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書評:『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』
ライフネット生命会長兼CEO 出口治明の「旅と書評」
書評:『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』
ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。
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『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)
塩野 七生 (著)
フェデリーコ(フリードリッヒのイタリア語読み。彼が愛したプーリアでは、今でもそう呼ばれているので、ここではフェデリーコと呼ぶ)のことを識ったのは、ブルクハルトが最初だった。学生時代の頃、愛読していた世界の名著(中央公論社)からである。彼のことを、もっともっと知りたいと思い、13世紀の西洋史の本を探してきては、むさぼり読んだ。パレルモやカステル・デル・モンテ、ルチェラのあるプーリアはもちろん、彼が生まれたイエージにも足を伸ばした。何に魅かれたのだろう。若い頃は、生まれ変わったら彼に仕えたいと思ったり、文才があるなら彼の伝記を書きたい、と夢想したりしていたのだから。
チェーザレ・ボルジアを書き、カエサルを書いた著者が、2人の間を埋めるフェデリーコを書き上げた。著者は稀代の語り上手なので、上下約550ページを一気に読み終えた。フェデリーコについては、カントーロヴィッチの大作「皇帝フリードリッヒ二世」が既に邦訳されているので(D. Abulafia も読んだが、邦訳されていない)、これで東西の評伝が出揃ったことになる。今まで、わが国ではあまり知られてこなかった「ストゥポール・ムンディ(世界の驚異)」、フェデリーコの魅力が人口に膾炙する日も遠くないのかもしれない。
冒頭にフェデリーコとレオナルドの言葉が並べて置かれている。ほぼ同じ内容だ。レオナルドの250年前に、フェデリーコは次のように書く。
「すべてはあるがままに、そして見たままに書くこと。なぜなら、この方針で一貫することによってのみ、書物から得た知識と経験してみて初めて納得がいった知識の統合という、今に至るまで誰一人試みなかった科学への道が開けると信ずるからである。」
そう、フェデリーコは、生まれるのが余りにも早すぎたのだ。ここに、恐らく、彼の魅力(磁力)の全てがある。1194年、フェデリーコはローマ皇帝の父とシチリア王女の母との間に生まれた。幼くして両親を失い、国際都市パレルモで育った彼は、父祖の地ドイツに向かい、18歳でローマ皇帝となる(載冠式は26歳の時)。30歳でナポリ大学を創設(ヨーロッパ初の国立大学)、官吏養成を開始する。34歳でパレスティナに向かい、翌年、外交交渉でエルサレムを取り戻す。しかし、教皇は激怒して、彼を3度も破門する(聖地は戦って取り戻すものであり、異教徒と交渉するとは何事か、という訳だ)。そして、56歳の死まで、皇帝と教皇の果てしない戦いが続くのだ。37歳のときに発布したメルフィ憲章(ローマ法を蘇らせた)に象徴されているように、彼は近代的な「法治国家」を目指していた。キリスト教が潰したローマ法の再興を図るフェデリーコを、教皇が好ましく思うはずがない。しかも、教皇の領土は、フェデリーコによって、南北から挟まれている。教皇にとって、フェデリーコ及び彼の一門であるホーエンシュタウフェン朝の打倒は、執念に近いものがあったのだ。
それにしても、何という人物なのだろう。ポリグロットであり、自ら著書も残し、イタリア語のスタートを切り(「ソネット」という詩の一形式が、フェデリーコの宮廷から生まれた)、リベラルアーツを教える近代的な大学を創り、アラビア数字(ゼロ)の導入に力を貸し、アリストテレスを(アラビア語から)翻訳させ、嫡出子と庶出子の区別なく一緒に子供たちを教育し、平然とアラブ人を侍らせ、市場を整備して、行く先々でディエタ(議会)を開き、裁判制度の確立に意を用いる。教皇との戦いでは、情報公開を武器にする、部下は徹底的に働かせる、苦境を跳ね除ける挽回力の強さ、等々、枚挙にいとまがない。ダイバーシティ溢れる当時の最先端であったシチリアで育ったからこそ、フェデリーコのような麒麟児が生まれた、と一般には説明されるが、むしろ彼のような天才の出現は、一種の奇跡に近いものではないだろうか。同時代のフランスの聖王ルイ9世が矮小に見えて仕方がない。しかし、西洋史観の下では、ローマ教皇に称揚されたルイ9世の方が、ともすれば上位に置かれたりするのだ。
著者の筆は、円熟の域に既に十二分に達しているので、とても読みやすい。フェデリーコの横顔が刻まれた「アウグスターレ」金貨を30年以上にも渡って探したという、意外に人間くさいエピソードも明かされる。ともあれ、本書を紐解いて、中世にもフェデリーコのような魅力満載の人間がいたことを、1人でも多くの人に知ってもらいたいものだ。歴史は本当に面白い。