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【中国人に聞いた Vol.2】なぜ、中国人は孔子を忘れてしまったのか?

【中国人に聞いた Vol.2】なぜ、中国人は孔子を忘れてしまったのか?

赤沼 悠介

外国人をマーケティングリサーチのモニターとして提供する事業を展開後、新たなステージに突入する。

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■中国の歴史を知ることで多くのことが理解できる!?
中国は、歴史的に崇高な思想家たちを生み出してきた国にも関わらず、現代においてはマナーの悪さや態度の悪さが有名になってしまっています。中国古典は、世界各国に多大なる影響を与えていた中国思想は一体どこに行ってしまったのか。そのことについて実際に中国人に聞いてみることにした。そして、そこから見えてきたのは、中国の歴史が大きく影響しているという事でした。



【質問】中国には、孔子を代表とした思想家がいますが、そのような世界的にも有名な人物を生み出しながら、なぜ現代においてはこのようなことになってしまったのでしょうか?
【回答】
私の個人的な意見ではありますが、大きく分けて3つの理由があると思っています。
  • 一つ目は、異なる民族による中国の支配が繰り返された事。
  • 二つ目は、1840年頃から戦争が断続的に続いたために教育が出来ず、文化の継承が出来なかった事。
  • 三つ目は、長く続く戦争と文化大革命などによりいわゆる知識人が海外へ流失してしまった事。
の3つがあげられる思います。中国は、日本人が思うような単一民族でもなく、日本の歴史のように文化が受け継がれてきたわけではありません。何度も文化の断絶が起こり、戦争により教育が行き届かず、継承すべき人である知識人が海外へ流出してしまった過去があるんです。



意外かもしれないが中国には55にも及ぶ民族が存在する。日本人はどうしても他の国の事を日本と同じようにいつの間にか考えてしまうが、殆どの国では、単一民族ではない。基本的に日本人は世界的に見ても特殊な文化を持っているのであって、日本人の考え方が似ているだろうと考えるのは、間違いだ。この記事の最後には、いかに日本人が他の国について知らないのかを感じてもらえれば幸いである。


●中国の歴史上、多くの民族による占領が相次いだ。



【質問】
多くの日本人は、中国は55もの民族がいるという事を知らないかもしれませんね。
【回答】
そうなんです。日本人はあまり知りませんが中国は55の民族によって構成されている国です。日本人でも知っている「清」という王朝は満州族の王朝ですし、「元」はモンゴル族の王朝です。「明」と「宋」が漢民族の王朝です。日本人の多くは中国は漢民族がずっと支配してきたかのように感じているのかもしれませんが、そうではなく、様々な民族により入れ替わり立ち代わり作られた歴史を持つ国なのです。

孔子は漢民族ですが、多くの民族による占領が相次いだ為に、新しい王朝が出来る度、前の王朝の文化は破壊されていきました。だから、以前の文化が継承されにくい歴史があるのです。

また、文化の融合もその間に進んだことも挙げられます。先程も、言ったように中国は多民族国家です。アメリカもそうですが、多民族国家において他の文化を受け入れるという意識がないと常に争いがおきてしまいます。ですから、他の民族と共に過ごすために他の文化を受け入れが自然と進みその頃の文化が融合されてきたという事もあると思います。



私自身、「清」が満州族、「元」がモンゴル族の王朝であることは高校時代に勉強したかもしれないと思ったが、遠い記憶の彼方にあったのは間違いない。そして、確かに考えてみればそのように文化を破壊するようなことが起こっても全然不思議ではない歴史を中国は持っていると今更ながら思う。なんで、知らなかったのだろうと思うくらいだ。

たぶん、多くの日本人も一度は勉強はしていても、王朝が違う民族によって築かれた結果、どのようなことが起きたのかについては、教科書に回答が載っていない限り、想像さえしないからだろう。だから、「宋」→「元」→「明」→「清」と王朝が変わったことを知っていても、それ以上のことやその結果どうなったのかについては追及することはしない。どうしても、日本はとにかく暗記することが大事だから、そんなことを期待しても無理なのだろうけど、それでも他の国の歴史というものを知る際には、想像力が絶対必要なのだ。



