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書評:『リヒトホーフェン日本滞在記―ドイツ人地理学者の観た幕末明治』
ライフネット生命会長兼CEO 出口治明の「旅と書評」
書評:『リヒトホーフェン日本滞在記―ドイツ人地理学者の観た幕末明治』
ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。
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『リヒトホーフェン日本滞在記―ドイツ人地理学者の観た幕末明治』
フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン(著)、上村 直己(翻訳)
長い間、鎖国の殻に閉じ籠っていた幕末明治期の日本は、当時わが国を訪れた外国人の恰好の好奇心の対象となった。彼らは実に多くの著述を残した。僕が覚えている「名作」だけでも軽く10指近くになる。オールコック「大君の都」、ハリス「日本滞在記」、イザベラ・バード「日本奥地紀行」、アーネスト・サトウ「外交官の見た明治維新」、ヒュースケン「日本日記」、モース「日本その日その日」、ケンベル「江戸参府旅行日記」、等々。また、これらの合せ鏡として、渡辺京二の「逝きし世の面影」という忘れ難い「名作」も生まれた。このように、類書はもう十分読んだはずなのに、なぜ本書を手に取ったのか。著者が「シルクロード」を「発見・命名」したあの大地理学者、リヒトホーフェンだったからに他ならない。
本書は二部に分かれている。第1部「使節団旅行日記1860/61」は、著者がプロイセン政府が派遣した通商使節団の団員として、江戸に、短期間、滞在した時の記録であり、第2部「第2回日本滞在日記1870/71」はその10年後、著者が東京から中山道を経て大阪へ。神戸から長崎までの船旅の後、九州を自由に旅行した時の記録である。
日本に上陸した著者は宿舎について「すべてが単純で、広々として風通しがよい。(中略)どうしてこうした単純な建築様式が生まれたのか、理解しがたい」と書く。ただし食事は「ヨーロッパの女の子たちが作る人形のためのままごと料理のようで、男の胃袋には適さないように思われた」。日本人が大のシャンパン好きであることも明かされている。また芸術についても「日本人には芸術は疎遠な概念だ」と手厳しい。しかし産業には「巨大な産業は欠けているようであるが、小さいもの、微細なものを恐らく到達しうる最も素晴らしく、最も完全なものに発展させた」と驚嘆している。寺院(浅草寺など)や神社(神田明神など)にも出向くものの、「宗教観よりももっと謎なのは、日本における女性の地位と道徳である」と、遊女屋について、かなり戸惑っている様子が伺える。そして横浜の岩亀楼という大遊女屋の正確で細かい描写が記録されるのだ。また、著者は浅草寺の門前で売られている「淫猥な絵」についても驚きを隠せない。この他にも、アロー戦争の受け止め方やヒュースケン暗殺前後の記述も興味をそそる。著者は両親あての手紙で次のように記す。「世界で江戸の周辺ほど高度な魅力を有する都市はなかろう。(中略)毎日景観の豊富さに驚嘆している。いつでも昨日に勝る新しい発見がある」と。さすがに地理学者だけあって、著者は日本の景観に魅かれたようだ。「心をこめて手入れされていない庭のある家など一軒もない」「絵のように美しい配置(すなわち地域の装い)に関しては誰も日本人にはかなわない」。紆余曲折の末、日本との条約の調印を終えた一行は、帰路長崎に立ち寄る。出島について、「このオランダ人の牢獄がこのように小さく、みすぼらしいものとは想像していなかった」。こうして第1部が終わる。
第2部は富士登山から始まるが、著者は地質学者、地理学者としての本領をいかんなく発揮し始める。大山にも登り、甲府では有名な水晶について述べる。白根山麓へ寄り道し、諏訪から木曽谷へ抜ける。多治見の陶磁器工場を見学し、景徳鐘との違いに驚く。「そもそも日本ほど粗野な行動に出会うことの少ない国はない」。「中国では(中略)会話の10分の3はお金の話である」が、日本では「私の苦力たちは決してお金について語らない」。瀬戸、名古屋から大津へ。そして船で大阪へ。(京都はまだ外国人の訪問を禁じられていた)。神戸から船で長崎へ。ここから九州の旅が始まる。雲仙岳に登るも「濃い雪模様」で「昨日だったら私は九州島の四分の三は見渡せたであろう」。天草から薩摩へ。著者は芹ヶ野金山(串木野)で金坑を見学する。鹿児島ではガラス工場や錫鉱山にも足をのばす。霧島神宮から霧島登山。その後、球磨川を下り、「天気はすっかり晴れていて、川下りは本当に楽しかった」、熊本へ。柳川から「日本の陶磁器製造業の中心地」有田へ。こうして、第2部も終わる。読み進めていくうちに、旅にも目がない僕は、リヒトホーフェンと並んで九州を旅している気分になってしまった。外国人の観た幕末明治の日本記は、何回類書を読んでも面白い。逝きし世のノスタルジアが目いっぱい詰まっているからだ。