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"低価格ばかり"は、良いこと?悪いこと?

"低価格ばかり"は、良いこと?悪いこと?

赤沼 悠介

外国人をマーケティングリサーチのモニターとして提供する事業を展開後、新たなステージに突入する。

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日本には今、沢山の低価格品があふれかえっている。しかし、こんな低価格品ばかりだと何か変な気がしてくるのは私だけだろうか?デフレと言ってしまえばそれまでだが、前よりも、低価格商品・サービスが増えてくるとは、どんな状況のことなのか考えてみたい。

■価格には、『夢と情熱』が込められている!
まず、価格はどのように決められるのか?それを知ることで低価格商品・サービスがあふれる原因を考えてみる。価格を決定するには大きく分けて3つの方法がある。それぞれは、常に絡み合っておりどれか一つけを考慮して決定されることはない。常に、3つのバランスを考えて価格は設定される。

・【価格決定の方法1:消費者の価格への感じ方】
一つ目の方法は、その商品・サービスの価値を消費者がどう感じるかである。その人にとって、価値が高いと感じ、これくらいの金額であれば購入してくれるだろう金額を設定する方法だ。価格は『価値』を表す。消費者がその商品・サービスにどれほどの『価値』があるのかを反映している。だから、価値の低いと考えるものには、低価格になるし、価値が高いと考えれば、高価格になる。例えば、世の中で当たり前になってしまった場合には低価格になる傾向がある。テレビを見ることが難しかった代には価格は高いし価値も高かったが、現在はテレビを見ること自体の価値は高くない。当たり前だし、テレビが見れなくなるなんて考えもしないからだ。

・【価格決定の方法2:製造コストからの算出】
次に、その製造コスト等から算出する方法である。この商品・サービスを提供するのに1つ当たりコストがどのくらいかかるのかを計算することで算出される方法だ。

・【価格決定の方法3:経営者の情熱・夢】
そしてもう一つ。これが今回の肝となるものだが、その経営者の『情熱・夢』などの気持ちが格決定に影響する。低価格のものであれば、「今まで手の届かなかったものを低価格で販売することでくの人に幸せを提供したい」とか、高価格のものであれば、「この商品を所有することで誰もが感じること出来ない特別なものを提供したい」とかである。属している業界や市場・未来への考えや想いが表れる。提供する商品・サービスに絶対の自信のある企業・店は価格を高く設定するのはそのためだ。

つまり、価格を決定するのは顧客であり、環境であり、提供する者自身の気持ちなのである。そして、そのバランスを取ることが良い価格のつけ方と言えるのである。客のことばかりで、利益が出なければだめだし、自分のことばかりで顧客を無視してもいけないというわけだ。

逆に言うと、今の時代安いものが溢れているということは、低価格で買いたいと思う消費者がいて、低価格にする技術・ノウハウがあり、経営者も低価格で販売しようとしているということである。そのために、汎用的なものが溢れる時代になっていると言えるわけだ。また、高価格のものを欲しがる人が少なく、高価格のものを作り出すために技術・ノウハウを活用せず、高価格のものを生み出そうとする経営者も少ないということでもある。

■本来、価格は『高価格→低価格』に流れる
通常、商品が低価格から高価格になるということはない。高価格で始まり徐々に低価格になっていく。特に新しいビジネスや新しい商品はそうだ。いきなり市場があるわけではないので高価格から始めなければビジネスにならないという理由もある。ともあれ、商品・サービスは高価格から低価格になっていく。そのため、高価格なものは比較的新しいものであり、低価格なものはかなり以前からあったものという傾向がある。

そう考えると、今の低価格商品・サービスが溢れるこの世の中は、以前から存在していた商品・サービスが大部分をめており、新しい商品・サービスが少ない状態なのかもしれない。もしくは、高価格から低価格になるスピードがものすごい早いのかもしれない。テレビは半年後には半額にまでなったりする。いずれにせよ、この日本においては低価格な商品・サービス(本当の意味での新しい商品・サービスが少ない状態)が増えていく向にあることは間違いない。

■『低価格商品・サービス』=『価値の低い商品・サービス』?
安いものが増えると経済が成長しない。生産量は増えるが売上・利益はほんの少しずつしか成長しない。だから給料が上がらない。結果、将来の不安等から消費を抑えたいという願望と今の生活レベルを落としたくないという願望が低価格を志望するようになる。そして、安くする技術やノウハウを企業は活用し、経営者ももっと安いものを提供したいと考える。この循環が今の日本だ。デフレ。

それにしてもだ。

低価格商品を欲しがる消費者に、企業が付き合いすぎてはいないか?と私は思う。それがデフレの原因の一つでもあるような気がしている。最初に言ったように、低価格なモノ・サービスには消費者は、低い価値しか見出していないという事である。つまり、低価格なものばかりになっているこの世の中は、価値が低いと消費者が感じているものが溢れているという事だ。技術が進歩して商品・サービスを低価格で提供出来るようになったが、その技術力・ノウハウを高価値のものでなく低価値のものを生み出すのに使ってしまっている。それは、企業経営者や企業の考え方に問題があるのだと思う。このことをちゃんと認識しなければならない。

