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相変わらず活断層?
マイク丹治の「グローバル・アイ」
相変わらず活断層?
セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。
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今週末も時間がないので、少し早目に。
暑い日が続くが、「暑さ対策」として何があるか?私は、昔から暑がりで、中学校や高等学校の期末試験などでも、1学期がいつも成績が悪く、これを2学期、3学期で取り戻すというのが通例だった。でも、だからといって暑さ対策なるものがあるわけでもない。
今でも、仕事のある日は、毎日長袖のワイシャツを着て、ネクタイをし、背広を着たまま、電車に乗り、行動している。周りの方々からは、暑くないのか?とか、クールビズに影響が出るので止めろとか言われるが、別に冷房を強めろとか言っているわけではないので、大きなお世話だと感じている。
若いころ、ウォールストリートで仕事をしたことがあって、その頃は一流のビジネスマンは、お客様の前などで絶対ネクタイは取らないし、背広も脱がない、シャツの袖もまくらないと教わった。もちろんそのすべてを守り切れているわけではないが、今でもこの習慣は大事にしている。そして、「心頭滅却すれば火もまた涼し」であって、私のような服装でも何とかやっていけるものだ。
ところで、またまたもんじゅの再稼働をめぐって、活断層の有無が話題になっている。本当に理解できないのだが、活断層の存否はすべて確実に分かるのか?どうも、東北大震災のあと、テレビを見ていると、新たに活断層であることが分かったというようなニュースが沢山あったように感じている。
とすれば、今ある技術で分かっている活断層の存否をベースに判断するということで、今分かっていなければ、地震が来てその時の情報を踏まえてみれば活断層があったことがあとで分かったら、その地震で死んだ方は申し訳ありませんが当時は分からなかったので国は責任ありません、ということになる。
これまでも何度も指摘してきたことだが、ともかくまずは先の震災で原発はどうなったのか、これを究明することが先決だ。それすら分からないのに、再稼働の判断が出来るという点が理解できない。仮に百歩譲って、では、福島の現状について想像しうる最悪の事態を想定して、更に東北地震の百倍ー千倍程度の規模を想定して、それでも大丈夫な基準というのなら理解できないでもないが、基準自体我々には良く分からない。
活断層の有無は、あくまで一つの要件であって、本来活断層の存否が確実に分かるものでないとすれば、仮に活断層があっても問題ないように設置すべきではないか?仮に活断層の存否を、現状知り得る範囲としたとしても、福島で地震の影響で原発設備に様々な障害が発生し、更に津波で障害が発生した、という最悪の事態を念頭に、これよりはるかに巨大な地震が来ても、回避できるような施設とすることを前提として再稼働を考えるべきで、やはり拙速感は否めない。
何よりも、これだけ暑い日が続き、熱中症にお気をつけて、という声が毎日のようにマスコミで叫ばれる中、電力不足の声は全く聞こえない。確かに、円安でエネルギー価格の問題はあると思うが、これは徐々にエネルギー源をシフトしていくしかないのであり、原発を求めるということは、わが国は更にエネルギーを使用する社会を目指すのか?と質問したいところだ。より地球環境に優しい社会を目指すのではないのか?