誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

もう経済成長至上主義は止めよう!

もう経済成長至上主義は止めよう!

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

当ブログ「マイク丹治の「グローバル・アイ」」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/miketan/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


不安の増幅

日本に元気がない。円高は進むものの、積極的な投資意欲は見られず、皆が下を向いているように思える。これは何故なのか?要は、社会も個人も含めて、急速な変化の流れの中で、不確実性がその不安を呼び起こしているのではないか?

これまで高度経済成長の中で、プラスサムの経済しか経験してこなかった昨今の日本人にとって、ゼロサムへの移行は未経験の世界だ。加えて、そのなかで政治構造も、金融を始めとした経済も、或いは高齢化問題を含めた社会構造も、これまでの日本の成功の原則は全く覆され、すべてが未経験の世界へ放り込まれた状態だ。

国家の領土すら脅かされ、経済は成長力を失い、国家は財政破綻状態で、地域社会・家庭も崩壊、会社は次々と倒産し、収入は増えず、年金の給付は不確かで、犯罪は増加。これまでは仕事に一生懸命尽くすことが、家庭のためでもあり、会社のためでもあり、国のためだった。でも、今やそのどれもが達成可能かどうか分からない、という不安な状況だ。

負担の増加と余裕のなさ

一方で、国民の負担は増えていく。高齢者を抱えていれば、介護や医療の手間やコストは馬鹿にならない。教育費もどんどん高騰する。住宅も、バブル時代よりは安くなったかもしれないが、決してそのコストは小さくはない。様々な新種の病気が発生し、プライバシーも侵害され、夜道も安心しては歩けない。

要は、豊かな生活、便利な生活を追い求めたこの数十年の歴史の中で、我々の生活は知らず知らずのうちに益々リスクが高くなってしまっているのだ。そして、情報社会の影響で、必要以上に流される情報に翻弄され、今あるものを失うことへの恐れから、心の余裕がなくなり、苛立ちの連鎖がいじめとか、子供の虐待などの不幸な事件を起こしていると言っても良いだろう。

意外と幸せな途上国

ちょっと世界の国を比較してみよう。私も今の世界の国をそれぞれ具体的に知っているわけではないが、多分日本を始めとした先進国は、皆多かれ少なかれ同じような状況だろう。だって、ついこの間まで世界をリードしてきたのに、その国力を象徴する経済力は地に落ち、政治も崩壊しているのだから。

一方で、急成長するBRICsは、多分成長の熱気の中で一人一人が少しでも豊かになろうとただただ頑張っているのだろうと思う。戦後の日本がそうであったように。一方で一時は成長したが、その勢いが止まって、まだ貧富の差があるアジアなどの途上国はどうだろう。例えばフィリピン。おそらくアジアでも最も富が一部の金持ちに集中している国だと思う。でも、貧しいながらも国民の目は輝いていて、皆が一生懸命働いていて、結構幸福そうに見える。

実際は、月の家庭の収入が3-4万円というのが当たり前で、一週間に一回も白いコメは食べられないのが通常だ。でも、人々は一生懸命働き、若者たちは出来れば少しでもお金をためて上級学校に行こうとする。そして、誰もが家族のために全力を挙げ、近所が助け合う社会が出来あがっている。

力を抜いて身近な価値を追ってみれば?

これと比較すると、日本は世界第二の経済大国になる過程で、あまりに国も、企業も、個人も、身の丈に合わない目標を目指してきたのではないか?誰もが、車を乗り回し、家を持ち、パソコンや携帯を複数持って、海外旅行をする。確かにそれぞれのことは楽しい、嬉しいと思うが、でもそのためにずいぶん無理をしてきたのではないか?

日本人は、どうも人から抜きんでることを否定し、一方で他人から遅れることを嫌う。つまり皆と同じでいたい、という負の民族性が強いと思われる。だからこそ価値観も比較的画一的にならざるを得ない。そして、隣の人が持っているものは、自分も欲しいと思うようになる。

でも、少し昔を思い出してみよう。私が子供のころは、テレビを持っている家は、近所で1軒だった。だらか、栃錦・若乃花の優勝決定戦は、路地にその家がテレビを出して皆で見た。高峰秀子の「二十四の瞳」では、家を手伝うために学校に行けない子供の家を先生や友達が訪ねて、皆で助けようとしていた。

国民の幸せをどう測るか?

もうそろそろGDPとか経済指標で自分たちの人生を評価するのは止めて、力を抜いてみよう。ちょうど今週のアエラに、小豆島で生活を始めた何人かの話が掲載されていた。それぞれ思いは違うのだと思うが、月の稼ぎは二十万もない状態で、でも家族が力を合わせ、近所とも協力し合いながら、自然の中で子供を育てている、そんな様子が綴られていた。

今一度、ちょっと力を抜いて、自分が出来ることを一歩一歩やってみる、そんなところから個性があふれだすのではないか?今の若い世代は、少し前の世代よりもお金や物に対する執着がないと言われる。これを飽食の時代でものがあふれているから、と原因分析するのも良い。しかし、一方で彼らが少しこれまでと異なる価値観を醸成しつつあるのだとすれば、ひょっとすると日本人は知らず知らずのうちに、生き物としてのあるべき姿に向かっているのかもしれない。