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英語の公用語化には限界が
マイク丹治の「グローバル・アイ」
英語の公用語化には限界が
セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。
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先週から1週間、海外を飛び回っていたので、今週は簡単に。
最近大手企業で英語を公用語にするというところが増えている。私自身、昔銀行時代に、北米から戻った後英語の公用語化を主張したことがある。格付け会社との議論などをする中で、日本の経営の海外への説明のむずかしさを痛感したことが一つの要因だった。
経済レベルでの国際化が進む中で、必要性は理解できるのだが、一方で本当に現実的かと考えると、ちょっと疑問も出てくる。
日本で事業を行う外資系企業の採用ではTOEIC715点から730点が英語のレベルの要請だと思うが、この点数で本当に英語で仕事が出来るかというと、全く不可能と言って差し支えない。必ずしも数字ですべてが決まるものでもないが、私のイメージでは930点程度が必要なレベル。日本国内にこのレベルの人間がどれだけいるかというと、極めて限られていることが分かる。
もちろん、アジアなど海外から人を登用するためにも環境を整える必要があるのは事実だが、例えばアジア人同士で英語でコミュニケーションするとなると、お互いが曖昧で結構リスクがあるのではという気がする。彼らの英語もまた本物ではないのだ。
私自身、実際に米国で米国のマネジメントと日本のマネジメントが案件の処理に関して相当深刻な議論をする場面に同席したことがある。日本側も留学経験もある英語のレベルのかなり高い人間だったが、話を横から聞いていて、明らかに同じ内容について相互に言葉の意味は理解しつつ、実際の考え方が正反対に理解されているのを目撃したことがある。
つまり重要な意思決定を伴う社内のコミュニケーションにおいて、英語のレベルも限られている日本人がすべてを英語で伝えるというのはかえってコストがかかりリスクが増すような気がするのだ。そもそも国内に特化した通常の業務であれば、それをお互いにカタコトの英語で伝えることは極めて非効率だ。
何も英語を勉強するなということではないが、例えば国際事業とか、社内全員が共有すべき経営方針だとか、日々の経営管理・財務・人事などについては、ある程度きちんと日本語・英語両方で開示し、日本人も英語においても理解し説明できるようにする、ということで良いのではないか?
そもそもエンロン事件を契機とした内部統制や、デリバティブを契機としたリーマンショックなどを勘案すれば、欧米流の手法がすべて正しいわけでもないのは明らかだ。英語が必要なのが事業推進に当たっての意思疎通のためだとすれば、その部分に限って対応すれば済むはずだ。
それよりはおそらく一番大事なのは、英語という言語の持つ論理性だろう。格付け機関との対応においても、この問題はどう対応するのか、と聞かれると「適時適切に」と答えるのが、これまでの日本の経営者。これでは全く意味不明だ。
まずは結論があり、それからその根拠を具体的・簡潔に説明する、というような業務に関する意思疎通のあり方については、英語に学ぶべき点は多い。これが日本語においても醸成できれば、意志疎通のトラブルは少なくなると思う。
公用語化という大英断の前に、もう少しバランスの取れた適切なステップがあると私は考える。