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表現の自由と信仰

表現の自由と信仰

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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このところイスラム関連の事件が巷を賑わしている。まず、フランスの風刺新聞。攻撃したのはアルカイダらしいが、確かにこのような殺戮行為は許されるべきではない。ただ、これが表現の自由の問題として取り上げられ、過去に例を見ないようなパリでの大行進につながったのは、行進そのものは平和的解決を主張するものとしても、ちょっと疑問を感じる。

そもそも表現の自由を含めた人権は、国家に対するものだ。つまり国から強制されないという自由だ。そして、報道は国民が民主主義に基づく参政権を行使する基盤として重要なので、これも表現の自由の一部として理解されている。だが、今回の報道は、あくまで外部の新聞社による風刺であり、国家権力に基づくものではない

加えて、基本的人権のもっとも重要な権利である表現の自由と言えども、何をしても良いわけではない。今回の事件は、自分たちの宗教と異なる宗教における教祖に対する風刺であり、ある意味冒涜と取られても仕方ないものだ。如何に自分の意見を持ち、表現する自由があるとしても、他の人がそれに基づいて生きている根幹である信仰を侮辱するような行為が許されるのだろうか?

ましてや、近世になって政教分離が行われたキリスト教と、未だに宗教そのものが社会の規律に直接つながっているイスラム教とは、宗教の社会における位置づけも異なり、外部の人間はこれを相応に尊重する必要があるのは当然のことではないか?キリスト教の人が、イエス・キリストが冒涜されたらどう反応するのだろうか?

アルカイダのテロによる攻撃はもちろん許されるべきではないが、一方で表現の自由という金科玉条を使って、他人の信仰を冒涜したという自分たちの行為を正当化することもまた、極めて不適切だと感じる。

一方でイスラム国に二人の日本人が拘束され、安倍総理の発表した2億ドルの人道支援に対して、同額の身代金が要求された。既に期限は過ぎているようだが、そもそも何故このようなことが起きたのか、どうすれば解決できるのか?

そもそも本当に二人が拘束されているのか、まだ無事なのか、どのような接触が行われていて、現状どうなっているのかは、相互に重要な機密に属する情報なので、もちろん私には分からない。

ただ、実際にどのような文言が使われたかは別にして、人道支援であろうとなかろうと、「イスラム国対策」として支援を公表すれば、イスラム国のこれまでの行為に鑑みれば、彼らにとってこれに敵対する行為と取られる可能性は認識すべきだったし、ましてや当然政府には二人の日本人が消息を絶っていることは情報として入っていたはずなので、それにも関わらず上記のような支援を公表したこと自体が、政府にとっては熟慮を欠いた極めて初歩的な間違いと言わざるを得ない。

政府は、発表した2億ドルの支援が人道的なものであること主張し、イスラム国の行為が不適切であることを訴えているが、通常の国家に対する支援の要請の中でこれを主張することにはもちろん意味があるが、、そもそも発想の基盤が大きく異なるイスラム国に対してこれを主張しても、意味があるのかなども良く考えてみるべきだ。

例えば、「中東圏における各地の内紛、紛争によって苦しんでいる方々に対する人道支援」という表現であれば、また違った可能性はある。いずれにしても仮に拘束されていることが事実として、二人を救うには、何らかのイスラム国との接触とこれによる交渉が不可欠で、その一つの解決策は2億ドルかどうかは別にして、身代金を払うことかもしれない。

だが、もしそのような解決策を進めるとすれば、金額交渉もさることながら、資金がどう使われるか、金に色はついていないので注意する必要がある。やはりわが国の憲法などとの関係も念頭に、紛争に対する直接の関与は回避すべきだから、人道支援だけを目的とするものということにならざるを得ない。この点を明確にし、更にそれを確実なものとして遂行するため、例えば監視員を数名派遣する(もちろん生命身体の安全は保証していただく)という方法が考えられる

イスラム国内部に人を派遣することで、シリアを中心とした紛争に対し、宗教的な対立のないわが国が、その和平への糸口を探るようなことにつながれば、それこそ安倍総理の積極的平和主義にもつながるのではないか?もちろん危険は伴うし、うまく機能するという保証はないが。

それにしても、以前から述べているように、わが国には全くインテリジェンス機能がないと言わざるを得ない。情報を集めることは重要だが、これをどう解釈し、解釈を踏まえた行動を起こすか、その行動がどのような影響を与えるか、これを考えるのがインテリジェンスだ。今回の人道支援発表は、このような観点での検討すら行われていない極めて稚拙なものだったと言われても仕方ないのではないか、と考える。