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「自分を変えれば、問題はすべて解決する」なんて思ってませんか?

「自分を変えれば、問題はすべて解決する」なんて思ってませんか?

大森 洋明

REBT心理士。うつ状態から回復した経験を経て、SEからカウンセラーへの転身を図りつつ、カウンセリングを世の中に浸透させようと奮闘中。座右の銘は、菅沼憲治先生に頂いた「生死一期」という言葉。

当ブログ「あなたが持つカウンセリングのイメージは間違っている!! …可能性が高いですよ」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/t2k/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 表題は「すべて」と書いていますが、「すべては無理じゃね?」という話と、「この手の言葉の解釈を間違えると、痛い目にあいますよ」という話です。

 自分を変えるとはいっても、何かに気づく、何かを教わる、行動をを変えるなど様々な変わり方があるわけですが、ここではこのような話題のときに比較的多い(気がする)、出来事に対する考え方捉え方(以下、大まかに認知とする)を変えることを指すと仮定して話を進めてみましょう。

 以下の例は認知を扱うカウンセリングで、具体的なたとえ話としてよく出てくるものです。

 水が半分まで入ったコップがあります。
「水が半分しか入っていない」と捉えた場合と、
「水がまだ半分も入っている」と捉えた場合、
 どちらが、あなたはより安心しますか?

 この文章に、一文加えます。

 今、あなたは砂漠のど真ん中にいます。
 水が半分まで入ったコップがあります。
「水が半分しか入っていない」と捉えた場合と、
「水がまだ半分も入っている」と捉えた場合、
 どちらが、あなたはより安心しますか?

 ・・・安心しますか?

 認知を変えることで、何か問題が解決しそうな気がするでしょうか?
 上述の例はあまり一般的な事象ではないかもしれませんが、心の問題と現実の問題を分けて考えて、どの問題にどのように対処していくかを考える必要があるケースというのは少なくありません。

 たとえば、上司のパワハラに悩んでいる社員がいたとして、もしその社員が「パワハラをするような人がいるのは、残念だが仕方がないことだ」という感じに考え方を変えることができたとしましょう。 パワハラをパワハラと感じなくすることで問題が解決しているように思う人もいるかもしれませんが、パワハラがなくならない限り問題は続きます
 そもそもパワハラ自体が犯罪行為であり、会社にとってその上司の行為は大きな危険要因であるという認識を社員が共有し、改善の努力をしていく必要があります。

 また、ある社員が会社での成績が悪いと悩んでいる場合、本人が自分の成績を過小評価しているだけであれば捉え方を変えれば解決するかもしれません。 が、著しく成果が悪い場合などは現実的にどうしていくかを考え、対処していく必要があるでしょう。

 どんな問題に対しても「自分の考え方を変えれば、世界が変わる。 これで問題は解決する」という(言葉足らずの)言葉を押し付ける人がいたとしたら、声のかけ方によっては(押し付けた人の思惑がどうあれ)その言葉自体が相手を苦しめる結果になりかねません。

 自己実現に向けて動いていく中で現状に不満を持つ人に「現状に満足できるよう、考え方を変えろ」と声をかけたとすれば、捉え方によってはその言葉は「永遠に自己実現させるな」と言っているように聞こえているかもしれません。

 上述のような事態になる場合には大抵、言葉の解釈にいくつかの間違いを含んでいます。
 それは、目標の設定の仕方の間違いと、1回認知を変えただけで対処した(対処が終わった)という思い込みです。

 まず、目標を決める時には、いくつかの注意するべき点があります。

  • 変えることのできる問題と変えることのできない問題を区別すること

 変えることのできる問題変えることのできない問題というものが存在することを認識し、それぞれに対応していく必要があります。 分かりやすいところで言えば、過去に起こった出来事が問題なのだとしたら、その出来事自体を変えることはできません。 変えられない問題には、じっと耐えるなり受け入れるなりして対応するほかないのです。

