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価値化されていないものを掘り起こす、限界集落の可能性

価値化されていないものを掘り起こす、限界集落の可能性

東 大史

2008年より“地域再生の仕掛けニスト”として活動しております。 主な活動内容はコチラにまとめております。 http://matome.naver.jp/odai/2138270881064964401

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今年も上山集楽では、もうすぐ田植えの季節です。毎年のように規模を倍増させていって、それに伴って関わってくれる人々が増えていく、そんな現在進行形の限界突破集楽の物語は、新しく参加してくれる若者たちを待っています。




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8300枚、日本でも有数の規模を誇る上山集楽の棚田は、その価値が見失われ、雑草に覆われるようになっていました。このまま森に還っていくのだと、地域の古老たちは自らが生まれ育った棚田が荒れ果てていく姿をただ眺めていました。そこに変化が起こったのが2007年、大阪から猛烈な勢いで草刈りをするアホな人たちがやってきて、この地は変わりました。


「限界集落」という言葉が使われるようになったのもその頃で、過疎高齢化によって中山間地域や離島の条件不利地は生活が成り立たないと言われはじめました。生活インフラの維持にコストがかかるので、過疎地域は切り捨てろといった議論も散見されるようになりました。これらの議論は語るにも値しないレベルの話です。それは、個人に当てはめてみれば分かることで、社会の役に立たない人間は生きている価値がないと宣告しているようなもので、誰がそのことを評価して、誰が断罪するのか、という尊厳の問題に直結しています。


一方で現実問題として、そんな田舎では仕事もないから食っていけないでしょ、ともよく言われました。過去形なのは、もはやそのレベルを突き抜けてどんどん若者がこの地域に移住してくるようになっているからです。食える食えないでいえば、現実として食えているからこそ、多くの地域から注目され、視察が相次いでいるのです。


もちろん、すべての過疎地域がこのように活性化するとは思いません。一方で、事実として日本の歴史上において過去最高レベルの人口が日本国内に存在し、各産業水準が飛躍的に発展している現在において、先人たちがコツコツと切り拓いてきた土地を守れないわけがありません。そして、我々現在を生きる人間が過去から未来に繋ぐべき資産というのは、会議室で決まることでもA4の紙に書いてあることでもないでしょう。


当たり前のことを、迷いもなく当たり前にやっている若者がいる。そのことを知ってもらうだけでも、価値があると思います。知らなかったことを知って、次には足を伸ばして行ってみる、そうやって関わってくれる人たちが増えていけば、限界集落なんて嫌な言葉はなくなるに違いありません。



当エントリに関連する過去エントリは以下のとおり。

過疎地だから夢がある。日本の未来をつくる現場。
竹林大炎上と盆踊りの復活と天燈(スカイランタン)
自分たちの桃源郷を自分たちでつくる

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