきで、
社員を雇っている経営者がやるべきことではありません。
社長たるもの、いま流行りの「やりたいことをやる」
ということを真に受けてはなりません。
やるなら、厳密な計画が必要になることは当たり前のことです。
「自分がやりたいから」という理由でやっているとすれば、
その人は、もはや経営者であってはなりません。
「諦める」というのは、
「どうにもならないことを明らかにすること」
らしい。
そう捉えると「諦める」という言葉のネガティブな響きは、
ポジティブなものに変わっていく。
例えば、会社でのこと。
会社というのは、重要事項の最終判断は社長に委ねられる。
組織のトップであり、会社の全責任は社長にあるからだ。
その人が判断した以上、それは「諦める」しかないことになる。
例えば、人との関係。
自分がすごく気に入っている人であっても、
相手はそうでもないという状態。
このバランスに悩んだとしても、それはどうにもならない。
それは「諦める」しかないことになる。
人が考えること、思うことに影響は与えられたとしても、
人の心のなかのことはどうにもならない。
それは、自分の心さえ同様だ。
いろんな感情が、思おうとしなくても勝手に湧き上がる。
自分を含めた人が、何を思うかということは、
すべては「諦める」しかない。
しかし、この「影響は与えられる」可能性は忘れてはならない。
大前提となる「万策を尽くす」ということをしなくてはならない。
前述の会社の例から言えば、
いかに、こうすべき!ということがあり、
企画書や説明書、分析などを通して、
社長にできることを全てやったとして、
それでも、全く正反対の判断を社長が下せば、
それは「どうにもならない」ことであり、
そのとき初めて「諦める」しかないことになる。
ポジティブな「諦める」ということを頭に入れておけば、
大きなダメージを受けなくて済む。
ストレスも軽減できる。
怒りも軽減できる。
気をつけなくてはならないことがある。
「万策尽くす」と言っても、人と人の関係性で、あまりやりすぎると、
ストーカーだったり、単なる嫌がらせになりかねない。。。
その場合は、人がどう思おうが、
「気にしない」
という別の技を覚えた方がいいかもしれない。。
仕えていい社長、仕えてはいけない社長がいる。
ここで判断を間違えると一生を左右することになる。
決して、仕えてはいけない社長は、
大きく3つに分けることができる。
1)信念がない
経営にも人生にも信念がない人である。
経営理念もない、あっても絵に描いた餅というタイプの人だ。
こういう人は、その場その場で考え方がぶれ、言うことが変わる。
よって、一度決まったことも、次の瞬間には逆のことを言い出す。
そのような社長とともに働くことはできない。
決まったことは、決まった瞬間に組織として取り組みだす。
それを、そのときの気分で簡単に覆してしまう。
そんなことをやられては、周りはたまったものではない。
「こんな人、いないだろう」と思う人も多々いると思うが、
確実にこの世に存在している。
なぜ、そうなるか?それは、信念がないからだ。
迷ったときに、寄って立つ信念があれば、ぶれることなどない。
それがなく、自信もないから、その時々、そのときの気分で、
言うことが変わる。
もし、こういうタイプの社長に仕えているようなら、
すぐに転職すべきだろう。
2)器が小さい
会社は、残念ながら社長の器以上の器にはならない。
たまたま、うまくいったとしても、それは一時のこと。
すぐに器に応じた大きさになる。
こういうタイプの人は、自分のことしか考えない。
例えば、報酬。
会社というのは組織で成り立つ。
そこで働く人を、ちゃんと見分け、報酬を上げるべき人にはあげていく、
そういうことをしなければならないのだが、
自分の報酬をいかに上げるかが最重要なものと考える。
人を正当に評価せず、自分の報酬のことしか考えない社長というのはどうだろう?
