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プリウス技術のアナロジーは、電車の「電鉄技術」だ

プリウス技術のアナロジーは、電車の「電鉄技術」だ

高瀬 文人

フリーランスのライター/編集者/書籍プロデューサー。 月刊総合誌や『東京人』などに事件からまちの話題、マニアックなテーマまで記事を発表。生命保険会社PR誌の企画制作や単行本の編集も行う。著書に鉄道と地方の再生に生きる鉄道マンの半生を描いたヒューマンドキュメント『鉄道技術者 白井昭』(平凡社、第38回交通図書賞奨励賞)、ボランティアで行っているアドバイスの経験から生まれた『1点差で勝ち抜く就活術』(坂田二郎との共著、平凡社新書)、『ひと目でわかる六法入門』(三省堂編修所、三省堂)の企画・制作。

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少々仕事が立て込んでいて、更新が開いてしまいました。



1997年にプリウスが登場してから13年、ハイブリッドカーの歴史はプリウスの歴史であると言ってよい。

初代プリウスの衝撃は記憶に新しい。当時としては珍しいボンネットをシェイプしたスタイル、革新的なパッケージングを実現したものの、カタチとしては、従来の自動車のスタイルをキープした。
外部からの充電が必要ないハイブリッドというシステムも、当時競争相手とされていた電池の性能が圧倒的に不利だった電気自動車や、実用化にはほど遠いと考えられた水素自動車に比べ、圧倒的に実用的なソリューションとして提供された。

「いままでのガソリン車と同じ感覚で運転でき、同じように使えます」

手の届く未来が来た。鉄腕アトムを使ったマーケティングはずばりそこに狙いを定めた。

初代プリウスはそれでも、ガソリンエンジン車と比べて運転感覚に違和感があった。それを潰していったのが二代目、完成の域に近づいたのが三代目である。前回で触れたように、慣れてしまえば全く「クルマの運転」として違和感がない。

クルマのブレーキは走行速度と停止距離を運転者が見て、ブレーキを踏み込む。ブレーキペダルをどう踏み込み、どのような減速度で止めるかは運転者の感覚に委ねられる。クルマを乗り換えれば当然にブレーキフィーリングが変わるが、それは身体で身につけていく。

しかし、そういう感覚が狂うような挙動をプリウスは低い摩擦係数の場所(凍結路など)で起こしたというのだ。
車輪の回転力をモーターに伝え、モーターを発電機として使うことによってブレーキ力を発生させ、同時に発電された電気をバッテリーに充電する「回生ブレーキ」と油圧ブレーキとの協調の、制御の問題に起因することは以前にも触れた。

プリウスに使われている技術の「親」は電車の技術である。
電車は生まれてから120年ほどの歴史がある。「回生ブレーキ」の歴史は意外に古く、1920年代にはドイツで実用化され、1930年代なかばには現在の南海高野線で走っていた。電気を戻さず、車両に搭載した「抵抗器」で熱として捨てる「発電ブレーキ」はさらに古く、1910年代の登場だ。日本にも輸入され、明治末期にはすでに実用化されていた。