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官僚国家における経営責任

官僚国家における経営責任

マイク 丹治

セールスジャパンという、中小企業・ベンチャー企業向けの営業代行・販路開拓の会社で会長を務める傍ら、いくつかの会社の顧問に就任しており、更に政策シンクタンク・構想日本で政策提言を行っています。

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JALの経営責任

この間、JALの経営破たんの責任は経営陣にあるとの新聞記事を見た。もちろんここまで債務の圧縮などを求めざるを得ないのだから、経営者に責任がないということにはならないだろう。しかし、本当に経営者だけが責められるべきなのか、私はちょっと疑問を感じる。

JALは航空会社であり、民間企業とはいえ、様々な形で当局の規制や指導を受けている。また、航空行政の中で新設空港への路線設定など、行政の要請に応えざるを得ないケースも多々あると考えられる。要は規制業種なのだ。つまり経営の自由度は決して高いわけではない。だから、JALの経営がおかしくなったことには、行政当局の指導や政策にかかる部分も相応にあると推察するのが常識だろう。

しかし、行政はそもそもその法律から規則まで自分で作るわけだから、とても巧妙で、何か起きてもそれは企業が自分の意思で実施したこと、という形に法律上なるように、逆に言えば行政が責任を取ることのないように、最初からルールを決めている。このことが、とくに規制業種と呼ばれる分野で、行政の指導に従って経営した結果として破たんした場合に、行政側がその責任を転嫁する目的で、経営者の責任を追及するような土壌づくりをする所以ではないだろうか?

規制業種の経営破たん

そもそもわが国経済のGDPで見れば70%以上が第三次産業である。そして第三次産業はほとんどが規制業種なのだ。その典型が銀行などの金融機関。私が以前勤めていた長銀も破綻し、外資系のファンドに買収された後、以前の経営者が銀行から訴訟を受け、同時に一部の経営者は刑事責任まで問われる事態になった。

訴訟の詳細は私は不勉強で知らないが、結論は経営者たちの勝訴だったと認識している。つまり、経営環境が厳しい中で、様々な経営努力をして結果として残念ながら損失を出し、破たんに陥った、ということについて、意図的に破たんさせる目的があったとか、私利私欲を満足させるためにやった、とかがない限り、損害賠償や刑事責任を問うのはさすがに法的に難しいと感じるのだ。

長銀では、一連の破たんに至る過程で、当時の経営トップが自殺するという痛ましい事件が起きた。私も海外勤務で薫陶を受けた方で、大変なショックを受けたが、その後自分に来た年賀状を整理していて、亡くなった方からの年賀状に、「周りの景色が変わってしまった」というメモが書かれているのを発見した。これは一言で言えば、当時の大蔵省の対応が手の平返しだったということと解釈した。

銀行は、金融当局の指導・規制を受けており、更に厳しい検査も受けている。そして、経済の血液と呼ばれるお金の流通に関わっていることから、相当事細かに当局にお伺いを立て承認を得て経営を進める形になっている。長銀は不良資産が積み上がり厳しい状況に陥ったわけだが、その過程で相応に当局との調整などはあったはずで、それがある日突然当局がすべての責任を経営者に押し付けてくる、そのことにこの亡くなった先輩は耐えられなかったのだろうと思う。

なんで一億円の報酬が高いというのか?

そして、このような行政の行動は、規制業種と言われるところではあらゆるところで起きていると私は思っている。その一方で、一億円以上の報酬の経営者は公表され、如何にも高給取りとして、いわば無言の批判を浴びる立場である。

米国のエンロン事件などを契機として、コンプライアンスとか内部統制で企業に無用の負担とコストを押し付け、本来監査責任を負うべき監査法人は、高額のフィーを取りながら一切自ら判断せず、すべてを現在価値で計上させることで、企業の負担をさらに押し上げ、更に経営に多大の影響を与える当局は自らは責任を負わず、世論の流れに従って手のひら返し、こんな状況で経営責任を一手に負う経営者が一億円ももらえなくて、経営者を続けていられると言うのだろうか?

一億総被害者・弱者の日本人

日本の社会は、何故か個々の個人は皆が自分は弱者であり、何か起きても政治や政府或いは企業が悪いといって自分の負うべきリスクや責任を回避し、一方で企業やその経営者は儲けているからすべての責任を負うべきだという風潮だ。それが最近よく起きる無責任な遭難事故などにも表れている。

この間もスイスやラスベガスで事故が起こったが、テレビの報道で、旅行会社が見舞金しか出さないことに対する批判めいたことを言っていた。だが、旅行会社には責任はないのは明白であり、それにも関わらず見舞金が出るだけでも素晴らしい。旅行に行けば、それなりにリスクがあるのは当たり前。それは自分で取るしかない、という当たり前のことが分からないのは何故だろう。

以前六本木ヒルズで回転ドアに挟まれて子供が亡くなったが、これもアメリカであれば多分母親は殺人罪になる。自分の子供の安全を守るのは母親の責任であり、危険な回転ドアがあるところで、目を離したことはそれ自体が一人の人間である自分の子供を殺したことと同じだという論理だ。でも、日本では可哀そうな母親、これで正常な企業社会、経済が維持できるとは私には思えない。