そんな会社がうまくいくはずがない。
ある会社で実際にあったことだが、ある有能な社員が会社を辞めると告げた。
その社員が、その会社の重要部分をほぼひとりでまわしていたので、
会社としては変わる人もいないため崩壊の危機だ。
説得するものの、決心は変わらないようで、最後の説得として社長は、
これまで払っていた給与600万から800万に上げるから残ってくれと伝えた。
その有能な社員は、この言葉にさらに呆れ、会社を去った。
これまで人を正当に評価していなかったことをさらけだした瞬間だ。
器の小ささは、本人ではどうにもならないかもしれない。
しかし、努力はできる。人の意見を聴くということができればいい。
残念ながら、器が小さい人というのは、自分が大事。
人の意見も聴かない。
よって、このような人には仕えてはいけない。
3)人を知らない
人というのは難しい。
私は、その難しさを克服できないので、いかに人と接しないかを考えてしまう。
人を知らない人はその難しさもわかっていない。
どういう発言をすれば、人はどう考えるのか?
どういう行動をすれば、人をどう動いてくれるのか?
それがわからないために、威張ったり、怒ったりを繰り返す。
当然、こういう人に人はついていかない。
こういうタイプの人はマネジメントができるはずもない。
社長というのは、会社組織において最もマネジメントができなければならない人だ。
こういう人が社長の会社では、
マネジメントなど皆無という組織にならざるを得ない。
マネジメントの重要性が理解できないために、
組織においても、マネジメントの重要性が浸透しないのだ。
このように、仕えてはいけない社長の3つのタイプを書いてみた。
いま、働いている会社の社長は、3つのタイプに当てはまっていないだろうか?
もし当てはまるようなら、自分の人生をもう一度考えてみた方がいい。
今回の選挙。民主党は議席を増やしたが、勝利とは程遠い。
代表まで落選していて、勝利も何もあったものではない。
自民党への反対票が、一応野党第一党の民主党に流れたに過ぎない。
自民党とはかけ離れた共産党が議席を増やしたのも同様の理由だろう。
では、民主党はどうやったら再生できるのか。
このままでは、絶対に再生は無理だ。
政権をとっていた時期に、完全に国民の期待を裏切ったためだ。
あの期待の大きさの裏返しで、国民の失望は深い。
もう復活はあり得ない。
では、再生するために、どうするか?
ここは基本に戻るしかない。
まずは、核となる政策を幾つか作る。
1)経済政策
2)社会保障政策
3)防衛政策
などが現在の主要政策としてあげられる。
しかし、最も重要なのは、どういう国作りをするかだ。
日本は、少子高齢化が世界で最も早く進み、
残念ながら、政治に無関心な人も増え、
衆愚政治へまっしぐらに進む、最も進んだ(?)国だ。
「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、
またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。
民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。
実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。」
とチャーチルは述べている。
最悪の政治体制でもある民主主義を超えた政治体制の模索も
これからの政治には必要かもしれない。
経済が常に右肩上がりにならなければ成立しない資本主義も限界にきていることは、
日本のこの20年の経済状況を見ればわかる。
アメリカ経済も、金融によって、延命しているに過ぎない。
これからは「足ることを知る」国になることも必要になるかもしれない。
ある意味では、進むところまで進んでいる日本だからこそ、
他の国のモデルになることもできるはずだ。
民主党を再生するには、
ひとりひとりの国会議員が、
本当に日本をどうにかしたいと考えるなら、
再び一強他弱の国会になったいま、
根本からの国作りを考えるべきだ。
大きな枠組の政策を作り、
そこに多くが集まれるかどうかが再生の第一歩になる。
決して、国会議員の定数削減や給与削減が最重要問題ではないし、
野党再編や消費増税なども重要事項ではない。
国のビジョンを示さずに、
国家の舵をきることなどできるはずがない。
しかし、孤独は悪いことではない。
何より自由だ。
人に合わせる必要がない。
