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事業部門が売却されて良かったこと

事業部門が売却されて良かったこと

横山 哲也

グローバル ナレッジ ネットワーク株式会社で、Windows ServerなどのIT技術者向けトレーニングを担当。Windows Serverのすべてのバージョンを経験。趣味は写真(猫とライブ)。

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ソニーの経営がかんばしくないらしい。先日は、VAIOブランドでおなじみのPC事業を投資会社に売却テレビ事業を分社化というニュースが出ていた。

それぞれの事業部に勤めている人は、さぞ困惑していることだろう。会社は違うが、私も所属部署が売却されたので、多少は気持ちが分かるつもりだ。

事業売却など、経営上の問題は最初に株主に通知され、それから従業員に通知される。だから、普通、部門売却や会社の倒産はニュースで知ることになり、さらにショックを受ける。

特に、ソニーグループに残るテレビ事業の人は大変だなあと思う。「歴史のあるテレビ事業を手放せなかった」と推測するニュース解説もあったが、その考えが問題なのだと思う。ソニーの経営に問題があって、業績不振になったのであれば、ソニー傘下にいることはリスクである。今後のテレビ事業は、グループ内の影響力をどれだけ排除できるかが課題になるだろう。

たとえば、ソニーのテレビには静止画モードがあってソニーのカメラの映像を投影すると、静止画に最適化した表示が行なわれる。技術的には、キャノンでもニコンでも、あるいはパナソニックでも同じことができるはずだが、カタログではうたっていない。もったいない話である。

●部門売却の例(コニカミノルタ)

別の会社の例を見てみよう。

ミノルタは経営不振からコニカと合併し「コニカミノルタ」となった後、創業事業(に近い)カメラ部門を手放した。コニカは世界初のオートフォーカスコンパクトカメラ「ジャスピンコニカ」を出したメーカーだし、ミノルタは、実質的な世界初のオートフォーカス一眼レフカメラを出したメーカーである。だから、今後の発展が期待されていた。

ところがコニカミノルタは、ソニーとデジタルカメラ分野での業務提携をした直後にカメラ事業から撤退、ソニーは梯子を外された格好になった。当初の予想では、伝統的な一眼レフはコニカミノルタに任せ、ソニーは新しい形態を目指すと思われていた。

ところが、コニカミノルタ撤退後に出てきた新製品は極めて保守的なものでマニアを驚かせた。「一眼レフ事業が、そう簡単に撤退できないものであることは十分承知している」という発言もあった。

その後「これで(コニカミノルタへの)義理は果たしました」という発言があり「あ、やっぱり保守的な製品は義理だったんだ」ということになった。現在は、見かけは一眼レフだが、構造的にはほとんどミラーレスカメラという、良くも悪くもソニーらしい斬新な製品を出している。賛否両論あるが私は大変気に入っている。もう他のカメラでは撮れないくらいだ。

このような素晴らしい製品が出てきたのは、コニカミノルタのエンジニアの多くがソニーに移籍したからだろう。新製品説明会に行くと、メーカー説明員の標準言語は関西弁だった(ミノルタの開発拠点は関西にあった)。おそらく、コニカミノルタにいたままでは、これだけ斬新な製品はできなかったか、できたとしてももっと時間がかかっていただろう。部門がなくなることで発展した例である。

●部門売却の例(DEC)

かつて、ディジタルイクイップメント(DEC)という会社があった。小型コンピュータで、大型機から市場シェアを奪った会社だったのに、自社の市場シェアがPCに奪われるのを阻止できなかった会社である。経営不振から、部門売却を繰り返し、最後は会社を丸ごとコンパックに売り、そのコンパックはHPに買収された。

割と初期に売却されたのがストレージ分野で、DLT(デジタルリニアテープ)の原型を持っていたが、クアンタムに売却された。その後、DLTはテープドライブの実質的な業界標準となった。DECに留まっていたら、サーバー分野で競合していたIBMやHPはきっと採用してくれなかっただろう。売却されたからこその発展である。

一方、DEC Rdb(リレーショナルデータベース)の技術はOracleに売却されたが、OracleからRdbの新製品が出ることはなかった。保守サポートは現在でも行なわれているし、DEC Rdbの技術はOracle製品に影響を与えたらしいが、これはちょっと寂しい例である。

私が勤務していたのはDECの教育部門で、こちらも売却された。教育部は、受け入れてくれる適当な企業がなかったのだろう、投資会社によって新会社が作られた。そのため、まったく新しい企業としてスタートすることになった。

社長は外部から召喚することになったが、ラインマネージャ以下のスタッフの大半は残留した。DECという(当時は)大きなブランドが使えなくなったこと、「事業売却」という行為にネガティブなイメージがあったことから、多くの不安があったが、仕事仲間の多くが残ったのはありがたかった。「来年、この会社があるかどうか分かりませんから」などといいながらも、「もう、自虐的な話は1日3回までにしましょうよ」となどと笑っていたものである。

●投資会社への売却

さて、VAIOである。ニュースリリースによると、投資会社に売却するという。

投資会社への売却は、既存のブランドが使えなくなるというリスクがあるものの、既存どのどの企業のしがらみもない有利な立場にある。そして、間接部門の人員整理をほとんどしなくてもよい利点もある。人員整理は、会計上の効果が大きくて、手っ取り早い財務改善手法だが、離れる人と残る人の両方に心情的なしこりが残る。その点、新会社の場合は人を減らすことがあまりないため、人間関係が悪くならない。

残念なのは、ソニーが新会社に一部投資をすることだ。それほど大きな比率ではないが、心情的にソニーの発言力が大きくなる可能性がある。そこが一番の心配事だ。

かつて、超薄型PC(そして超高価なPC)VAIO X505は付属マウスにメモリースティックスロットがついていた。PC本体が薄すぎてメモリースティックが搭載できなかったが、ソニーという会社の方針でメモリースティックをどうしても使える必要があったからだという。最近のVAIOからはメモリースティックスロットがなくなっているようだが、映像機器とのリンクなどソニー優先の姿勢は変わっていない。

今後は、こうした制約から解放され、ソニーだけでなく、パナソニックもサムソンも同じようにつながる製品を作って欲しい。そして、何より、単なる実用品ではない、個人が使える楽しいPCを出してくれることを期待している。

【追記】
私のVAIO購入歴をたどってみた。特にソニーファンでもないが、かなり買っている。

  • 2001年 SONY VAIO C1
  • 2002年 SONY VAIO U1
  • 2003年 SONY VAIO X505/SP...これは高かった
  • 2006年 SONY VAIO Type G
  • 2009年 SONY VAIO X

その後、ノートPCは買っていない。

【今週のおまけ写真】
今週の写真は、ソニーのカメラで撮ったもの(今週でなくても、たいていソニーのカメラで撮った写真ですが)。

PCもカメラもソニーだと「ソニー信者ですか?」と聞かれるが、カメラに関してはミノルタ時代からの付き合いである。別に言い訳する必要もないのだが、つい説明してしまう。

風見穏香2

風見穏香1

▲シンガーソングライターの風見穏香(かざみしずか)さん