■高価格と低価格のバランスが重要
顧客が商品・サービスに価値を感じ、経営者が特別な価値を提供しようとするもう一つの『情熱・夢』はどこに行ったのか?既存の商品・サービスをどんどん安くしていっても必ず限界がある。しかし、新しい商品・サービスを生み出す創造力には限界はないのだ。次々と新鮮な水が湧き出て場所は発展するが、同じ水をいつまでも使い続ける場所には発展は見込めない。同じ水は、いつかは飲めなくなるのだ。新しい水を生み出さなければならない。

高価格商品・サービスと低価格商品・サービスがバランスよく存在している場所ほど発展する。高価格商品が次々に生まれ同時に適度に低価格化も進む市場は、新しい価値を生み続ける新陳代謝の高い健全で豊な市場である。我々はそのような経済を創り上げなければならないにも関わらず、低価格な商品・サービス(価値の高くないモノ・サービス)ばかりを生み出し続ける。バランスが取れていない。

■高付加価値商品・サービスを生み出そう!
私は、この問題を解決できるのは企業にしか解決は出来ないと考えている。国でも技術・ノウハウでもない企業だ。もっと言えば経済活動に参加している全ての人である。今、圧倒的に足りないのは、高付加価値の商品・サービスを生み出す『情熱や夢』なのだ。最近の商品・サービスには『情熱・夢』を感じる商品が少ない。これがなければ、技術やノウハウが良い方向に発達しないばかりか、消費者にとっても価値ある商品・サービスを提供できない。『情熱・夢』が、金額を高く設定し、高付加価値商品・サービスを生み出す必須条件であり、最も大切なことなのだ。消費者が勝手に価値を感じてもらえるようになんてならないし、技術・ノウハウを活用するのは企業の情熱であり、夢なのだから。企業又はその経営者が心の底から自信をもって消費者に提供できる商品・サービスを生み出さなければならない。高い価格でもその価値を消費者が理解してくれ、売れると自信を持って言える商品・サービスを生み出さなければならない。安くないと売れないような商品・サービスはいくらでもあるのだから。日本は、低価格商品・サービスを生み出すことに情熱と夢をかける人ばかりではないと思っている。

例えば、高付加価値商品といえばiPhoneである。iPhoneは多くの人が長期間に渡って大切にされているしこれからも大切にされるだろう。しかし、携帯と言えば、ちょっと前まで毎年のように携帯の機種変更をしていた人たちが沢山いた。iPhoneを前にしてあっという間に消え去ってしまったが、あの人たちはどこへ行ってしまったのか?これは携帯端末メーカー各社が価値ある携帯端末を生み出してこなかったツケなのだと思う。

昔、携帯各社は、世界一ともいえる様々な機能を搭載した機種を『0円』で販売していた。これは上記の価格設定の手法から考えれば、顧客にとっては機種本体は殆ど価値のないものとして考えていたという事である。そんなことをなぜ続けてきたのかと疑問に思う。そして、そこには企業の「情熱・夢」を感じることは出来ない。そんなものに、消費者は何の魅力も感じることができないのだ。どちらかと言えば、携帯コンテンツの方が価値が高いくらいだ。だから、消費者はコロコロと機種変更をする。過去の携帯端末は消費者に価値を与えていなかったのだ。iPhone等のスマートフォンに取って代わられるのも当然なのである。

価値の高い商品・サービスは、消費者から大切にされ愛されるのだ。コロコロ変えられたりしない。

■より良い未来へ(ちょっと大げさですが)
1億2千万人の人々が、価値のないと感じている商品・サービスに囲まれているのは幸せな国と、はたして言えるのだろうか?お金がすべてではない。高価格のモノ・サービスを受けることが幸せというわけではない。しかし、多くの商品・サービスに価値を感じていないのは問題だと思う。私たちの周りにあるものは、殆どが商品かサービスだ。それらの多くの価値が低くなっているというのはよろしくない。どんなに経済的に貧しくても、価値あるものがあり、それを大切にしている人々は幸せだと思うからだ。

個性の時代だと誰かが言う。各々のスタイルに合わせた生き方があると言う。しかし、私たちの周りには安いものばかりが存在する。そもそも選べるものが少ないのはどういうことか?それぞれのスタイルで生きたいと思ってもお金がなくて出来ないのはどういうことか?モノではなくコトに価値を感じ始めているからだろうか?家族、友情、愛情。そのことの方が大切だということだろうか。確かにそうだ。でも、生きていなければそれも出来ない。そしてさらに、家族・友人・恋人が多くの価値ある社会で生きて欲しいと思うのも当然なのではないだろうか?