人の顔色を見る必要もない。
人が何と言おうと気にすることもない。
人に迷惑をかけないという前提のもと、
なんでも、自分の好きにすることができる。
考えてみれば、組織の中で働いていると、
頭を悩ますのは、8割がた人に関することのような気がする。
この全てがなくなると、人生は全く違うものになるだろう。
ブッダも言っている。
「いっそのこと独りぼっちになってみるのも清々しいだろう」(「超訳ブッダの言葉」小池龍之介著)
と。
「孤独の価値」(森博嗣著)に書かれているように、
昔と違い、体力を使う仕事は減り、頭を使う仕事が増えている。
であれば、孤独に身をおいて、仕事をする生活をしていくことも悪くない。
京セラを一代で一兆円企業にし、
何の資産もないところからからKDDIを四兆円企業に発展させ、
さらに、最近では経営破綻した日本航空を蘇らせた稲盛和夫氏の
「成功の要諦」
という本を読んだ。
私は、稲盛さんの本はほとんど読んでいるいて、
稲盛さんの考え方に心酔しており、
また、考え方、手法など、実際の経営に大いに参考にさせていただいている。
何年も前になるが、、私がコンサルティングを行う予定のある会社で、
その社長と面談したときの話だ。
自然、話は経営についての話になり、
その頃はカルロス・ゴーンが日産を復活させていた頃で、
彼はカルロス・ゴーンのことを絶賛していた。
ところが、稲盛さんの話になると、
彼は、「稲盛さんの経営は古い」と言い出した。
稲盛さんの経営手法は、人の根幹に関わるもので、
例えば、孔孟や老荘などといった思想同様、
古くても新しい、普遍的な考え方だと思っていた私は、
結局、話が合わず、その会社の依頼を断ったことがある。
その約2年後、上場を目指して破竹の勢いだったその会社は、
経営破綻した。
稲盛さんは、別の本で、
『人生と仕事の結果=考え方☓情熱☓能力』
という公式について話している。
情熱と能力は0~100点だが、
考え方は、マイナス100点~100点としている。
要は、考え方が間違っていれば、情熱や能力が高ければ高いほど、
人生と仕事の結果は大きなマイナスとなってあらわれるということだ。
上記の私のお断りした社長が実際にそうだったのかは、
一度しかお会いしていないのでわからないが、
他にも多くの会社社長とお会いしてきた経験から、
稲盛さんの仰るこの公式は、正しいと思わざるをえない。
だから、私には、お付き合いする方、会社がうまくいくかいかないかは、
大体わかってしまう。
成功は、いかに自分を磨いて高めていくかにかかっている。
多くの社員を抱える会社であれば、尚更、
経営責任者は自分を高めていかなくてはならない。
もちろん、この公式は、経営責任者だけの公式ではない。。。
誰もが納得するし、そうありたいと思う。
なんといっても、やりたいことができている人は、輝いているように見える。
しかし、現実はなかなか難しい。
それができている極少数の人は言う。
「やらないからだよ」
と。
人が生きていくということは、そんな簡単なことではない。
そういう行き方をするために努力することは大事かもしれない。
しかし、それでもできないなんてことは、当たり前のことだ。
そんな魔力のある言葉に踊ることはいい。
努力は何にも代えがたいし、損にはならない。
しかし、できなくても悲観することはない。
それが当たり前だと思っていればいい。
それでも、努力をする。
そんなことの繰り返しが、人を育てるのだと思う。
毎日、仕事がいやで嫌で仕方がない。。。
そんな人はゴマンといる。
そんな中でも、例えば仕事の中で、小さな喜びを見つけていく。
喜びの先に、追求できるものが見つかるかもしれない。
ときには、無理やり、何かを好きになることもいいかもしれない。
それが、プロへとステップアップするきっかけにもなる。
魔力のある言葉が書かれた本は多い。
それにただ、踊るだけでなく、
現実に則して、その中で努力を続けることが、
その言葉を現実のものにすることにつながると思いたい。
ひとつひとつ、石を積み上げていくような行き方も悪くない。
戦略らしきものがある会社もあるが、実際には戦略になっていないことも多い。
もっとも多いパターンが戦略もなく戦術もない会社。
次に多いのが、戦略はないが、戦術を駆使して何かをやろうとする会社。
戦略がない以上、戦術レベルの策はほとんど意味のないものになると思うのだが、
いたってまじめにやっている結果である。
では、なぜ、戦略がないのか・・・・?
