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経済より目を向けるべきことがあるのでは?

経済より目を向けるべきことがあるのでは?

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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何度も書いているが、原発の話になると、一方で「廃止を訴えている人たちは本当に電力不足の状況になることを覚悟しているのか」という議論が出る。財政危機にあり、かつ欧州を始めとした金融危機の中で、成長力を失っているわが国にとって、世界に誇る産業の育成だけが、国民生活を守る最大の領域であり、これを支える電力の供給は不可欠だ、という議論の延長だ。

でも、本当にそうだろうか?もちろん戦後のわが国は、産業が驚くべき勢いで発展し、それがそれぞれの企業に勤める従業員=国民の生活を支え、また国家のGDPを引き上げ、その結果として、これだけ豊かな暮らしを出来るようになったのは事実だ。

だが、その結果として、今でこそまだ社会保険は機能しているように見えるが、将来的には明らかに給付に制約が発生するし、安全神話も崩壊しつつあり、いじめや陰惨な事件も増加し、産業の競争力は低下して雇用を維持できなくなり、更に悪化した財政負担にあえいでいる。

要は、一時的に豊かな暮らしは実現したが、実はそれは永続性のあるものではなく、皆が将来におびえる状況なのだ。つまり、我々の暮らしが経済的に豊かであることは、長い歴史の中で一時的なものであるということだ。でも、日本という国は存在し続けたし、それ相応に豊かな文化が育ってきたということは、国民は経済的豊かさに依存せずに幸福を感じてきたということだ

だとすれば、国民に覚悟はあるのか、という問いは、極めて僭越なものであり、社会の様々な領域の中で何を重視することが一番国家としての国民に対して果たすべき役割として重要かというのは、戦後の一時期の記憶にとらわれることなく、ましてや既に綻びの見えつつある欧米の考え方だけに拘泥するべきでもない。

やはり近代国家の最大の国民に対する責務、つまり国民の命を守るということに、まずは重点を置くべきではないのだろうか?それが、経済発展の御旗のもとに、平気で原発の工事が続けられ、また経済界が平気で国民の命より産業育成というような風潮で話すこと自体、不思議としか言いようがない。

これまでの先進国であった欧米の仕組みが、様々な問題を露呈する中で、バングラのマイクロファイナンスを始めとして、所謂自由市場主義だけでは発想も出来ない新たな価値観、或いは社会の仕組みが、それこそまだ本当に発展の端緒にある国々で見られる。今こそ我々は奢りを捨てて、彼らの様々な試みに学ぶべきではないか?

常に変わりゆく社会の中で、自ら変革する意欲のない組織や人々、そして国家は滅びてゆく。これは、おそらく人類というまだよちよち歩きの生き物が、その短い歴史の中で唯一体得した真理かもしれない。今こそ、発想を大きく転換して、産業や経済的豊かさを忘れてみるべき時だと考える。