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太陽光より贅沢を止めるほうが先では?
マイク丹治の「グローバル・アイ」
太陽光より贅沢を止めるほうが先では?
セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。
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菅政権でも太陽光発電の積極活用が示唆されている。神奈川の黒岩知事はこれを一つの争点として選挙を戦った。この裏には高速道路無料化を唱えたある人物がいるらしい。でも、思い起こしてみれば、高速道路無料化は車社会の益々の発達につながるもので、太陽光による省電力とか排出ガス削減とは正反対だ。どうも、整合性がないし、その後の高速道路無料化をめぐる右往左往を思い起こせば、これらの議論はそれぞれ十分な検証がないまま導入されているとしか思えない。
まず、発電事業の専門家から言わせると、太陽光はそのパネルの中心をなすシリコン製造に大量の電力を要するので、製造工程まで含めて言うと必ずしもエコではないらしい。もちろんシリコン以外の結晶を使えば違うのかもしれないが、現状はシリコン製造に石炭火力を使っており、その排出する二酸化炭素をどうするかが課題だそうだ。だから太陽光の推進は、実は代替電力の推進につながるとは必ずしも言えないのだ。こんなことも十分検証せず飛びつく政治家たちに任せることは危険ではないか?
私は、今回の事故で原発については人類はコントロールできないと立証されたので、原発はなくしていく必要があると考えている。従って、これに代わる電力がある程度必要なのは理解するし、これが自然エネルギーであれば排出ガスの削減にもつながり素晴らしいと考える。ただ、化石燃料であろうと、ウラニウムであろうと、太陽の光であろうと、海洋の波であろうと、それを違うエネルギーに変換するということは、生態系に影響を及ぼす可能性が皆無ではないとも考える。
だから、今の我々の生活を所与として、更により便利な暮らしを求めるのが当たり前で、そのためにあらゆる工夫をして(それが例えば太陽光だ)、電力を確保しようという態度そのものを改める必要があるのではないか、とも思っている。
関東圏で、電力が不足する可能性が指摘されている。だが、何も新たな電力を求めなくても良いのではとも思う。近いうちに関東圏でも震災の危険があることから、一極集中は早急に回避することが求められる。とすれば、すぐに関西圏への移住を推奨するということで、人口や工場の削減を進めれば良い。一部の企業が既に始めているように、稼働曜日をずらすとか稼働時刻をずらすなどで、ピーク時を平準化するのも一つだ。
そもそも皆が同じ時刻に混雑した電車に乗って、オフィスで仕事をするというのも改めれば良い。原則として自宅でインターネットと電話で仕事をすることにすれば、少なくとも会社の冷房や電灯は不要で、都心も涼しくなるし、自宅であれば窓を開けられるからエアコンも使う必要は減じる。加えて電車の本数も減らせるので、節電の効果は著しいと思われる。
もっと言えば、自家用車の使用を特に平日の昼間の都心などで禁止すれば、排気ガスや車のエアコンから発する熱風なども減らせるので、これも効果は大きい。要は、多少不便を覚悟で生活・業務スタイルを変更すれば、まず問題なく電力不足には対応できるのだ。加えて、関東圏に集中している方々に、出身地へ戻って自宅から勤務できるようにすれば、一極集中の回避と地方の活性化にもつながる。
少し時間をかけるとすれば、屋上緑化や壁面緑化も積極的に進めれば良い。使用電力の平準化という意味では、夜間蓄電などももっと活用して良いのではないか?要は、相変わらず飽食の時代の生活を夢見て、結果として効果のない大投資をするよりは、生活のあり方を見直して、自宅勤務であまり混んでいない公共交通手段を使う、ゆとりのある生活を目指したほうが良いと考えるのだ。その方が効率が上がり、パネルを作るより違うところで経済の活性化に結びつくのではないか?