ほとんどの会社は、戦略が立てられないのだ。
立てようと思ったこともない会社も多いが、
立てたくても、立てられる人がいないというのが原因であることが多い。
結果として、何かやらなければならないと思い、
戦略らしきものを立て、戦術らしきものを行う。
もしくは、戦術を戦略と勘違いしてやっている。
滑稽に思えるかもしれないが、
戦略がないために、うまくいかないことを何度も
角度を変えてやってしまっている会社もある。
うまくいかないことは、何度やっても同じである。
しかし、本人は大真面目だ。
国家経営も同様だ。
どんなに公共事業にお金をつぎ込んでも景気はよくならない。
一部の人にお金が入るだけだからだ。
しかし、同じことを繰り返す。
選挙のためという国家戦略と違う意図がそこに入ってしまった結果だ。
景気をよくするなら、
低所得者にお金を渡せばいい。
すぐに使ってくれるからだ。
戦略なき経営が、うまくいくはずがない。
うまくいっても、一時のことでしかない。
経営が漂流し、社員がいればいるほど、溺れ死ぬ人が増えてしまう。
社員もこの船がどこに行こうとしているのかわからない。
実際に、戦略を立てること自体はそれほど難しいことではないのだが、
マーケティングを知らないとできない。
このマーケティングも、どういうことかがわかっている人は少ない。
マーケティングもわからない。
戦略と戦術の区別もつかない。
経営戦略もわからない。
そもそもできるわけがないというのが現実だ。
マーケティングを駆使した経営戦略を構築して、
事業を運営することが、実質コストをさげることにもつながる。
もちろん、売上アップにもつながる。
なにより、成功のための近道になる。
当たり前のことだが、
いかに、「戦略」を構築するかが、
会社成功のためのマストアイテムである。
「このままじゃいけない」
「何かを変えなきゃいけない」
「変わらなきゃいけない」
と思うことがある。
よくあるのは、新年を迎えた元旦。
一年の目標を立てたりして、新たな一年をどう過ごすかを考える。
しかし、この元旦の目標。
三が日を過ぎれば、ほぼ忘れる人がほとんどじゃないだろうか?
身内や大事な人が突然亡くなるなど、死生観が変化したときも、
自分の中で変化が起こる。
この場合は、元旦と較べて、大きな衝撃を受けるため、
変わらなければならないという気持ちは非常に強いものがある。
しかし、日々暮らしていても、思うことが絶対にあるはずだ。
変わり映えしない日々。
何のために生まれたのか考えるとき。
やりたくもない仕事をするために満員電車に揺られるとき。
人はどう変わるべきなのか?
答えは案外、簡単なところにある。
最も簡単なことは、
歴史上の人物でも、今近くにいる人でも、マンガの登場人物でもいい。
目標となる人を見つけることだ。
目標となる人が複数いても全然構わない。
何かがあったとき、この人ならどう対処するのかを考えるのだ。
坂本龍馬なら、こんな小さなことはどうでもいいと思うだろうとか、
諸葛亮孔明なら、もっと大きな構想を練るだろうとか、
常々、自分の中にその人を住まわせるのだ。
すると、今の自分がひどく小さく見えるようになる。
どうでもいいことで怒ったり、愚痴を言ったり、
人の悪口を言ったり。
そういうことをしなくなることはもちろん、
そういう人と付き合うことすらしなくなる。
そうなれば、「変わった」と実感できるはずだ。
その上で、何かに死ぬ気で打ち込んでみることだ。
何らかの結果が生まれ、何らかの果実を手に入れることができるはずだ。
市中にお金が流れるルートが2つしかない金融システムを欠陥と指摘し、
政府通貨を発行することで、無税国家とし、お金が大量に流れる
新しい金融システムを構築すべきと唱える。
この政府通貨構想は、テレビなどでも何人かの経済学者などが唱えており、
決してできないものではなく、また、効果もあるのだと思われる。
が、これをやれる政治家が果たしているのかと思うと、
可能性は薄いと思わざるをえない。
かつて、松下幸之助氏が無税国家を唱えた。
さすがにダム経営を唱えた松下氏で、
国家が貯蓄をし、その利息をどんどん膨らませていき、
ゆくゆくは無税国家になるというものだった。
できるできないの可能性で言えば、こちらの方ができそうだが、
借金まみれの我が国では、これも夢物語でしかない。