【質問】
二つ目の原因として、戦争が長期化し教育が出来なかったということですが?
【回答】
はい。中国は、1840年のアヘン戦争から日中戦争の約100年の間、断続的に戦争が起こってきました。この間に教育が上手く行うことが出来なくなったために、それまで使われていた繁体字(はんたいじ)を簡略化した簡体字(かんたいじ)へと移行しなければならなくなるほど、教育レベルの低下が著しかったのです。また、後程説明しますが文化大革命が教育に対して決定的な影響を与えてしまいました。孔子の文献は、繁体字(はんたいじ)で書かれているのですが、簡体字(かんたいじ)しか知らない人は極端に言えば、孔子の文章を完全には読むことが出来ません。もしくは、繁体字を読めても書くことは出来ません。だから、せっかく残った文献さえ誰も読めないという事態に陥ってしまい、文化が広まらないという結果になってしまったのだと思います。



繁体字(はんたいじ)というのは、日本でいうところの旧字の事である。日本でも江戸時代の文章を読むことが出来ないのと同じである。
日本においても、明治時代の文章は現代と似ている部分はあっても理解するのには苦労する。たった、100年ほど前の文章でさえ日本人は簡単には読むことが出来ないことを考えると日本も似たようなものなのかもしれない。そういう意味では、日本人も色々な文化や伝統を忘れてきてしまっているのだろうか。確かに、現代人でも過去の文献を誰でも読むことが出来たならば、日本人であることをもっと強く感じることが出来るだろうし、今の文化をもっと大切にするような気がする。



【質問】
三つ目の原因ですが、文化大革命により知識人が流出してしまったのですか?
【回答】
はい。正確に言うと流出してしまった事と殺されてしまったという事です。多くの人は香港・台湾に流出してしまいました。ただ、それでも中国国内に残った知識人もいたのですが、文化大革命というものはそれまでの文化を一切否定する運動で10年にも及ぶものであったために、知識人が中国から殆どいなくなる事態となりました。また、文化大革命では本や文化財なども大量に燃やされてしまいました。そのため、文化大革命後には、教育を受けていない無知な農民だけが残ったのが当時の中国です。正直なところ、文化大革命がなければ今の中国のようにはなっていなかったと思っています。文化大革命が決定的なとどめを刺したといったところでしょうか。



毛沢東による文化大革命は、それまでの古典や風習・慣習を破壊するものであった。事業家などの資本家層、学者、医師、弁護士などの知識人等が弾圧の対象となったために中国の経済は30年遅れたとも言われ、一節には3000万人もの人々が死んだとも言われている。また、文化大革命当時、高等教育は機能を停止し、教育上および倫理上に大きな悪影響を受けた。この時代の青少年が国家を牽引していく年齢になった現在も、中国に大きな悪影響を及ぼしていると考えられている。ある意味、賄賂が普通にはびこっているのも文化大革命が原因かもしれないと感じる。毛沢東の死後には文化大革命を主導した人物が次々と逮捕され、現代の中国共産党につながっている。

また、別の人にインタビューした際にこんなことを言っていた。
『日本に来日して京都や日光などに旅行に行ったときに涙が出ました。日本にはこんなにも綺麗な文化財が残っているのに中国には殆どがなくなっている。とても悲しい気持ちになりました。』

ここまで聞いて私は、本当に中国のことを知らないんだなと思った。仕事柄、多くの中国人と会話することはあっても、なぜそのような国民性になったのかについては全く知らないし、知ろうともしていなかったのが事実だ。殆どの日本人もそうだろう。そして、このように歴史を知るという事はその国の国民性を理解する上で絶対に必要なことだ。何も知らずに、「中国人はマナーが悪く、性格が悪い」と決めつけるのは小学生と同じだ。なぜ、そうなっているのか、ではどうすればよいのかということを冷静にそして想像力豊かに対応することが大切なのだ。




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