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2050年8月15日
理系博士研究者の一人が考えるビジネスマインドと実践例
2050年8月15日
ポスドク&非常勤講師生活を経て、私立大学の教育・研究職に従事する一方でポスドク時代に不動産投資を開始。職場の行き帰りの生活だけでは極めて危ういことを知るに至り、現在は会社・社会・国に過度に依存しない生き方を少しずつ実践中。
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本日は、靖国神社へ参拝に参りました。
大勢の人が訪れていました。
40年後か50年かはわかりませんが、
いずれ必ずやってくるのが、この日です。
仮に2050年8月15日としましょう。
新聞の見出しに、
「最後の戦前生まれ」 とか
「全ての日本人、戦後生まれへ」
と書かれる日が必ずやってきます。
全ての日本人が戦後生まれになって、初めて
やってくる終戦記念日が2050年頃でしょうか。
そうなっても、変わらず、平和を維持できるでしょうか。
ネットで調べてみると、核保有国もしくは、疑わしい国は16カ国余り
存在するようです。核弾頭の数は、2万発。
地球を一体、何度破壊することができるのでしょうか。
今までに人間に使われた核兵器の数は、広島と長崎の2発。
確率にして、2万分の2とすると、今後も1発たりとも、
核兵器が使われない確率は、
十分に高くはないかもしれません。
1度あるかないかの話に、確率論を持ち込むのは
甚だ愚かなことであるとしても、今まで、日本が
戦後、平和に暮らせてこられたことは奇跡に近いとも思います。
今でも、この地球上で、争いが絶えず続いていることは事実で、
経済やビジネスの話で、盛んにグローバル化という言葉が聞かれますが、
ということは、その争いが、いつ、日本に飛び火しても
何の不思議もないということですね。
リーマンショックの波が押し寄せるように。
平和というインフラが盤石であるのか、風前のともしび、であるのか
改めて考えされられます。
ネットで調べると、「もはや戦後ではない」という言葉が登場したのは、
1956年のことのようです。
ですが、
基地の問題、
甲子園での高校野球の空襲警報、
サラリーマンの多さ
などから、今でも、戦後を強く実感できますし、
原爆症で苦しむ人々、
戦争で家族を亡くした人々の存在が、
戦争が未だに続いていることの証明でもあります。
私の祖父も兵隊として戦地で闘い、何とか生きて帰ってきたという話を
母から聞かされたことがあります。
一年に一度、この8月に
足元を見つめなおす機会が
未来永劫続いていただきたいと願います。
過去を振り返ることではなく、
「戦後」という言葉は、永遠に現在進行形であるべきと考えます。
平和に勝るインフラなし。
地球に勝るインフラなし。
新聞の見出し と書きましたが、
2050年には、既に紙媒体の新聞は
ないかもしれませんし、
メディアの在り方も、きっと、大きく変わっているのではと思います。
あくまで、平和を維持できればの話ではありますが。
唯一の被爆国として、
世界中の非核化をもっと強く訴えるべきですし、
更に、高々数十年前まで、
軍国主義に走っていた国家が、平和憲法を得て、
ここまで変わることができたという事実こそ、
日本だけが、世界にアピールできる点なのでは
とも思います。