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日本社会の試練
マイク丹治の「グローバル・アイ」
日本社会の試練
セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。
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またまた週末が詰まっているので、早めに簡単に!
既に物議をかもしだしているが、芦田愛菜というとても可愛い子役がテレビに出まくっている。本人がどう思っているのか、或いは両親がどう考えているのかはさておき、ある報道で指摘されていたことだが、広告のお披露目などは業界の常識で午前中に実施するので、芦田嬢もこれに従って学校を休んで出ざるを得ないのだろうとあった。
もしこれが事実だとすると、さすがに如何なものかと思う。もちろんそもそもご両親が今のうちに子供を使って出来るだけ儲けたいから、時間帯などどうでもよい、ということもあり得なくはないが、少なくとも児童に出演を依頼する側とすれば、当然その学業への影響を想定して、自らが無理をすべきであり、これを業界の常識などと言って済ますことはあり得ない。
このあたりが、わが国がいつのまにか社会の基準を失い、自由主義に伴う責任を忘れて暴走している実例だろうと感じる。資本主義の権化である米国では、デリバティブを始めとして好ましくないものが多数生まれているのは事実だ。それでも企業の目的は収益だけではない、という意識はわが国より圧倒的に高い。
欧米がすべてというつもりは毛頭ないが、その文化の悪弊だけをものすごい勢いで吸収しているわが国ほどみじめな国はない。子供があまりに大人と同化しすぎた社会、それが日本であることは間違いない。もっと子供を子供として区別する、そしてその中で人格を重んじ社会全体で守るという当たり前の発想が必要ではないか?大人と同じに扱うことが子供の人格を重んじることではないと考える。
また、国の事業仕分けが進んでいる。大学教育で面白い事項があった。東京大学など日本で一流と言われる大学が、世界のランキングで低位をさまよっていることへの不安だ。それでこのランキングをどう上げるかという議論になる。金をかければ良いのか?そもそもランキングは何を表しているのか?
優秀な学生をわが国に呼び込み、結果として文化、社会、経済にプラスの効果を与えるという意味で、大学の意義は大きいことは言うまでもない。ただ、今議論されているランキングがすべてなのかは良く分からない。確かに一つの尺度で見て、その上でも良いスコアを求めたいのは当然だ。
だが、問題はそもそもわが国において、大学に何を求めるか、そしてその大学でどのような人材を育てたいと思うか、更にはそれが海外の学生を含めてどれだけ魅力があるか、ということではないか?そしてそれ以上に、ランキングの項目などという形式的なことの前に、わが国で一応最高学府と言われている東京大学を出た政治家や行政マン、企業の経営者が多数いる中で、現状の政治、社会、経済構造の危機的状況を脱することが出来ないということをどう考えるかがより重要ではないか?
いつに始まったことかは分からないが、残念ながらわが国において人材を育てるという意味で、国立大学教育が崩壊をしてきた、つまりどの分野でも本当に国民のため、社会のため、世界のため、知力を振り絞るステイツマンを育ててこなかったのは、残念ながら明白だ。だから、秋から授業を始めるとかいうことではなく、或いはスコアを上げるということでもなく、思い切って一度東大や京大をなくしてみたらどうか?これまでの仕組みをちょっと改めてという手法自体が成り立たないとすれば、大学などなくしても社会が困ることはないのだから、思い切って対策が打ちやすいのでは、と思ったりする。