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書評:『スキタイの騎士』

書評:『スキタイの騎士』

出口 治明

ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。1948年三重県生まれ。京都大学を卒業。1972年に日本生命に入社、2006年にネットライフ企画株式会社設立。2008年に生命保険業免許を取得、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。

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第57回_スキタイの騎士.pngスキタイの騎士
フランティシェク クプカ(著)、Frantisek Kubka(原著)、山口 巖(翻訳)

昨年の6月、「カールシュタイン城夜話」の書評ブログで、僕はクプカの歴史物語三部作の残る2作、「スキタイの騎士」と「プラハ夜想曲」を早く読んでみたい、と書いたが、1年も経たずしてその望みが叶えられることになった。出版元である風濤社に深く謝意を表したい。そして、何よりも嬉しいことに本作も面白さにかけては前作に勝るとも劣らないのだ。しかも本書は「スキタイの騎士」と「プラハ夜想曲」が合わせて1冊の本に編集されているのである。

本書は16の短編小説から成る。僕には珍しく、1日1つしか読めなかった、と言うより、珠玉の物語を早く読み終えるのが余りにも惜しくて、1つ1つを愛玩しながら読み進めたという方が正確だ。そしてこれらの物語は決して面白いだけではない。クプカは次のように述べる。「私は作家の力が及ぶ限りチェコの過去への窓を、そして同時に閉じられている広い世界への窓を開くことが自分の責務だと考えていた」。そう、これらの連作は、前作同様、ナチス・ドイツ占領下におけるチェコの民族の静かではあるが熱い魂の物語なのだ。そして、その舞台は8世紀後半のカール大帝の時代から20世紀に及ぶのである。

16の物語、全てを紹介したいという誘惑に何とか抗って、2~3の物語に触れてみよう。冒頭に置かれているのはカール大帝の円卓の騎士、デンマークの「オイール王の物語」である。アレクサンダー・ロマンスと浦島(龍宮)伝説の美しい混淆例である。オイールは妻子をイスパニアに残して東方遠征に出かける。インドをも征したオイールは休息をとり、夕方一泳ぎしようと海にはいる。オイールは女神アサリに捕らえられ、そこで至福の1年を過ごす。ふとしたはずみに自分の剣を見つけたオイールは望郷の念に襲われ、アサリと別れて妻子の待つ故郷に向かうのだが・・・。人間界では100年が過ぎていたのである。アサリが額を撫でて皺をとってくれたおかげでオイールは永遠の若さを保っているが、オイールにはそれはもはや苦痛でしかない。オイールは、プラハ城に、若いが正しいという評判のヴァーツラフ公を訪ねてその客となる。眠っているオイールの額を公が撫でると、皺が戻ってきたのである。こうして年老いたオイールは、晴れやかに家郷デンマークに向かって歩いていったのである。

「ノルマンの公女」はある意味でサロメを彷彿とさせるし、「プラハ夜想曲」はチェコのファウストの物語である。戦乱で負傷して自慢の美貌を失った若者が、美女に運命的な恋をし、悪魔と契約して全てを手に入れるが・・・。そして本書の題名にもなっている「スキタイの騎士」は、題名からはちょっと想像できないほどの意外性に富む物語である。16の物語、どれ1つとして面白くないものがない。読み終えたあとの無聊をどうやって慰めたらいいのだろうか。訳文も端正で、数多い訳注は煩雑にも見えたりするが、愛玩するためにはとても都合がいい。