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地域の挑戦・国際交流で過疎を生き残る④――「過疎の地域に誇れる仕事を」
高瀬文人の「精密な空論」
地域の挑戦・国際交流で過疎を生き残る④――「過疎の地域に誇れる仕事を」
フリーランスのライター/編集者/書籍プロデューサー。 月刊総合誌や『東京人』などに事件からまちの話題、マニアックなテーマまで記事を発表。生命保険会社PR誌の企画制作や単行本の編集も行う。著書に鉄道と地方の再生に生きる鉄道マンの半生を描いたヒューマンドキュメント『鉄道技術者 白井昭』(平凡社、第38回交通図書賞奨励賞)、ボランティアで行っているアドバイスの経験から生まれた『1点差で勝ち抜く就活術』(坂田二郎との共著、平凡社新書)、『ひと目でわかる六法入門』(三省堂編修所、三省堂)の企画・制作。
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福用駅付近をゆく、1930(昭和5)年に製造されたC10形が牽く列車。現役の機関車で一番古い。続く客車も戦前・戦後まもなくの製造。現役時代と変わらない汽車旅を楽しめるのは、日本でもここだけ。
■過疎は「金と仕事がない」から?
ブリエンツ町・ロートホルン鉄道との交流会を行った、静岡県島田市北五和(きたごか)自治会は150戸300名。過疎とはいえないが、高齢化が進んでいる集落だ。
今年5月、シンクタンクの「日本創生会議」は、人口減少問題検討分科会の提言を発表した。少子高齢化体質をいますぐ変えるような社会的対策が急務、基本的に自己決定で国家が口を挟むべきでない出産・子育てについて、「国民の希望が叶った形での出生率を上げていく」施策を求めたものだ。ところが、同時に発表された「全国市町村別『20~39歳女性』の将来推計人口」により、2040年に多くの過疎の市町村が「消滅」する、という予測がセンセーショナルに報道され、過疎に取り組む関係者に衝撃を与えた。
つまり、地方には仕事がない。だからお金がない。そこには若い女性がいなくなる。つまるところ、「金と仕事」がないところが過疎になるのだ。
■「本来ならあり得ない」過疎を生きてきた鉄道
大井川鐵道自体、もともと大井川の谷あいを走る路線であり沿線人口が少ない。ここ40年の歴史は、過疎との闘いだった。
会社を支えてきた木材の貨物輸送が外国材に押されてゼロに近くなった1970年頃、大井川鐵道は一度廃線の危機を迎えている。路線存続のために白井氏がひねり出したアイデアが、全国初のSLの保存運転。鉄道はこれで命拾いした。現在、乗客の8割以上が定期外=つまりSLの乗客であり、それが会社の屋台骨を支えてきたのだ。千頭―井川間の、ダム建設資材運搬鉄道をルーツとする井川線も、1990年に長島ダム建設で水没する区間が出たのをきっかけに急勾配区間をロートホルン鉄道と同じアプト式にし、新緑と紅葉が絶景の観光路線に生まれ変わった。
だが大井川鐵道はいま、再び大きな困難に直面している。
近年のSL列車は、ツアーバスの乗客に支えられてきた。ところが、2012年4月に起きた関越自動車道ツアーバス事故が転機となった。貸し切りバスの昼間ワンマン運行の距離が500キロに規制されたのである。格安ツアーバスはいろいろな観光地を一日で周遊するのが目玉だ。東京から200キロ超えのアプローチの大井川鐵道はルートから外されてしまった。大打撃である。
大井川鐵道では地元の島田市・本川根町に沿線協議会の設置を求め、公的支援を求めている。ただ、沿線人口が少なく、SL列車などの経営努力で続けてきたという他のローカル線にはない特殊事情があり、地元がどのくらい「残そう」とするか、その反応は未知数だ。
■蒸気機関車保存は、地域の文化として認められるか
鉄道をなくさないための苦肉の策として始まった「SL運行」は、45年にわたって大井川鐵道を支えてきた文化でもある。蒸気機関車の職場は3K労働のきわみだが、大井川鐵道の運転士は、全員電車と蒸気機関車両方の免許を取得している。昭和8年から17年までに作られた5両の機関車は、資金の乏しい中、町工場に毛が生えたような工場に公園や個人の自宅から運ばれてきて生き返り、整備され、常に可動状態になっている。その技術の蓄積自体も文化なのだ。
新金谷車両区は町工場と同じような施設。ここに40年の蒸気機関車整備のノウハウが詰まっている。この日は動輪に回転力を伝えるロッドが外されて整備を受けていた。(許可を受けて撮影していますが、連休中など特定日に見学コースが公開されます。入場料500円)
蒸気機関車に牽かれる客車も、国鉄線上を走っていた1950~60年代の姿を、手を加えずにそのまま再現しているのはここだけである。それは、比較的潤沢な資金や立派な設備が使え、客車はエアコン完備、近年に至ってはディーゼルカーとなり、機関車がなくても走ることができる――そういう快適な「イベントカー」になっているJRのSL列車とはまったく異なる。
大井川鐵道を再生することができなければ、これらの文化は散逸し、おそらく消滅するだろう。蒸気機関車の保存運転という、古い文化を守ることを「新しい鉄道の価値」と認められるか。大井川鐵道が立ち向かうのは、他のローカル線存廃問題が経験したことのない、「ローカル鉄道存続の未踏領域」なのである。
■「誇れる仕事」こそが過疎地域を支える
島田市北五和自治体とブリエンツ町、ロートホルン鉄道との交流会は記念撮影で幕を下ろし、福用駅前の緊張はほどけた。
ロートホルン鉄道のシモン・コラー社長(皇太子さまのブリエンツ訪問ではエスコート役を務めた)は、終始おどけた態度で人々の心をつかみ、自ら登山鉄道の絵葉書を配り続けてPRに務めた。
ブリエンツは、大井川鐵道よりさらに険しい山間の過疎の町である。コラー社長に聞いてみた。
----保存鉄道が生き残るためにはどうしたら?
「若い人に、鉄道の古い文化や歴史を残さなければならない。いま、蒸気機関車の機関士になることは、若者にとって価値がないかも知れない。しかし、その技術は文化財的な価値がある。〈世界でその人しかできない仕事〉を伝えていかなければならない」
----ロートホルン鉄道も、大井川鐵道も、過疎という共通の悩みを抱えている。
「両者とも、価値を生み出す可能性を秘めている。東京のような大都会よりも、〈小さなふるさと〉を大切にすることが重要だ。シニア世代は、自らに誇りを持って、自分たちの文化を若い世代に継承していく使命がある」
金、仕事は十分でないかもしれないけれども、「豊かな生活」が過疎地域にはあるのではないか。都市にはない「住みやすさ」、それが過疎を救うことにはならないだろうか。それが、スイスの人たちの交流会で北五和自治会の人たちが見せてくれた「新しい可能性」なのではないか、私はこう考えた。
昼食会に向かうコラー社長は、ジャンボタクシーに乗り込むと私に片目をつぶってこう言った。
「次はブリエンツで会おう」。