いずれは、松下氏の唱える形になればいいのだけど、
今を脱却しない限りは決してできないことである。
この脱却の方法の一つが、大村氏の唱える政府通貨の発行でもある。
前述したように、不可能なことではないが、
今の政治家にはできないと思わざるをえないほどの、大きな仕組みだ。
それよりは、税制の抜本的改革をした方がいい。
本書にもあるように、企業が内部留保金をバブル崩壊以降で倍増させ、
輸出額も順調に増えてきたにもかかわらず、ずっと経済は停滞してきた。
それなら、その内部留保金を市中に出させればいい。
株主資本に税金をかけるのだ。
株主資本がマイナスになれば銀行はお金を貸さないし、
当然、余程の可能性がある事業出ない限りは、株主はそっぽを向く。
企業は株主資本をマイナスにはできない。
企業の7割が法人税を支払っていないという中、
株主資本に税金をかけることにすれば、大部分の企業は税金を支払うことになる。
さらに税率を小さくしても、いまよりかなり大きな税収になるはずだ。
また、個人も同様で、確定申告制度を変えて、
企業と同じようにバランスシートを作り、
自己資本、または資産全体に税金をかける。
資産全体にかけても今の所得税より安ければ問題ない。
広く薄く税金を確実にとることで税収をあげ、
今の制度である、所得税、消費税、贈与税、相続税などはすべて廃止する。
いくら消費税をあげていっても、国の借金は減らせない。
減らすぐらいまで税率をあげたときには、国民生活は成り立たなくなっている。
ちょうど総選挙になるようだが、小手先の改革をいくら唱えても何も変えられない。
いかに抜本的に変えて、未来の国つくりができるかが重要だ。
いま、必要なのは国家戦略であって、戦術ではない。。。
企業においては、小さければ小さいほど「独裁」色は強くなる。
同等のパートナーと始めた事業でなければ尚更、その「独裁」色は強くなる。
企業経営は、原則として経営者の「独裁」で成り立つ。
国家同様、その権限の強弱があるだけだ。
①自分一人の判断で物事を決めること
②絶対的な権力を握る一定の個人または集団・階級が
独断によって全体を治めること。
また、そのような体制
のことを言うらしい。
つまり、会社における「独裁」とは、
「経営者の判断によって全体を治めること」である。
「独裁」と聞くと、ヒトラーを思い出したりと、
決していい響きではないが、意味はこういうことである。
小さな会社のスタートアップ時は、当然「完全独裁制」であるが、
徐々に企業規模も大きくなって、有能な人材を雇うようになると、
少しずつ「合議制」もしくは、それに似た体制に移行していくのが通常だ。
しかし、経営に民主制は向いていない。
自らのことだけを考える人も多く、また、根回しがはびこり、
そのための労力や支出など、換算すれば大きな無駄が生じる。
民主制はお金がかかり、時間もかかると言われるが、
それは国家という組織だけでなく、会社組織でも当てはまる。
効率のいい、また、スピードのある、ベターのな経営は「独裁制」にある。
経営の問題の答えは、学校の問題のように答えは一つではない。
正解を求めるのではなく、多くの回答の中から、
よりベターと思われるものを、スピードをもって決めていくことが必要となる。
民主的に決めていたのでは、何も決まらず、
それぞれの利害から、ベターなものすら決められなくなる。
雑音ばかりが多くなる。
それぞれの人の利害が錯綜することを避けるためには、
会社経営のため、経営理念のために、決断できる、経営者、
そして、数少ない参謀と言える人が判断をすることだ。
独裁経営の方法は、様々に考えられるが、大まかなところのみ述べる。
①社員の意見
「独裁」という響きは悪いが、よりよい言い方をすれば、
最後の判断はすべて自分でするということだ。
当然、社員の意見を聞いてもいいが、あくまでも参考意見とし、
決してそれに流されることはないようにする。
②計画半分・マーケティング半分
経営において計画もマーケティングも非常に重要である。
しかし、それらは確実なものでは決してない。
計画を良しとするか、そのままいくのか、引き返すのか、
あくまでも最後は、「独裁者」たる経営者自身の判断しかない。
その判断は、「独裁者」の創造力や経験などが導かれる。
