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【ビジネス新潮流】 組織を捨て始めた? 団塊ジュニアのオトコたち

【ビジネス新潮流】 組織を捨て始めた? 団塊ジュニアのオトコたち

荒木 亨二

ビジネスコンサルタント&執筆業。荒木News Consulting代表。業界をまたいで中小企業経営者のサポートを行う「究極のフリーランス」。2012年より、ビジネス書の執筆ならびに雑誌の連載をスタート。

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新年の抱負なんて、これまで考えたことがない。1年はあまりにも短すぎて、目標を定めたところで大したことは成し得ない。そんな理由から、新年になったからといって"特別の感慨"や"新鮮なる気分"になった記憶がない。日々の延長が、ただの新年。抱負に近い想いがあるとすれば、それは10年後の目指すべき姿くらいである。

団塊ジュニアのオトコたちは荒野を目指す

ここ4~5年、私の周囲では【人生をリセットする男たち】が妙に増えている。とあるテレビのディレクターは東京の自宅を売り払い、海に近いリゾート地で新たな人生をスタートさせた。とあるPRマンはベンチャー企業の要職を捨て、この不況の時代に自ら会社を興し、そして悪戦苦闘している。とあるトップセールスマンは高額の報酬に興味を失い、専業農家に転身した。とあるイベント会社の経営者は大胆に方向転換し、プロカメラマンへの道を歩み始めている。

彼らはみな、偶然にも団塊ジュニアの男性たち。現在40歳近辺の、まさに働き盛りの世代である。さて、彼らには共通する点がある。過去にも現在にも、そして将来もきっと、非常に優秀なビジネスマンであるということだ。彼らは40歳を目前にして、なぜ自らの成功体験を捨ててまで、荒野を目指し始めたのだろうか・・・。

戦後の日本における「世代論」を語る上で、決して欠かせない存在のひとつが、現在40歳近辺の団塊ジュニア世代である。それは、彼らが常に時代の端境期に直面しており、日本社会の変節を、日本経済の凋落を、リアルに体験してきた"生き証人"であるからだ。現在の20代にも40代にも分からない"独特の共有体験"が、彼らにもたらした価値観とは何なのか?

不運な時代に産まれた団塊ジュニアたち

大学全入時代と呼ばれる今、選ばなければ誰でも大学に入れるご時世だ。近年の私立大学では入学者の半数以上が学力試験を受けておらず、AO入試や推薦で入学してしまうという、何とも恐ろしい事態となっている。しかし遡ること20年前、団塊ジュニアの大学受験は相当に熾烈なものだった。

受験倍率は数十倍にものぼり、街には大量の浪人生があふれ、予備校は若者の社交場のごとき賑わいだった。大学生になること・・・それ自体が非常に困難な時代であり、その背景には色褪せない学歴社会への信奉があった。団塊ジュニアは熾烈な受験戦争をくぐり抜け、ようやく大学生になることができた。

現在の大学生は入学と同時にキャリア教育があったり就職活動に備えたり、人によってはダブルスクールで資格武装するなど、実社会に出るための準備に何かと忙しい。そしてみな真面目に勉強していると聞く。これに対して団塊ジュニアにとっての大学とは、まさに遊びの場だった。必死に受験勉強をして苦労して入ったのだから、あとは遊ぶだけとばかりに、みな羽を伸ばして自由を楽しんだ。大学生は「究極のモラトリアム」というのが一般的なイメージであり、真面目に勉強する学生の方が稀だった。そんな時代である。

そこには裏付けというか、確たる担保が存在した。良い大学=一流企業への就職という安定的かつ絶対的な社会システムがあったのだ。だからみな呑気に遊びまわっていた。団塊ジュニアが入学した90年初頭、就職活動をする先輩を見れば、その楽さは一目瞭然だった。有名大学ともなれば大企業から内定を4~5つ取るのは当たり前、交通費は支給されるは接待があるはと優遇される、完全なる売り手市場だ。

遊んでいても就職できると思い込んでいたら、突然、日本経済を一変させる出来事が起こった・・・。バブルが崩壊したのだ。そのタイミングは運の悪いことに、団塊ジュニアが入学した途端。そして、就職氷河期が、突然訪れた。

企業は一気に入り口の門戸を狭め、荒波から組織を守ることに目を向け始めた。社会の急変をもろに直撃したのが団塊ジュニアだった。数年前の先輩たちの気ままな就職活動がウソのように、企業回りに奔走したが、就職できない学生が続出する異常事態の幕開けとなった。

給料は上がらず、大企業は倒産する・・・「失われた20年」の始まり

どうにか就職にこぎつけた。しかし、働き始めた「ニッポン企業」には、すでに経済成長の面影はまったく見られない。給料は右肩上がりを続けるもの。会社は終身雇用が当たり前。大企業はつぶれない・・・。団塊ジュニアが世に出た90年代半ば以降、日本経済を支えてきた価値観、しきたりはことごとく崩壊していった。

急速に人員を減らし始めた企業では年齢構成のバランスが崩れ始め、中小企業では採用自体を取りやめるケースも増え、団塊ジュニアの後には新入社員がまったく入ってこないという現象も見られるようになってきた。業務の効率を上げるためのIT化が進んだのもやはり90年代半ばのこと、社会現象にもなったWindows95の登場によってサラリーマンの働き方も一変した。

PCの普及により効率的に働くことが可能になった半面、不必要な人件費はとことん削減する現代流の筋肉質経営が台頭し、一人あたりの労働負荷はしだいに重くなっていった。バブルの崩壊と労働のIT化による固定費削減、時代は見事にマッチしていた。

転職は悪いこと?

