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見知らぬオバチャンとの"会話のお作法"
アラキングのビジネス書
見知らぬオバチャンとの"会話のお作法"
ビジネスコンサルタント&執筆業。荒木News Consulting代表。業界をまたいで中小企業経営者のサポートを行う「究極のフリーランス」。2012年より、ビジネス書の執筆ならびに雑誌の連載をスタート。
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数年前、『女性の品格』という本がベストセラーとなった。"女性の日常の振る舞い"について綴られた古典的テーマだが、古き良き作法がなくなったと言われる現代ゆえか、多くの若い女性の琴線に触れたようだ。しかし・・・なぜ日本の古典的オバチャンたちに"身勝手なヒト"が多いのだろうか? 勝手に喋りまくり、勝手に消えていく習性。コミュニケーションの基礎がまったくできていない。
私って○○じゃない?
私が言うところの「オバチャン」とはおおむね50歳以上の女性を指す。彼女たちはオシャベリな人が多く、気さくで元気な姿をどこでも見かけるのだが、なぜか私は昔からそんなオバチャンたちから頻繁に声をかけられる。街を歩いていても買い物をしていても、旅先でも病院でも、気付くとオバチャンに話しかけられている。
そこで常々不思議で仕方がないのが、オバチャンたちの習性・・・。
ちょっと話をするとすぐに【自分の素姓を勝手に語り始める】のは、毎回意味がさっぱり分からない。たいていこんな感じで、唐突に。
「ほら、ワタシって東北の出身じゃない?」
「ほら、私の親がこのあいだ葬式済ませたばかりじゃない?」
・・・。いえいえ、知りませんよ、アナタのプライベートなどと私の感想を挟む余地もなく、オバチャンは勝手に話を進めていくのはなぜ? 見ず知らず、しかも出会って数分で、彼女たちは自分の身の回りのことを話し始める。
たいてい私は話を合わせ、真剣に聞いてあげる。するとオバチャンは更に突っ込んだ話題に入ってくる。もうそれはまるで昔からの知り合いのような雰囲気で。
「でもねえ、ワタシは昔から性格が意地っ張りじゃない?」
「明日はお父さんの病院に付き添いの日じゃない?」
・・・。いえいえ、知りませんよ、アナタの日常などとは、もう言えない。私は立ち話の"泥沼化"を警戒して立ち去ろうとするが、オバチャンたちはそれを許してはくれない・・・。
人の話はまったく聞かない
百歩譲ってオバチャンのプライベートも愚痴も聞いてあげる。そのうち会話は何とな~く世間話に移ってきたりするものだ。旅先だったら宿の話、犬の散歩中だったら犬の話など、そもそも会話のキッカケともなったテーマにじわり寄っていく。そこで私が意見を述べる。例えばオバチャンは自分が飼っている犬の病気の話題を延々としていたので。
「うちのパグも最近、手術したんですよネ」
会話としてはベストな振り方である。聞き役一方であった私もスムースにコミュニケーションを取ろうと図るのだが、オバチャンはたいてい他人の話は聞き流す。右から左に受け流す・・・。
「ほら、うちのマルちゃん、去年死んじゃったじゃない? あれから落ち込んじゃってね・・・。」
マルちゃん? 去年死んだ? またもや唐突な身内話が出てくる。こちらの話にはまったく耳を貸さない。ガンガンに喋りたおすのみ。もう5分ほど話しているのに、一度も意志の疎通がはかれない・・・。
下町になぜ多い? 身勝手なオバチャン
私は数年前、東京のとある下町に居を移した。それ以前も"オバチャン遭遇率"は非常に高かったのだが、下町に移ってからは更にひどくなった。特に私は普段、パグという"ブサイク犬"を3匹連れて歩いているものだから、どうもそれ自体が目立つらしい。とにかく下町はどこか特殊なのだ。例えばこんな風に。
1)散歩していたら、いきなりチョコレート(ブラックサンダー)を2個くれた
夜、パグ3匹を連れて歩いていた。目の前から買い物帰りのオバチャンが自転車でやってきて、突然止まり、パグを撫ではじめ、何やら話し始める。「今はパート帰りなんだけどね・・・。」などなど、いつもの唐突トーク。ここからがちょっと普通じゃない。
「あ、ちょうどよかったわ。このチョコ2つあげるわね。1個はワタシのだから」
今買ってきたばかりと思われる買い物袋から、闇の中、2つのチョコをいきなり手渡される。何がちょうどよかったのだろうか?
