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まだ道半ばの被災地復興

まだ道半ばの被災地復興

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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昨日まで、東北に行ってきました。17日岩手、18日宮城、19日福島で、岩手では現地の行政の方と一緒に大船渡、陸前高田を見てきました。18日は、現地の地方議員の方と復興策について情報交換をさせていただきました。福島は、私の両親の出身地であり、父親の墓参りと親戚への挨拶を兼ねて参りましたが、墓参りの途上で大きなな余震に遭いました。寺の本殿が大きく傾ぐような揺れでしたが、もちろん3月11日の時よりははるかに弱いものだと思います。

大船渡は、積み出し港の方を中心に見たので、漁村側は拝見できませんでしたから、ある程度整理されている印象でしたが、陸前高田の方は気仙川を相当津波が登ったようで、随分広大な地域が被災していると感じました。

以前震災直後に南相馬を見たときは、2キロ四方くらいが何も残っていないのに愕然としましたが、陸前高田では、瓦礫などはある程度整理されているものの、海岸線の松林がすべてなくなり、国道から500メートル先にあった海辺がすぐ近くまで来ているのが良く分かりました。そして国道沿いのマンションの4階まで津波が押し寄せた様子が見て取れ、その威力の大きさに驚きます。有名な避難場所となった体育館も残っていました。高さが足りず、ここに避難した方々は全員助からなかったということです。

一方で、南相馬の際も思いましたが、被災した地域と連続している地域は、無傷のところも多くあり、今後の復興の進め方に課題を投げかけていると感じます。被災地の方々は一刻でも早く戻って、仕事や生活を始めたい気持ちがあるでしょうし、一方で例えば地盤が沈んでいるとか、海が瓦礫の山だとか、土地が塩をかぶっているとか、そもそも人がいないとか、いろいろな事情で簡単に復興が成り立たないのだろうと思われます。

一方でその隣で通常の生活は一応出来ているものの、経済活動の低下で苦境にある方々もいらっしゃると思います。このような状況をどう立て直すのか、ただ単純に土木工事をしてというレベルではなく、当面の生活を支えながら、直接の被災の少ない地域も巻き込んだ広域での、しかも地元の方々の参画による計画作りが不可欠です。

どう考えても、まだまだ復興は始まっていないと感じましたし、元々東北に地縁のある身で、また日本人として、何が出来るのか真剣に考えなくてはならないと思っています。電力不足で、土日操業にした工場の従業員のために、公営の保育所を開く必要が出来て、結果としてコストがかかったが、これをどう処理すれば良いのかという議論が起きている、などという話も聞きました。

地域の住民が助け合ってこれからの社会を作っていく上で、これまでの効率だけを追い求めるやり方とは違う考え方・仕組みが必要になってくるのではないでしょうか?これから北米に出張なので、今日はこのくらいにしておきます。