  • 短絡的ではなく、中長期的視野で具体的な目標を設定する

 自傷や犯罪などはもちろんですが、それ以外にも気をつけた方がいい目標設定があります。
 たとえば、友達が少なくて悩んでいる場合、友達を作るという目標では具体性がありません。 友達がいなくても悲しくならないようにという目標では、中長期的視野で見たときにより良い方向に進むかという部分に疑問が残ります。
 そこで、このような場合には、「失敗を恐れず、友達になってほしいと声をかけることができるようにする」という感じに決めるといいでしょう。

  • 自分の行動の決定権は、自分にあることを認識する

 自分にとっての権威者(偉い人、上司、みんななど)の言葉を鵜呑みにするのではなく、権威者の言葉を参考にすることはあったとしても、あくまで自分で決定することが重要です。

  • 自分で決定する重要性を認識する

 普段、誰かにやらされていると感じるようなことでも、実はいくつかの選択肢があって、その中から自分で行動を選んでいるといえます。
 その選択肢を意識的に自分の意思で選択することが、とても重要です。

 後ろ2つは目標を決めるときだけではなく、何かを決めるとき全般に言えることです。

 目標には感情面での目標を立てるときもありますが、基本的には現実的にとることのできる行動を目標にします。 行動を目標にすることで成果が見た目に現れるため、対処が単に自分の心をごまかしているだけになってしまうのを防ぐことができます。

 行動はエスカレートした感情により阻害されることがあります。
 たとえば、適度な怒りは自発的な行動を促す発端となることもありますが、過度な怒りは全身に力を込め冷静さを失わせ衝動的な行動に走らせます。 適度な不安は危険を予測するのに役立ちますが、過度な不安は身体を緊張させ行動を制限します。

 そこで、認知を変える話が出てきます。

 認知を変えることで、感情を操作することができます。
 目標への行動を阻害する感情がある場合、認知を変えることで感情を健康的な範囲にし、自分の力で行動して目標を達成できるようにするのです。

 しかし、行動できたからといって必ずしも目標が達成できるとは限りませんし、目標が達成されたからといって必ずしも問題が解決するとは限りません。 問題が解決していない場合は、目標を見直して設定しなおし、何度も仮説を検証したり、自分の行動を数値化して測定したりしながら科学的な思考に基づいて対応していきます。
 もちろんその過程で行動を阻害する感情がある場合は、新たに発見された非機能的な認知を何度でも柔軟で現実的な認知へと変えていきます。

 当たり前のようですが、ここまでを考えに含めてみるとすべてではないにしろ、自分を変えることで様々な多くの問題に対応できることが分かるのではないかと思います。

 以前、日本人生哲学感情心理学会会長の菅沼憲治先生に「生死一期」という言葉を頂き、私はそれを座右の銘にしました。 別に一子相伝的な凄い話ではなくて、単にサインをもらったときに書いてあった言葉を、私が勝手に座右の銘にしただけです。
 意味は、記憶が正しければ「人生は物事の捉え方一つで天国にも地獄にもなる」という感じだったと思います。 その言葉の意味を聞いて、当時も今も端的に的確に(認知を取り扱う)REBTという心理療法を表しているなぁと感じます。

 そういった言葉を又聞きしたときなどに、「じゃあ、ちょっと物事の捉え方を変えれば、なんでもすぐさま天国になるのか」みたいな受け取り方をしているようでは、結局どんな名言でも意味をなしません。
 何かを表すための言葉は、それだけですべての状況に対応していなければならないわけでも、それだけで全てを伝えているわけでもなく、そこで語られていない部分を適切に補完して、はじめて正しく機能します。 斜に構えたり悪意をもって言葉を補完した時点で、その言葉は本来と全く違う意味になっているでしょう。

 話がずれてしまいそうなので、この辺でまとめますが、「自分を変えれば、世界が変わる」というような内容の言葉は、誤解なく正しく解釈すれば、様々な問題に対し広く応用が可能で実用的な言葉として生活に受け入れることができる。 ただし、それですべての問題を解決できるわけではなく、難しい問題に応用しようとするならば、それだけの勉強が必要となる・・・という、ごく普通の結論に行き着きますよということが言いたかっただけです。

 ごく普通の結論なんですけど、この結論を無視しちゃう(気付かない?)人が多いもので・・・。


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