その能力に自信がなければ、社員から借りればいい。
しかし、それでもやはり最後は、経営者の判断となる。
計画やマーケティングを鵜呑みにしてはいけない。
絶妙に、話半分ぐらいに捉える能力が必要になる。
③社員の待遇
日本には人気企業ランキングというものがある。
自らの会社を一番人気にしたいとか、
社員が一番給料が高い企業にしたいという経営者もいる。
しかし、そんなつまらないことを目標にしている経営者の企業は、消えていく。
社員にとって一番いいことは、給料をたくさんもらえることではない。
社員にとって一番いいことは、一番人気の企業で働くことではない。
社員にとって一番いいことは、「勘違い」させないことだ。
同じ企業でいれば、ただ長く所属しているというだけで給料が高い人がいる。
しかし、これは一見社員にとってはいいことのように思えるが、そうではない。
すべきことは、市場価値に応じた給与額を与え、自己認識させ、
どこにいっても通用する社員になってもらうことだ。
さらに言えば、勘違いさせずに、人として、あるべき考え方を、
日々の仕事の中で身に付けてもらうことだ。
④「任せる」と言って任せない
社員に任せたものは任せておけばいいとは思う。
しかし、100%を任せてはいけない。
なぜなら、彼らには、責任などとれないのだ。
企業の成長は、人の成長が必須であるため、
仕事を「任せる」という行為は必要ではあるが、
必ず報告をさせることが必須だ。
最終責任はやはり経営者になるのだから。
⑤情報の集中
古代より、情報は権力の源泉であることは今も変わらない。
あらゆる情報が、上へ上へと上がってくる仕組の構築が必要だ。
現代は、SNSやmail、chatwork、クラウドアプリなどツールは選び放題だ。
⑥責任の明確化
経営者が企業の全責任を担う。これは当たり前のことだ。
しかし、企業の中で細分化された仕事の責任はそれぞれの責任者が持つ。
責任を明確化し、信賞必罰の体制を整えることが組織を強くするためには必要だ。
⑦社員の顔色は一切気にしない
ある社員に抜けられると困るという状況には絶対にしないようにしなければならない。
そんな人がいると、その人に気を遣う必要が生じて、
「独裁」にならなくなってしまう。
その社員の顔色ばかり伺って経営をしなければならなくなる。
仕事は誰がやっても、会社はまわるという仕組を作る必要がある。
企業経営を「独裁制」にするいくつかの方法を述べたが、
民主制にもいろいろな形態があるのと同様、
「独裁制」にも様々な形がある。
では、どんな「独裁」を目指すべきだろうか?
①民のために
会社の社員のため、顧客のため、取引先のため、世の中のため、人類のため、
になる意思決定を常にを心がける。
古代中国の聖王と呼ばれた君主はみな、こういった思想を持っていた。
社員への信賞必罰も生殺与奪も、この基本的な考え方から生じることが最も重要だ。
ちなみに、京セラの経営理念は、
「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、
人類、社会の進歩発展に貢献すること」
である。素晴らしい経営理念だと思う。
②何のための経営かを考える
何のために一念発起して、経営を始めたのか、
そして何を目指すのかをひたすら考え、それにただただ突き進む。
その実現のためには、小さな問題は、掃いて捨てていく覚悟が必要。
中国の伝説の商人と呼ばれる白圭は、
民のためにダムを私財をなげうって作った。
こういう人なら、いくら独裁を行っても、誰でもついていく。
③自分の会社は、人が育つ箱と考える
人は様々な形で成長する。
それぞれ、どこで何をきっかけに成長するかなどわからない。
人にとって、会社で過ごす時間は、人生において大きな比重を占める。
その大きな比重の中で、会社での時間を無断にしないためにも、
人を育てているのだという感覚を忘れないことが重要だ。
私がおすすめする「独裁経営」とは、
「独裁」という言葉の響きから生じる雰囲気のものとはかなり違う。
人のためになる経営をするためには、
正しい「独裁経営」が必要になる。
最善の「独裁」を是非目指して欲しい。
しかし、それほどのことをやってはいないという人がいる。
結果として、全く認められないという人がいる。
結構、こういう人は多いのではないだろうか?
