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末端の人間が真相を知ることができるか。評論家は2種類に分かれる?

末端の人間が真相を知ることができるか。評論家は2種類に分かれる?

永松 和洋

ポスドク&非常勤講師生活を経て、私立大学の教育・研究職に従事する一方でポスドク時代に不動産投資を開始。職場の行き帰りの生活だけでは極めて危ういことを知るに至り、現在は会社・社会・国に過度に依存しない生き方を少しずつ実践中。

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図  情報の的、情報の外挿は、中心を射ることができるか? 
    ●は持っている情報を示す。中心が真実。図は、中心を射ることができない通常の例


当たり前の話といえば、当たり前なのですが、例えば、今回の相撲の事件でもそうなのですが、結論から言えば、当事者以外は決して真実を知ることはできないということです。なのに、我々は時として、断片的な情報だけを広い集めて、情報の外挿を行い、わかったような気分にだけなります。

・情報の階層構造

相撲の場合でいえば、真実から遠ざかるごとに階層を列挙してみると、

① 当事者
② 相撲部屋部屋・親方
③ 相撲協会
④ 記者
⑤ テレビ・新聞・雑誌など
⑥ 我々一般庶民(⑤から仕入れる情報)
⑦ 我々一般庶民(独自の判断)

少なくとも、5回くらいの伝言ゲームを経て我々の元に情報がやってきます。小学校の朝礼で伝言ゲームをやった時、簡単なフレーズであったとしても、最後までしっかり伝わるということは中々難しかったのを記憶しております。誰かに伝えるたびに、言い回しやニュアンスが変化するでしょうから、そもそも原形をとどめていないかもしれません。

・野球のヒーローインタビューの事例

去年のことだったと思うのですが、プロ野球で試合後のヒーローインタビューの生の様子をテレビで見ておりました。その日のスポーツニュースを見ていたら、たまたま、そのヒーローインタビューの様子が映像そのものではなく、要約された形でアナウンサーが伝えておりました。その2つを聞き比べて、ずいぶんと違った印象を受けました。
このたった1回の伝言ゲームでも時として、情報に変化がもたらされてしまうので、1次情報を直接手に入れることができない以上、憶測で結論めいたことを認識するのは危険ですし、わかった気分になるのも、よろしくはないという気持ちを新たにします。

・評論家には2種類?

評論家的な人が、一体どの階層に属しているかというのも重要なファクターになると思います。例えば、今は④か⑤の立場にいるが、元々は、①や②の立場にいた人。そもそも、①や②の立場にいたことが一度もない人。前者と後者でずいぶん違うと思います。

前者の代表は、野球評論家といわれる人かなと思います。現役時代ばりばりと一流選手として活躍していた方が引退後、評論家になるケースがあると思います。一方で、そうでない人がどこまで内情を知りうるかという点については常に疑問が残ります。

・事実と意見で使い分け

ただ、外にいる人が先入観のない意見を言うことは重要だと思いますが、純粋に事実を知る、事実を伝えるという点においては、注意が必要であるということを、不祥事が起こるたびに改めて認識する次第であります。
大々的に報道されるような事件でなくても、単にうわさのようなものでもいいですが、自分がいつもとは違う階層にいらる場合に実感できるのではないでしょうか?
憶測はあくまで憶測であり事実ではないという当たり前のことが、まかり通らないことも少なくないということですね。