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ガラケーの敵はネットそのものだった。スマートフォンが世の中を支配する本質的な理由

ガラケーの敵はネットそのものだった。スマートフォンが世の中を支配する本質的な理由

波多野 謙介

コラボリズム株式会社 代表取締役で文系プログラマー。超朝型へのスイッチで、仕事と家庭の両立を目指す二児の父。

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もう半年くらい前になりますが、お客さんから唐突に「スマートフォンって普通の携帯と比べてなにがいいの?」と質問を受けた事があります。

その時僕は「最初は使いづらいんですけど、アプリとか入れて育ててやったらすごく便利になるんですよー」なんて答えていたのですが、よく考えるとそれは別にメリットでは無く、単なるデメリット(ちゃんと設定しないと使えない)ですよね... 思い返せば適当な事を話しているものです。

Pioneer DP-212 (1998) 2 - Smart phone in the early years.
Pioneer DP-212 (1998) 2 - Smart phone in the early years. / MJ/TR (´・ω・)

改めて、スマートフォンにしかない決定的なメリットをひとつだけあげるとすれば、それは「アプリ」だと思います。

まあ、当たり前の事ですし、逆に「ガラケーにもアプリはあるよ」なんて言われてしまうかも知れませんが、ガラケーにとってのアプリは勝負の土俵ではなく、あくまでケータイのオマケ的な存在。

逆にスマートフォンにとってはケータイがオマケでアプリがメイン。ここが大きな違いであり、スマホの唯一最強のメリットにつながる特徴だと思います。

実際、駅に貼ってあるスマートフォンの広告を見てみると、そのキャッチコピーは「アプリ最速起動」とか「快適アプリ操作」とか、まあそんなような事ばかり。結局のところ、スマホはアプリの化身、アプリそのものと言えると思うのです。

スマートフォンは「ちっさいネット」

そのアプリですが、アプリというとまずゲームが思い浮かびますし、そして実際最も利用されているアプリもゲームでしょう。しかし、ゲームはガラケーとスマホを決定的に差別化するものではありません。ガラケーにもスマホに劣らない優れたゲームがたくさんあるのはご存じの通りです。

では、何によってスマホとガラケーが差別化されるのか。
それは、スマホはアプリによって「ネットそのもの」になれる。という事だと思います。

アプリはブラウザー以上にケータイに適した特徴を持っています。起動と読み込みが速いこと、地下鉄のようなオフラインでも閲覧できること、カメラとのシームレスな連動が可能なこと。アプリは最もケータイに必要な即時性、つまりちょっとしたスキマ時間を活用するために有利な特徴を備えていました。

そして今までスキマ時間に入り込めなかったたくさんのネットサービス、Twetter、Facebookのようなソーシャルサービスから、Googleのアプリ群、Amazonのようなショッピングまで、多くのサービスがアプリによってスキマ時間への進出を果たす中で、スマホは単なるケータイではなく、ゲーム機でもなく「ちっさいネット」になっていったのです。

ガラケーの敵はネットそのものだった。

ガラケーは確かに利用者にとってよい製品だったし、今でもそうです。しかし、残念な事にガラケーが相手にしているのは「スマートフォン」ではなく、TwetterやAmazonやFaceboolkや、Googleといった「ネットそのもの」。これらを相手に戦うとしたら、勝ち目はありません。

思い返してみると、ガラケーの時代というのは駅前商店街のように多様性がありました。ビジネスマン向けの携帯、若者向けの携帯、お母さん向けの携帯、お年寄り向けの携帯。利用する人の立場に合わせた機能、デザイン、画面設計があったものです。

20051019_日本玩第五天_008_中野北口商店街
20051019_日本玩第五天_008_中野北口商店街 / macglee

しかし、スマホはどうか。ガラケーの遺伝子を受け継ぐガラスマは別として、海外のスマートフォンはどれもiPhoneと同じようなデザインで、同じような機能です。差別化のポイントはOSのバージョンが新しいとか、専用アプリが入っているとか、CPUが早いとか。アプリ命のスマホにとって利用者目線を考えるのはまだ早い、という事でしょうか。

無個性なスマホにガラケーが駆逐されてしまう様は、駅前商店街の多様性が、大規模スーパーの進出によって消えてしまうようなもの。プライベート携帯、会社携帯ともにスマートフォンで、その片棒を担いでいる僕ですが、やはりそれは勿体無い、寂しい事だと思っています。

しかし、どこかで揺り戻しは来るでしょう。ゲーム機が性能合戦を繰り広げた後、「Wii」が出て、性能だけではない生活スタイルという多様性が生まれたように。

ガラスマが今まで培ってきたこだわりを捨てず、なんとか生き残って変換点をうまく捕まえれば、今度こそガラパゴスから世界へが実現できるのかも知れません。