会社で遅くまで残業している。
ただそれだけで評価されるような全近代的な会社であれば、
ものすごい評価される人なのかもしれない。
しかし、真実は、アウトプットの少ない、
そして、望ましいアウトプットではないものを発し続けるという姿だ。
そんな人はまともな会社に行けば、全く評価されない。
本人は一生懸命やっているだけに、
その努力している姿は、
何とも悲しい姿にしか見えない。
そのことに本人が気付いていれば、
努力のやり方を変えるということをオススメしたい。
1)本質は何なのか?
何かの作業をやる場合、これが作業であるかぎり、
やってしまえば、いつかは終わる。
何も考えずに、ただただやっつけていくだけの仕事だ。
しかし、立ち止まって考えなければならない。
「やっているこの作業は何なのか?」
何のためにやっているのか?
それを考えるだけでやり方が変わるはずだ。
言われたことをそのままやるだけではなく、
どうすれば効率よく、素早く、正確にできるのか?
それは、本質を射止めないと出てこない。
2)何を求められているのか?
仕事をしているということは、
何かを求めている人がいるということだ。
それは、上司なのか、顧客なのか、同僚なのか・・・。
そして、彼らはその仕事に何を求めているかを考える必要がある。
本質を捉え、さらに求められている核心を捉える。
これによって、やっていることの理由が、すべて解明されるはずだ。
これを考えないために、
できあがったアウトプットが依頼されたものとは、
まったく違うものができてしまう。
経験のある人は多いのではないだろうか?
3)自分を超える
仕事をすること、それも一生懸命にやること自体は悪くない。
その目的が、「誰かに認められる」ことだとしたら、
それは、ものすごく小さなことと言わざるをえない。
評価してもらって、給料をあげてもらうため。
評価してもらって、役職をあげてもらうため。
褒めてもらって、誰かの耳に届けてもらうため。
そんなことを考えていては仕事の本質は捉えられない。
仕事は、人に認めてもらうためにやるのではなく、
今の自分を超えて、新しい自分に変わっていくためにやるものだ。
日々進化することが、結果として、人に認められることになるのかもしれない。
しかし、そんなことはどうでもいい。
今の自分を越えていくために、日々考える。
目の前の、小さな小さな仕事でも、考えて行っていく。
そんな努力が、
本来、行うべき努力だと思う。
弘兼憲史さんの「加治隆介の議」というマンガの冒頭にあった言葉だ。
「オレは残業はやらない主義でね。
残業なんてのは能率の悪い連中のエクスキューズにすぎん」
耳の痛い言葉だと思う人が多いのではないか?