ガラリと形を変え始めたニッポン企業の数々。それでも急に企業のマインドが変わるわけではない。今でこそ「転職=キャリアアップ」というイメージで語られ、よりよい仕事・待遇を求めて転職するのは当たり前の時代となっているが、90年代半ばまでは転職=裏切り者みたいな負のイメージが存在した。終身雇用を前提にした社会システムにおいては、新入社員教育にもそれなりの資金を投下し、人事の計画も社員が辞めないことを前提に設計されているため、転職=悪のような風潮があった。

転職が当たり前のこととして市民権を得たのが、団塊ジュニアが盛んに活動を始めた90年代後半くらいからだろうか。給料は上がらない、自分のしたい仕事ができない、会社の将来性に希望が持てない・・・。様々な理由から転職を視野に入れることが当然の風潮のようになっていった。

歴史は後から分かるもの

受験戦争で苦労し、入学した途端にバブルがはじけ、就職氷河期が到来。何とか世に出てみれば、社会システムが音を立てて崩れ始めていた・・・。わずか数年の間に既成の社会通念が変わっていく恐ろしさ。それを常に、当事者として、目の当たりにし翻弄されてきたのが団塊ジュニアの共有体験の特性と言える。

現在の20代のように「給料は上がらない。会社はつぶれる」もの、「日本は不況の国」という事実に幼い頃から慣れ知っている世代なら、それなりの対応や心構えができる。しかし団塊ジュニアは大人として世に出る20歳の頃をスタートに、「失われた20年」と評される日本経済の落ちていく様を、20年間に渡ってダイレクトに味わってきた。その意味でも、特殊な世代なのだ。

日本の社会システムが激動した20年。スピードが早すぎる、また激し過ぎた価値観の変容。この過程において、少なからずの弊害が産まれた。就職に失敗してニートになってしまったもの。ひきこもりになってしまったもの。安易に転職をし、正社員への道を失ってしまったもの・・・。

近年、高齢ニートやひきこもりなどの問題がクローズアップされ、原因や解決策がいろいろと議論されている。これら深刻化していく社会問題の根底に、あるいは端緒に、実は団塊ジュニアの男性が多いという事実は、ある意味やむを得ないのかも知れない。それだけ激動の20年は弱き者に厳しく、無情で、いったん社会からはじき出されると後戻りがきかなかった。今なら理解できる事実も、当事者として、変わっていく世界に身を置いていては、理解する方が難しい。ある程度の歳月を経てはじめて、分かるものである。

組織を捨てるという選択肢

そして、団塊ジュニアたちは40歳近辺になった。彼らは受験、就職という様々な人生のターニングポイントが、日本のターニングポイントと重なってしまった稀有な経験を持つ。そのなかで芽生えたのは"自分の身は自分で守る"という超個人主義である。組織に依存しない意識が強く、たとえ組織に身を置くサラリーマンだとしても、冷静に自分の立ち位置と、社会情勢をてんびんにかけながら生きている。

「いつまでもこの会社にいられるわけじゃないしね・・・」とは、とある外資系に勤める団塊ジュニアの弁。彼は社内の要職に就き、それなりの報酬をもらい、仕事の権限を握り、仕事は大いに楽しいと語る。それでもなお、自分の置かれた立ち位置を見計らいながら、組織を冷静に分析しており、いつでも次のステップに動き出せるよう準備している。"組織は頼るものでなく、捨てるもの"と考えているようだ。

冒頭で紹介した荒野を目指し始めた団塊ジュニアのオトコたちも、組織を捨てるという発想に基づいている。時代に翻弄され続けた結果、40歳にして辿り着いた答えが、お金にもポジションにも縛られない生き方。言い換えれば【自分なりのライフスタイル】を中心に、人生を再構築することなのだ。

30歳近辺の転職というと「やりたい仕事」「希望の年収」「行きたい会社」といった目に見える指標、目先の目標を手がかりに会社を選ぶ傾向が強い。しかしそのわずか10歳上の団塊ジュニア世代になると、あくまでも中心軸は"自分とその家族"にあり、見据える先にあるのは10年後あるいはもっと先の「自分なりのライフスタイル」なのだ。この差は大きい。不運な共有体験が、彼らの関心をより自分なりの幸福へと向かわせているのだ。

【2021年の抱負】 50歳・・・バックパッカーに戻る

 

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かくいう私も団塊ジュニアのひとり。数年前から自分なりの荒野を探し、自分の立ち位置は何処にあるのかと考え続けた結果、それは20代のバックパッカー時代にあった。もはやビジネスではなかった・・・。

カナダ・アラスカを2か月かけて回った。初冬のアラスカ、紅葉しかけた360度の視界に広がる大平原に、まんまるの夕陽がそのまま沈む光景を見つめ、何かが変わったのを感じた。その後、エベレストを2か月かけてトレッキングし、5000メートルで夜空を眺めながら、変わった何かが何なのかを、知った。

本日はおりしも成人の日、もう20年も前のこと。今のスマートで賢い二十歳の若者はどんな将来を思い描いているのだろうか・・・。

私は新年の抱負など、考えたことがない。あるとすれば10年後の2021年、50歳で、バックパッカーに戻ること。仕事をすべて誰かに託し、あるいは放棄し、1年間、世界中を巡ること。団塊ジュニアの奥さんと共に。ただそれだけ。

「失われた20年」はまだまだ続くだろう。もしかしたら、終わりがないのかも知れない。そんな日本の将来を見据えた敏感な団塊ジュニアのオトコたちは、数年前から【人生のリセットボタン】を続々と押し始めている。彼らは決して人生を背伸びせず、ダウンサイジングをも視野に入れながら、次なる時代の変節に備えている。そして、優秀なビジネスマンほど、この傾向が強いように思われる。

どこかで人間は、必ずやリセットボタンを押す必要があると、想う。

(荒木News Consulting)

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