誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。
物語は自分をさらけ出すことで生まれる
海外リサーチから見えてくること -日本人と外国人-
物語は自分をさらけ出すことで生まれる
外国人をマーケティングリサーチのモニターとして提供する事業を展開後、新たなステージに突入する。
当ブログ「海外リサーチから見えてくること -日本人と外国人-」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/global_reseach/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
『自分をさらけ出せ!』
仕事をしていると上司にこんなことを言われることは多い。新入社員などは特にそうだ。しかし、多くの人はその意味がよく分からない。私自身もそうだった。『何で他人にさらけ出さなきゃならないのか。』全く意味が分からなかった。でも、最近はその意味が段々と分かってきたような気がするのだ。
最近の会社ではどうなのか分からないが、以前の日本企業内では、自分の殻を破ることが大切とされてきたと思う。その理由は誰もハッキリとは分からなくても、社員全員が自分自身をさらけ出すことで大きな成果を手に入れることが出来ると信じていたし、実際にその効果を感じていたからなのだと思う。自分をさらけ出すことで素晴らしい仕事が出来て、かつプライベートでも充実した生活を送れると感じていたからだと思うのだ。
朝の駅のホーム。そこには、キレイに整列した人々が一様にうつむきながらスマホや携帯を見ている光景がある。客観的に見れば誰もが異様な光景と感じるものであるが、しかし、私自身もその列に入ってしまえばその光景の中に呑込まれてしまう。しかし、呑込まれているのは決してその光景にではなく、スマホや携帯画面の中にある自分が演じている役柄に呑込まれているのだと思う。多くの人々はスマホでゲームをしたり、ニュースを読んだりしているわけだが、その中でもやはりゲームに熱中している人の割合が多いように感じる。私もゲームに熱中する事があるがそれは、ゲームにのめり込んでいるのではなく、そのゲームで設定された役柄・主人公としての自分自身にのめり込んでいるのだと考えている。現実世界では体験出来ないことをゲームの中なら体験できるという事に熱中しているのだ。冒険の勇者としての自分。サッカー監督としての自分。レーサーとしての自分を演じることで、自分の中にある現実世界では満すことが出来ない何かを解消しているのだ。それは達成感かもしれないし、何かをクリアしていく事の快感かもしれない。
でもなぜそんなにゲームの中にある役に熱中するのだろうか?それは単純に自分自身をゲームの中でなら表現することが出来るからだと考えている。「本当の私はこんな人間なのに、周囲からはそうは思われていない現実。」「私にもこんな一面があるのに周囲からは全く気付かれずにいる現実。」それはとても人間としては苦しい環境であると思う。しかし、現代において自分自身の全てを表現できる仕事や生活や人付き合いを持っている人なんて誰ひとりとしていないだろう。誰もが仕事ではある部分の自分だけを演じていて、家に帰れば違う自分を演じる。しかし、その毎日の生活の中でも、本来の自分自身に備わっている性格や欲求が満たされずにいるのが殆どの人に当てはまることだ。毎日、同じような仕事、同じような自分を演じる事に疲れてくる。別の自分を表現したくてしょうがなくなる。そんな欲求にゲームの主人公になりきることで満たされない何かを解消している。そんな風に感じるのである。
以前はゲームと言えば、子供のものであり、大人がゲームをするなんてとんでもないと考えられた時代があった。それはきっと、大人がゲームによって満たされない何かを解消すること自体が大人っぽくなかったからだろう。大人なら自分で解決しろという感じだ。しかし、現代は子供の頃からゲームに親しんだ人々が大人になったことと、あまりに複雑化し分担された仕事のために大人でも本来の自分を表現出来ない環境になってきたために、朝の駅のホームのような光景が見られるようになったのだと思うのである。
私はここにこそ日本企業が抱える問題の多くが存在するのではないかと考えている。自分をさらけ出せずにいる人が多くなったことが日本経済に大きな影響を与えているのではないだろうかと感じている。
■優良企業は自分をさらけ出し物語を生み出す
素晴らしい成長を遂げた会社には、必ずブランドがある。つまり、お客様が抱くその企業へのある特定の感情がある。その会社名を聞いただけでポジティブな感情が沸き起こるものだ。それは一体どういう事なのだろうか?ある人はその会社がブランド戦略に成功したからだと言う。ある人は地道な努力が少しずつ多くのお客様に浸透していった結果であると言う。しかし、なぜそのブランドを築くことが出来たのかについては殆どの人は何も言わない。このようなブランドがある会社には文化がある。その文化がその会社の社員の考え方に影響を与え、その会社「らしい」製品やサービスが生み出される。しかし、その企業文化がどのようにして生み出されたのかについては具体的なことは述べられることは多くない。創業者の志が社員を感動させたとか言われるのがせいぜいである。
