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新しいことには取り組んでみたら?

新しいことには取り組んでみたら?

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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先週はマカオに行ってきた。このところ議論のあるIRの件が主な目的だが、マカオも世界最大のカジノ都市となり、更にここ数年で巨大なプロジェクトが6件も完成するということで、規制の強化で売り上げが落ちているという割には活況を呈していた。

すごいなと思ったのは、もともとある意味で地元の裏社会の人が牛耳っていたマカオが、その後海外の資本が入ってくる中で、中国政府の意向もあるのだろうが、徐々に変化しつつあるという点だ。以前は、ラスベガスなどと同じように、カジノフロアーはたばこの煙が一杯という印象だったが、今や喫煙室が用意され、フロアーは禁煙になっている。これはある意味でアメリカより進んでいる。

それに、マネーロンダリングの温床のように言われてきたジャンケットについても、もちろん業務は続いているようだが、かなり厳しい規制がかけられるようになっているようだ。つまり様々な課題が、徐々に解決に向かっているようなのだ。

翻って日本のIRは、昨年の臨時国会での議論が期待されていたが、解散総選挙で法案は廃案となり、一から出直しとなっている。もちろん与党は圧倒的多数だから、その気になれば国会を通すことは出来ると思うが、一方で今国会は予算に加えて安保法制が重要な議題になるので、その審議の流れ次第では、日程的に会期延長しても間に合わないということにもなりかねない。

いずれにしても昨年の通常国会で若干の議論がされて以降、マスコミも含めて若干の盛り上がりを見せているが、やはりギャンブルということの性質上反対の意見もかなりあるのが実情だ。

そして、反対派の論拠の一つが、パチンコなどの依存症の問題であり、依存症患者は500万人いるという厚労省のデータなどが独り歩きし、議員立法のため政府が公式見解を述べることが法案成立前には出来ないこともあって、この依存症問題が引き続きの課題となっている

しかし、ある程度経常的にパチンコで遊ぶ人は、多く見積もってもせいぜい1000万人程度だと見込まれるので、その中の500万人が依存症などということは考えられないし、パチンコは400万台以上あると想定されていて、IRで新たに設置されるスロットマシンはせいぜい1万台と考えれば、これが新たな問題を引き起こすことは想像しがたいことも考え合わせると、そもそも依存症を反論のベースにするのはおかしい。

一方で、パチンコなどが、程度や数は別にして依存症の問題を引き起こしていることは事実で、これがこれまであまり自治体などによって対策が打たれてきていないのも事実と思われるので、IRの議論が高まることでこの問題に日が当たることは良いことであり、IRを誘致したい地域は、逆にパチンコの依存症対策などにも積極的に取り組むことで、住民に対する説明責任を果たすべきだとの議論も成り立つ。

ただ、IRはますます首都圏一極集中が進むわが国において、地方の活性化のためにも、そして海外からの観光客の誘致にとっても、そしてそれらを通じた海外における日本に対する理解の深化にとっても、意義のあるプロジェクトにすることは出来るのであり、問題だけを殊更に取り出して、新たな可能性の芽を摘んでしまうことがないようにしたい

IRはもちろんカジノを含むものだが、カジノの占める位置づけは限られており、その他に多くの異なる顧客を楽しませる機能がある。そして、それを通じて日本に来る方々が増えれば、IRだけでなく他の日本の地域へも人々が訪れることとなり、日本という国をより深く理解いただくことにつながるのだ。

確かに、パチンコの存在や世界最大の競馬、その他の競輪、競艇などの産業を見れば、わが国はある意味ギャンブル大国だと言われても仕方ないと思うが、依存症を始めとした課題には、世界中が様々な工夫をして取り組んできているところであり、このノウハウを生かすことで、問題を解決していくことも出来るはずだ。

もちろん決して簡単なことではないと思うが、入り口で反対するのではなく、世界において相応に問題解決をしながら進めてきた実例があるのであれば、それも参考にしてわが国独自の解決策を見つけ出していくという覚悟で、是非意義ある新たな挑戦に向かって行って欲しいと考える。