]]>いかに事業をやる理由が立派でも、成功しなくては意味がない。
事業が失敗する最も多いパターンは「思い付き」だ。
これ、絶対にうまくいくなー!金の匂いがする!などと、
事業を始めてしまう。
最悪なのは、小さな事業で小金を持っていて、
すぐにお金を使ってしまうような環境にいる場合だ。
安易に事業をスタートして失敗する。
このケースでの失敗は、マーケティング不足が最も大きな原因だ。
マーケティングをしていないから、計画もない。
計画がないから、PDCAサイクルはD(do)しかない。
よって、検証もしないから、撤退もなかなかできない。
次に多い失敗の原因は、「人材不足」だ。
事業を実際にスタートアップしたことがある人というのは、
市場ではすごく少ない。
たまたま会社に、ベテラン社員がいて、重宝しているので、やらせてみる。
既存事業と新規事業は、使うエネルギーがまったく違うし、
使う能力も違うと言ってもいいぐらいだ。
だから、失敗する。
そして、責任は誰にあるのかという犯人探しが始まってしまう。
失敗する理由は、所詮「思い付き」にすぎないという一点に尽きる。
「思い付き」は非常に重要だ。
理論派の人はこの「思い付き」が足りない人が多く、
経営者の人は、この「思い付き」能力が高い人が多く見られる。
「思い付き」がなければ事業はスタートしない。
問題は、「思い付き」を「思い付き」のままスタートさせることにある。
マーケティングを行い、戦略を構築し、事業計画を作る。
なぜ、たったこれだけのことができないのか?
これらをやったところで、成功が確約されるわけではない。
しかし、成功の確率は、「思い付き」のままで事業を行うよりは格段に上がる。
これらの戦略を作れば、どういう能力を持った人にやらせるべきかも見えてくる。
決して、安易に人を選んではいけない。
そもそも、できない人にやらせることで、
本業にまで影響を及ぼすことにもなりかねない。
なぜ、そんな人に大役を任せてしまうのか?
そもそも、人を見ず、事業も見ていないからだ。
要は、何も見ずに、ただただ事業っぽいことをやっているようにしか見えない。
世の中には不思議なこともあり、
何となく成功することも可能性としてはゼロではない。
しかし、このように始めた事業が成功することは、ほぼない。
失敗する可能性の高い事業に、
そもそもできない人をあてがった事業が成功するはずがない。
新規事業のハードルは高い。
既存事業で優秀な社員だからできるということではない。
一種の特殊能力と思ってもいい。
新規事業でのマネジメントを任せるひとは、
全責任を負える人でなくてはならない。
全責任を負える人であれば、後から、
「会社がバックアップを全然してくれない」
「社長の思い付きが成功するはずがない」
「部下の能力が低い」
などといった責任転嫁はしないはずだ。
新しい事業を推進していくことは、ものすごい馬力が必要だ。
人を、部門を、取引業者を、会社を、世の中を、
大きく巻き込んでいく能力が必要だ。
そういった推進力、巻き込み力がある人でなければ、
なかなか新規事業など進めていくことはできない。
しかし、何度失敗しても、不屈の精神(?)で何度も、
同じ失敗をする経営者が、何故か多い。
学習しないとしか思えない。
ある新規事業がどうにもならなくなり、ようやく諦めたと思ったら、
すぐに次の新規事業を始めるという猛者も多い。
撤退をすることも、ものすごい労力がかかる。
なぜなら、負の仕事を進めることに相違ないため、
やる気のある人ができる仕事ではないからだ。
だからこそ、新規事業を始めるということは余程の覚悟と準備が必要なのだ。
前述したように、成功確率をあげることは難しいことではない。
当然、100%成功するということは神以外にはわからない。
「思い付き」にすぎない青写真を、
マーケティングからスタートし、戦略構築、事業計画への落とし込みを行うことで、
成功確率は飛躍的にあがる。
問題があれば、事業計画の段階で頓挫することが明確になるからだ。
計画があれば、PDCAサイクルが回り始める。
PDCAサイクルが回れば、選択肢を潰していける。
万が一、うまくいかなくても、撤退時期は明確に線が引けるので、
痛手は最小限となる。
最も難しいのは、新規事業を任せる人だ。
既存の社員でそのような人材がいればいいのだが、
中小企業ではなかなか難しいはずだ。
人事権を持つ人は、人を見れなければならない。
ただ長くやってきた人、ただ年をとっている人、
いろいろ知ってそうに見える人、・・・という「見せかけ」で判断してはいけない。
新規事業の責任者は、
・責任感
・事業推進力
・巻き込み力
の3つを持っていなければならない。
こういう人を常に会社に入社させていく必要が会社にはある。