私は、ブランドを築きあげるに当たって大切なのは、社員の間で特定の物語が共有されているかどうかであると考えている。ここで言う物語とは決して上から与えられた物語という意味ではない。ここで言う物語というのは、社員の間で生まれてくる物語の事であり、社員が創り上げる物語である。企業ブランドを創り上げるのは決して社長ではない。最初はトップダウンで提供された物語である場合もあるだろうが、いずれその物語は社員の間に共有されそして変化していくものである。
新しい製品・サービスが生まれるに当たって様々なトラブルや問題・課題が出てくる。そんな時、社員がすべてを出して解決に取り組む。まさにそこに物語が生まれるのである。その成功体験がまさにブランドである。ここで課題や問題に取り組む社員が全てをさらけ出すことがなければ問題は解決することは出来ない。そして、担当する社員が「すべてをさらけ出して」問題解決に挑むからこそ物語が生まれてくる。そもそも人間は同じではない。みんな違う。だからこそ、すべてをさらけ出すことで衝突が生まれるし、意見の相違が出てくる。ケンカもするだろう。しかし、そんな困難があるからこそ物語になるのである。もし、みんながみんな同じような事を言い、誰も違う意見を出さなければスムーズに会議は進むだろうがそこにドラマも物語も生まれることはない。淡々と進む毎日の中にドラマが生まれるはずもないのである。物語というのは、困難やトラブルがあるからこそ物語であり、何も起こらないストーリーはもはや物語とは言えないのである。
多くの企業は、マーケティングリサーチを行い今のお客様にはどんな嗜好があり、どんな傾向があるのかを分析する。そして、それに基づいて新製品・新サービスを開発することが多い。しかし、これでは物語が生まれにくくなるのではないだろうか。きっと真面目な日本人社員はリサーチ結果に忠実なものを創ろうとするだろうし、すでにリサーチ結果が出ているのであれば、大きな意見の衝突も起きにくくなるだろう。そうなるとリサーチ結果をもとに創られる新製品・新サービスには物語がないことが多くなる。こんな感じで創れと言われたから作りました。それだけになってしまう。これだけスペックがアップしましたとか、以前の製品より数%性能がアップしましたとかそんな結果にもなる。何の面白みもない製品の誕生である。
ヒットする商品や必要とされるサービスには生まれたときから物語を持っているものだ。製品が生まれるまでのドラマが、またサービスが発案されるまでの物語がある。しかし、リサーチ報告書から作られる新製品・新サービスに物語が生まれるものだろうか?グラフや数字からどんな物語が生まれるというのだろうか?もちろん、その数字やグラフから様々な意見の衝突を起こすことは出来るが、もし、数字やグラフに大きく影響されたままに製品化・サービス化したのであれば、それを購入するお客様はどう感じるだろうか?社員の激しい衝突から生まれ、多くのドラマと物語を生み出した製品とリサーチ報告書から生み出された製品。どちらに魅力を感じるだろうか?多少使いにくい、多少不便であっても物語のある製品を買いたがるのはなぜだろうか?
それは、言うまでもなくその製品がお客様の心の中に一定の場所を占めているからだ。それは、その製品がお客様にステータスを与えているからだ。この世に存在する全ての人間は物語を持って生まれてくる。父親と母親の間にあるドラマの結果として生まれてくる。だからこそ、何よりも大切な存在であるし、何よりも優先される。それと同じように、生まれた時に物語のない製品・サービスは大切にされず、なんにでも代替のきく製品・サービスにしかならない。決して、マーケティングリサーチを否定しているわけではない。マーケティングリサーチは絶対に必要なものだ。しかし、その使い方は多くの人が分かっていないのではないかという事だ。
しかし、だからといって何でも思ったことを言い合っていればいいというわけではもちろんない。物語というのは、その製品開発に関わる人間がすべてをさらけ出し、そのさらけ出された様々な要素をごちゃまぜにしていたら、いつの間にか生まれてくるものではない。そういうものもあるだろうが、しかし、これではあまりに偶然に頼るやり方であり誰も実行はしないだろう。だから、ここで必要なのが上司や社長のプロデュース能力だと思う。上司や社長がこの人とこの人を一緒にすることで面白い物語が出来るのではないかと考え、実行に移し面白い物語を生み出す能力がここでいうプロデュース能力だ。また、上司や社長は社員一人ひとりの性格や持っているポテンシャルを見極めた上で適した仕事と適した社内での立ち位置(適した役柄)を与える必要がある。優秀な上司や社長というのは、社員の特徴や持っているものを見極め、目指すべき方向性に向かうためにどんな役割を与え、どのように進んでいくのかビジョンを指し示すことが出来るものだ。