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日本流は何なのだろうか?

日本流は何なのだろうか?

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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このところ海外が多く、なかなか時間が取れない。ということで今週も遅れているが、今マカオからのブログ。

と言っても、話題は先週いたメキシコから。とある案件で、現地の会社との契約交渉を始めた。基本的な商売の中身を念頭に、日本側の利益を確保し、日本側を守るという観点で、現地の法律事務所と調整して案を作成して、先方に提示したが、これに対する反応が極めてネガティブだったのには驚いた。

先方もメキシコと極めて近い米国で教育を受けた人間なのだが、どうも我々の案が米国的な考え方に支配されていて、メキシコ企業とビジネス・パートナーとして一緒にやって行こうというように見えないというのが、その最大のコメントだ。

確かに、私も米国で長く金融の契約などに関わってきたので、考え方は多少米国流になっているのだろうと思うが、隣国のメキシコの人からのコメントなので、驚きは大きかった。しかし、例えば銀行の貸付でも、もちろん仕組み的に日本の場合は銀行保護の発想から銀行優位という原則があることもあるが、日本では極めて簡易な契約書であるのが通常だ。

それが、米国に行けば、判例法主義という法律体系の違いもあるが、数十ページにわたる契約書になる。これはやはり訴訟を前提として、もっと言えば性悪説を前提に出来ている仕組みなのだろう。でも、本当に誰かと仕事をしようとすると、どんなに契約書に書いても争いになれば意味がないということも考えられる。

以前いたゲーム機の会社でも、契約書の交渉の際にトップから「信頼できるかが一番大事、契約書に時間をかけるのは無駄」と言われたことがあるが、確かに正しいと改めて感じた。米国のやり方がすべていけないということではないと思うが、戦後米国に追い付け追い越せで来たわが国が、結果としてちょっと歪んでしまったのかな、とも感じる。

この間書いたインドのケースもそうだが、もちろんビジネスなのでシビアにやるべき点は多々あるが、ある程度信頼関係を構築して思い切って進めるという観点も必要な気がする。考えてみれば、中国流、インド流、フランス流、米国流、いろいろなビジネスの進め方があるが、では日本流は何なのか、今一度考えてみても良いのではないか?

そして、一方でベンチャーの経営者が概して目標管理や経営管理に目が向かず、資金を出す方はリスクを考え過ぎて資金が出ないという、わが国の産業を発展させていく上での根本的な背景の問題をもっと考えてみるべきだろう。

アイデアはあるが、これを事業に結びつけるマネジメントの能力を醸成していない。実際に金を手に入れると、これをどう効率的に使って事業の実現に結びつけるかという戦略なしに野放図に金を使う。将来のビジネスなのに、実績がないと金が出ない。サラリーマン根性で、あらゆることに消極的にしか対応できない。会社や組織を守ることだけで精一杯で、事業の発展のための試みにはネガティブ。そして、交渉においても自らの流儀を持たず、ただ保守的に対応するだけ。

どうもわが国のビジネス・産業のすべての仕組みが劣化しているようにしか考えられない。もっと前向きに、ある程度冒険をしてみる、そのために自分の判断の明確な基準を構築していく、ということを考えるべきだろう。日本の戦後の発展は、海外との様々な事業の中で、相手とシビアな交渉をしつつも、相手の考え方を理解し、それを取り入れながら信頼関係を構築くしてきたからではないか?どうも、経済大国になった今、この原点が忘れられてきているようにも感じる。