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【問い】発想法が役に立たない場面は?

【問い】発想法が役に立たない場面は?

石井 力重

アイデアプラント 代表。著書に『アイデア・スイッチ』。専門領域は「創造工学」。クリエイティブ・リーダを助ける道具を作っています。

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アイデア創出支援ツールを作っています。アイデアプラント 代表 石井力重です。

最近、アイデア関連で、いただいた質問について、答えてみようと思いますシリーズ第4弾。今回は、ハードモードです。


【問い】

質問です。発想法が役に立たない場面はどんな時でしょうか?あと、自分なりの発想法を構築するときに心がけたほうがよいことはありますか? 


【回答】

むむ。。。これまた興味深い、それでいて、うぐぐ、、と回答に詰まるような興味深い問いです。

発想法が役に立たない場面、実はたくさんあります。アイデアのことばかりを活動のフィールドにしているので、私の発言は、朝から晩までアイデア創出のことに注目していますが、実は発想法が役に立てないことって多いです。少なくとも、意思決定の必要な局面では、(発想法を、アイデア発想法、と狭くとらえていうならばですが)役に立ちませんよね。

もちろん、良い意思決定をするには、その段階に入るまでにさまざまに選択肢を作りだし、創造的にそうしたものを絞り込んでいくプロセスがありますがそこには思い切り役に立ちます、発想法は。

それから、「変化の生じないところ」でも、発想法や役に立ちません。

例えば、「ああ、それ?あー、いいよ、去年と一緒で。え?見直?見直せばもっと良くできるかも? 、、、あのさー、、、そういうのって、いらないんだよねー、去年と一緒でいいって。変えれば仕事増えるし。」というセリフに近い言葉を聞いたことって、ありませんか。

"前例通り、去年と一緒、変えるの面倒、余力があってもできれば仕事したくない。"

そんな思考は、実は人間の脳の活動から言って、ある種の場合には、妥当な行動なので、やむを得ないでしょう。(ですが、モチベーション枯渇状態で働くことは、疲れることでもあるので、また違う観点からこれについて言いたいこともありますが、ここは先を急ぎます。)

自分ひとり仕事じゃないなら、上司か責任者がこういう考えの平面の上に立っている時は、発想法は、きれいさっぱりつるっと、必要ありません。押し付けるほど人は嫌がります。彼を変えるにはどうしたらいいか、という努力はむなしく空転します。こういう場合はより、生産的な物事に、創造的知性をさっさと振り返るほうがいいでしょう。もちろん、きちんと付け加えていくと、変えないことは悪、とは、いえませんしね。同じにしとけ、というのは、高度な判断配慮の上でのこともあり、そういうところで、余計な手直しをくわえて、ほころびを作りだし全体の価値や満足を下げるだけってことも、可能性としてはありますから。そうして、ポジティブ、ネガティブ、どちらもありますが、こういう場面では、発想法はいりません。

この点はもうすこし、食いついてのべると、「変化のない所には、発想法の活きる余地がない」ということです。マイナス変化であっても、フラットなままよりは物事が回転し始める動力になります。そういうところには、創造性の活きる余地が、大なり小なり必ずあります。でも、終わってしまってか、止まってしまっている世界では、イマジネーションもクリエイティビティも、存在の源泉がない、です。

このほかにも、発想法が役に立たないところはいっぱいありますが、まずはこの問いへの回答としてはここまでにします。



次に、「自分なりの発想法を構築するときに心がけたほうがよいことは?」という問いに答えたくて、うずうずしています。この質問者はすごく面白いコンテンツを紡ぎだす作家さんなので、といも、よくデザインされた問いを、投げてくださったなぁと思います。このまま、続けるのはもったいないので、これは、次のブログ投稿に、しておきます。