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『走る』中国人と『歩く』日本人

『走る』中国人と『歩く』日本人

赤沼 悠介

外国人をマーケティングリサーチのモニターとして提供する事業を展開後、新たなステージに突入する。

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実は私、先々月の東京マラソン2012に参加しました。

タイムは、5時間50分とかなりゆったりしたペースで走ったのですが、それでもゴールした時には足が全く動かず、まともに歩くことさえ困難な状態でした。

半年くらいかけてそれなりのトレーニングをしてきたつもりでしたが、とんでもなくトレーニング不足ということが良く分かった大会でした。

さて、そんな走ることに対してはまだまだの私ではござますが、実際にランニングするようになって『走る』ということに感じたことを書きたいと思います。そして、その走ることを今の中国と日本の状態に置き換えて考えてみたいと思います。


■走るとは?

ランニングをしているときとランニングをしていないとき、どう違うと思いますか?

まず物理的なことを言えば、走っているときというのは、血流が全身にいきわたり、細胞が活性化します。また、いつもよりもスピードを出すわけですから、いつも歩いているのであれば普通に気付くことも気づかずに正面をじっと見て突き進む状態です。

逆に走っていない時は、例えばゆっくり歩いているとすれば、全身の血流はそんなに変わらず、視野も広くとれることで、色々な情報が簡単に入ってきます。

また、精神的なことを言うと、走っていると余計なことは考えなくなります。気持ち的に盛り上がってきて、細かいことを気にしなくなります。また、止まっている人に付いていくことが出来ないように、動いている人には、人がついてくるようになります。走るという事は、自分自身だけに影響があるのではなくて、他の人や周りの人への影響を与える作用もあると思っています。

逆に、走ることの悪い点はどんな点でしょうか。

上記にも記したように、走っているときはいつもよりも情報を取り込むことが難しくなります。周りの風景がすぐに変わるために注意深く周りの環境や状態を確認しながら進むことが出来なくなります。そういう意味で、走っているときというのは、視野が狭くなり、思いがけないことが起こることにもつながります。

一方、歩いているときの精神状態というのは、落ち着いている分色々なことを考えることが出来ます。それも今まで記したように、多くの情報を取り入れることが出来て、周りの環境をしっかりと見ることが出来るという点です。そして、時間がある為にしっかりと考えて行動することが出来ます。

でも、悪い点は、歩いているという事は進むスピードが遅いという事でもあります。色々な情報や環境を観察することが出来るがためにほとんど進んでいない状態になりがちです。また、多くの情報が手に入るがためにどうすればよいのか分からなくなったり、逆に混乱していつまでも行動に移せない、前進出来ない状態になることもしばしばあります。

こうしてみると、走ることと歩くことというのは、一長一短でどっちらの方が良いというよりも、出来ることなら両方の長所を上手く使い分けることが大切なのではないでしょうか。走りながらも、色々な情報や環境をしっかりと判断したい。よく、走りながら考えるとか言われますが、まさにそんな感じなのかもしれません。


■走っている人は、健康的であり愚かでもある。

走っている人は、細かい事や小さいことを気にせずにただひたすらに前に進む。走っているときは、余計な事を考えない。それはランニングしている時もそうだし、仕事で懸命に走っているときもそうだと自分は思っています。走るというのは、集中している状態であり、心が一つになっている状態でもあると思います。だから、あまりに早く走らなければ、とても良い精神状態になっていることが多い。

しかし、現代人の中には、自分のペースが分からないもしくは完全にオーバーしていて絶対に継続出来ないにも関わらず、走り続けてしまう人が多く存在する。特に日本人には多い。マラソンでもそうですが、自分のペースがつかめないと結局は圧倒的に遅いタイムになるのと同じで、無理なペースは自分をダメにするだけだです。走ることの良い部分をもっと引き出すべきなのです。

また、走っている人は情報が足りない状態になりやすい。自分のやっていることが周囲からすればあり得ないことである場合もある。そういう意味で走っている人は愚か者にもなる。でも、そのような愚か者であるという事はわき目も振らず走っている証拠でもあります。逆に愚かであることを笑うのは、その人とは一緒に走っていない証拠でもあると思います。


■歩いている人は、不健康であり賢い。

歩いている人は、多くの情報を手に入れることが出来る。だから、賢くなれる。しかし、歩いているからこそそうなれるのであって決して進んでいるわけではない。精神状態も移ろいやすい。歩いていると何にもしなくても色々な情報をキャッチしてしまう。だから、必要でない無駄な情報も取り込み続ける。

現代は、情報が氾濫している時代である。だから、歩いていると多くの情報にさらされそれらを処理し続けなければならなくなる。あまりに歩いている時間が長いと一体自分が何をしているのかが分からなくなる。何のために生きているのかと考えてしまう人さえいる。時間があるし、情報も沢山あるから。現代人の心の病もこのようなことから引き起こされることもあると私は思っています。


■走る中国人と歩く日本人

ここで私は思うのです。それは中国人と日本人の仕事の違いです。中国人の仕事の仕方は、とりあえずやってみる事を優先する。やってみてダメなところがあればすぐに修正することで対応しようとする。スピード重視です。一方日本人は、細かい部分までリサーチをして、様々な想定を行い時間をかけて仕事をする。スピードよりも確実性を重んじる仕事の仕方をする。

これはまさに今まで述べてきたことと合致するのではないかと私は思ったのです。ある意味、中国人はとにかく走る。歩かない。だから、深く考えず、とりあえずやってみる。だから、大失敗することもあるが、走っているからこそ日本では考えられない成長をする。もちろん、中国と日本とでは文化が違うからでしょう。中国の競争はすさまじいものがあります。1億人足らずの日本人には分からない10億人以上の競争があるわけだから、スピードを重視しないとすぐに誰かに取って代わられてしまうのでしょう。

だから、中国人は常にエネルギッシュに活動し続ける。そして走っているからこそ、無駄な情報を受け取らずに済んで精神的にも安定しているように思います。

逆に日本人は歩いているからこそ、中国人の愚かさが目に余ってしょうがない。上記で述べたように、日本人は中国人と一緒に走っていないからこそ、その愚かさが気になるのではないでしょうか。

日本人はとにかく歩く。走ってコケるよりも歩いている方が良いとされる。というよりも、コケることを異常に恐れているように思える。失敗はありえない。日本では。これも日本の独特の文化でしょう。それを許してくれる環境もあります。しかし、歩いているからこそ経済成長もしない。歩かざるを得ない状態であるとも言えるかもしれないですが。

正直な所、中国のやり方には私自身ついていけない部分もあります。余りに安易すぎてとんでもないと思うときもよくある。でも、その走り続けるその姿はうらやましいと感じることもあります。

走るとコケる可能性もある。どこかにぶつかって大ケガをする可能性もある。でも、それが走るという事だと思う。もし、それが嫌だというのであれば、ずっと歩き続けるしかないのです。

中国進出する日本企業が増えていますが、日本の『歩く』感覚がいかに通用しないかを感じることでしょう。中国と日本は前提となる環境が全然違う。だから、考え方も全然違う。日本企業は違う環境で商売しようとするのだから、『歩いて』いてはダメで『走らなければ』ならない。

そして、中国人と一緒に走ることが出来れば、中国人がもっと良く見えてくるのではないでしょうか。中国人はともかく走っている。もし、中国人の愚かさが目について余りあるというのであればそれはきっとあなた方が歩いているからかもしれません。




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