前述のように、現代日本には、自分の持っているものを十分に発揮出来ない人間が非常に多く増えている。それはまさに上司や社長がどこにどのようにして進んでいくのか、どんな物語を生み出す必要があるのかについて全く分かっていない証拠でもある。多くの上司や社長が業務を円滑に進める事に多くの注意を向けているがために、多くの社員は仕事をこなすだけになっているのではないだろうか。それだけでは決して物語は生まれない。そして、その様な会社の社員は、仕事以外に多くの事を求めるようになる。仕事をしたくなくなるだろうし、趣味や友人関係に重きを置くことになるのも当然のことだ。もし、仕事に自分自身の多くを表現できるというのであれば、みんな喜んで仕事をするだろう。そして、自分をさらけ出す人間が増えることで多くの物語が生まれ、ブランド化していくだろう。しかし、今の日本企業にはそんな会社はあまり多くないのが現状だ。上司や社長がそれぞれの社員に適した仕事や役割を与えられないことが最大の原因なのである。
■海外で成功しない理由も同じ
また、最近は海外進出をマスコミが大々的に促進しているが、多くの成功例はありない。それもこれまで述べてきたことに理由があると私は考えている。まず、そもそも多くの日本企業が物語を生み出す能力がないという事。物語もない製品をいくら外国人だからと言っても購入してくれるわけではない。日本企業がこんなに高スペックだと言っても日本人と同じように何の反応も示さない。日本のものはよいイメージがある。それは確かだ。しかし、それにおんぶにだっこの会社が日本以上に厳しい市場で生き残っていけるはずがない。また、たとえ物語を生み出すことが出来る企業であっても、それが日本人だけで生み出された物語であることも成功出来ない要因の一つになる。日本人は自分たちが魅力的だと思うことが外国人にとっても魅力的と考えてしまう傾向がある。商社など昔から海外とビジネスをしてきた会社は違うだろうが、ここ数年で海外進出しようとする企業にとっては非常に大きな壁になる。外国人が何に魅力を感じるのか分からない。これではどうしようもない。だから、本気で海外で勝負をするというのであれば、外国人を雇用しそして、外国人とともに新しい物語を生み出す必要がある。
しかし、外国人は日本企業に定着しない。それはそうだ。今まで述べてきたように、日本の会社は個人をシステムの枠に押しこめるやり方だからだ。それぞれに適した仕事を与えることが出来ない。日本人でさえ、仕事をしたくなくなる環境で外国人がいつまでも会社に残っているわけがないのだ。日本的な年功序列的な考え方は外国人にとってはキャリアに傷をつける事と同じだ。日本以外の国では基本的に実力主義であり、個人主義的なところがある。こんなことを言うと、じゃあ、外国人を日本人のように教育すればいいという会社が出てくるが、本末転倒だ。せっかく新しい物語を生み出せるかもしれない人材を入れてもそれを日本人のように教育して何の意味があるのか。そんなことをするのであれば、外国語の出来る日本人を雇った方がよっぽどましだ。人種の違う日本人を育てるとどんな変化が起こるのだろうか?日本人の価値観を植え付けたところで、外国人は日本人のようにふるまうだけなのではないか?多くの日本企業が外国人との付き合い方に外国人との働き方に四苦八苦している。未だに外国人を上手く使えている企業は存在しないだろう。このハードルを越えるためには、やはり外国人が変わるのではなく、日本人が変わらなければならない。しかし、それはきっと何十年も先の事になることは間違いない事でもある。きっと今社会人である人々が引退した頃に変わっているかもしれないくらいに長い年月が必要な事だ。
いずれにせよ、海外で成功出来ない日本企業が多いのは、そもそも物語を生み出すことが出来ない企業体質にあることは間違い。日本経済が低迷したのは成熟市場になったことも一因だろう。しかし、決してそれだけではないと私は思っている。あまりに分業化され、システマチックにされてしまった日本人の働き方そのものにも原因があるように感じるのだ。
毎日毎日与えられた仕事をこなす日々は、自分自身の欲求を満たすことの出来ない毎日は苦痛以外の何物でもない。だから、多くの人間が仕事以外に答えを求めようとする。しかし、それは本質的な解決では決してない。ごまかしているに過ぎない。だから、多くの人間には物語が生まれにくいし、変化が生まれない。淡々とした毎日が良いという価値観もあるが本当にそうなのだろうか?何も表現することが出来ない毎日が素晴らしいとは思わない。なぜなら、何かを表現しなければ相手に伝わらないし、自分自身を心から認めてもらえることも出来ないからだ。人間本来の幸せは人とのつながりにあると思う。誰かとつながっている。誰かに必要とされていることを感じることは心に安定をもたらす。しかし、それは自分自身を表現しているからこそ可能な事だ。仕事とは自分を表現するためのものであり、単にお金を稼ぐためのものではないと私は強く思っているのである。
『自分をさらけ出せ!』
あなた自身の物語はそこからしか生まれない。