2)2時間、散歩についてこられた
昼間、やはりパグ3匹と歩いていると、後方から「花子、花子や~」と小さく呼ぶ声がする。振り返ると70歳くらいのオバアチャンだった。やはり犬を撫ではじめ「この子は死んだ花子にそっくりだわ・・・」と、懐かしそうに目を細める。こういうのはよくあるケースで、その心情はとても理解できる。でもその後が普通じゃない。
私のお散歩に延々とついてくるのだ。私のお散歩は長く、ゆうに1時間、長い場合は2~3時間ほど歩く。このオバアチャンは驚くことにず~っとついてきた。花子の話や、自分の兄弟の話や、故郷の話などをしながら・・・。
見知らぬオバアチャンから学んだ戦後の日本
先日は先日で、とある近所の病院の待合室で座っていると、隣に座っていたオバアチャンにまたもやつかまった。
「ほら、アタシの家はあそこのバス停の向こうで遠いじゃない?」
オバアチャンの目の前には、ご老人がよく使う乳母車型の歩行補助具が置かれていた。雨が降ると、これを押して病院まで来ること自体が大変だ・・・ということを言いたかったのだが、そんな理由を端折って、冒頭から自分の住んでいる家の地理の話。
とても品のあるキレイなオバアチャンだった。和服が似合っていた。それから私はしばしオバアチャンと会話をした、というか、聞いていた。聞けばお歳は79歳、私の祖父母はとっくにこの世を去っているのでどこか懐かしく、少し嬉しかった。
「ワタシのお店、床屋を2店やってたんだけど、空襲で焼かれちゃってね・・・。」
「あの頃は、日本人もみんな思いやりがあったのよね・・・。」
私は祖父母から戦争の話を聞いたことがない。戦争の話を理解するには私は幼過ぎたのだろうし、あえて戦中の苦労話を自分の可愛い孫に聞かせる必要もないと、想ったのだろう。そんなことで、これまでの人生でまともに戦前・戦中・戦後の暮らしぶりを、当時を知る人から聞いたことはなかった。テレビや本で知るのみだった。
たまたま隣に居合わせたオバアチャンは、見ず知らずの私にいろいろと語ってくれた。20分ほど喋っただろうか? やはりそこでも私は聞き役、オバアチャンは自分が受け取っている年金の詳細な額まで話し、今の政治を嘆いたりもしたが、それでも戦後、日本は"あの惨状"から本当によく頑張ったとずっと言い続けていた・・・。
私はテレビなどでしか知らなかった"あの惨状"を、少しだけ垣間見えた。オバアチャンはロシアが酷いと言った。関東軍はダメだったらしい。女性は凌辱され、上野の駅の待合室は、病院の待合室より少し広い程度だった・・・など。
オバチャンはまったくもって身勝手な習性の人が多い。人の話など聞きやしない。勝手に喋り、勝手に去っていく。でも私はそんなオバチャンたちが大好きなのだ。品格なんて、なくていいじゃないか。KYなところが、むしろ人間らしくて素敵じゃないか。オバチャンのダイレクトな"間のつめ方"は、嫌いではない。
私はオバチャンたちを愛している。そんな私の雰囲気を、ココロを、オバチャンは本能的に察しているのかもしれない。そうでないと、遭遇率の高さの説明がつかない・・・。
(荒木News Consulting 荒木亨二)
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