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日中ソーシャルメディア使い方の違い
»2012年7月 4日
海外リサーチから見えてくること -日本人と外国人-
日中ソーシャルメディア使い方の違い
外国人をマーケティングリサーチのモニターとして提供する事業を展開後、新たなステージに突入する。
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この記事では、中国人と日本人のソーシャルメディア上でのふるまい方の違いを「情報」という観点から書きたいと思います。あくまで個人的な意見ではありますが。
■一昔前の情報とは?【日本の場合】
一昔前、情報はお茶の間という場所を通じて全国に伝わっていった時代でした。どの家庭も、家族(父・母・子供、そして祖父母)という各世代がその家のお茶の間に集い、マスメディア(特にテレビと新聞)からほぼ同じ情報を受け取っていた。同じニュースを読み、同じ音楽番組を見て、同じドラマを見ていました。そして、それぞれのお茶の間で家族全員がほぼ同じ情報に触れた翌日、父は会社で「昨日あれ見た?」と伝え、母は井戸端会議で「奥さん、知ってます?」と伝え、子供は学校で「ねぇねぇ見た?見た?」と伝える。伝えた相手もほぼ同じような情報を持っているので、あっという間に共感し合い広まっていく。そんな風にして情報はお茶の間からあっという間に共感し合い広まっていったのです。
また、情報はトップダウンで生活者に「与えられるもの」でした。情報はマスメディアを通じてトップダウンされて伝えられていきました。生活者はその情報を疑うことなく従順に受け取っていた。情報はすべてマスメディアが握り、商品情報などもトップダウンでお茶の間に伝えられていました。この頃の生活者には他に情報を得る手段がなく、発信者側から流れてくる情報を信じざるを得なかった。いわば「情報弱者」でありました。しかし、それが生活者たちに大歓迎されていました。情報は信用出来るもの。それが以前の日本でした。
■一昔前の情報とは?【中国の場合】
中国も一昔前は日本とそんなに大きく変わらない生活をしていました。祖父母から孫までが同じ食卓を囲みテレビを見て新聞を読み共通の話題で盛り上がるという生活です。そして、日本と同じように父は会社で、母は会社や近所の人と子供は学校で同じような話題について話していました。
しかし、中国では情報は決してトップダウンで生活者に「与えられるもの」ではなかった。ご存知の通り昔も今も中国では情報は検閲されており、基本的にテレビ・新聞などの情報は共産党による編集指導が入り、共産党を称賛する内容になり批判することはありません。そんな中で家族団らん過ごしているとどうなるか。テレビ・新聞などの情報を信じなくなるのです。
日本では、テレビ・新聞などから降りてくる情報はほぼ無条件に信用できるものであったし、他に手段もなかった。そして、信用してマズイことになることも殆どなかった。だから、昔の日本人にとってメディアからの情報は信頼できるものでした。
しかし、中国ではそもそも上から降りてくる情報が明らかに信用出来ない内容であるがために、自分たちで情報を収集する努力をしなければならなかった。中国人にとって情報とは、自分で手に入れるものであって、しかも、収集した情報は正確なものではないというのが情報についての常識なのです。だから、自分自身で集めた情報をもとに自分自身で考え判断し行動しなければならない。日本人のように降りてきた情報をそのまま鵜呑みにするのは、当時の中国人にとっては非常識であったのです。中国人にとって常に不完全な情報の中で行動する必要があります。つまりは、常にリスクを取る必要があった。当時の中国人は「情報弱者」であったことは間違いないが、日本人と違うところは、情報に対する意識というか認識がまるで逆だったことです。
また、中国人にとってクチコミは情報の一つであるために不正確ではあるものの、マスメディアの情報よりは比較的信用出来る情報であることも間違いなかった。
■現代における情報とは?【日本の場合】
そして日本にネット時代が到来しました。マスメディアのトップダウンに対して生活者がネットで横につながって情報を共有し評価しだした時代です。このころ、世の中に流れる情報量が異常に増加しました。例えば、世の中に流れている情報量は1995年から2006年の12年で637倍も増えたと言われています。だから生活者はそのほとんどをスル―するようになった。一方的に情報を押し付けてくる広告など、スルーされる最たるものになったのです。
また、同時に成熟市場が到来しました。いまや日本には世界トップといっていいくらい商品が溢れています。そんな中、広告で新商品情報などを楽しげに伝えても、もう生活者は喜ばない。しかもその商品も他の商品との差が微妙になっているために、「広告では良くを言うけど、たいして変わらないんじゃないの?」と生活者はどんどんマスメディアから流される情報を疑うようになっていきました。また、商品のいいところをアピールしても、ネット上でその商品の悪いところや競合との比較が明らかにされ、丸裸にされてしまう。そんな時代の到来です。
そして生活者は、「本当にそうかな」「実はこっちの方が正しいんじゃないか」「俺はこう思うな」と、トップダウン情報以外の情報取得手段を得て、比較検討するようになった。そしてその結果をツイッター・facebook・mixi・ブログなどで発信し、それを読んだ人がまたそれを広める、というボトムアップが起き始めたのです。今でもマスメディアの情報は信用されている傾向にありますが、しかし一方でネットなどでクチコミなどの評価を検索して調べたり確認したりするようになったのです。情報はすべてが正しいわけではないという事に気づき始めたのが現代の日本なのです。
■現代における情報とは?【中国の場合】
中国におけるネット時代の到来も日本と同様に情報が溢れだしたことでは同じです。そのため、日本と同じように情報をスル―するようになり、自分に必要な情報を得ようとするようになりました。そこにソーシャルメディアが誕生すると、それまで狭い地域でしか広まらなかった口コミ情報が中国全土にまで広まるようになりました。それまで実際に会って話していた内容がネット上でも拡散し始めたのです。5億人にも及ぶネット人口がある中国ではとてつもない情報量です。
しかし、情報へのイメージは、変化していない。相変わらず、情報というものは不正確であるという認識のままです。だから、今まで通りこのクチコミ情報が信用に値するものなのかどうかを確かめながら利用している。中国ではソーシャルメディアが普及したからといって情報への意識が変化したわけではないのです。今までの情報への接し方がソーシャルメディア上でも行われているのです。
ただ、中国人にとってこのソーシャルメディア上に氾濫するクチコミ情報は非常にあり難いものであることは間違いありません。クチコミ情報は全てが信用出来るものではないにしても、今までとは比較にならないほどの「量」を得ることが出来るようになったからです。マスメディアよりは信用出来るクチコミ情報を大量に収集し、自分なりの考えや判断を下すことで今までの情報不足の中での決断よりもさらに良い決断をすることが可能になったのです。
今中国では、商品を購入するときも旅行するときも何にするにもネット上のクチコミを参考するする人が非常に多くなりました。マスメディアから流れてくる情報はいまだ信用に耐えず、そして比較的信用の出来るクチコミはネット上に溢れるほどあるのだから、どちらを信用するのかと言えばもちろんクチコミになるのは当然です。
■ソーシャルメディア上で違いが明らかになる日本人と中国人
日本のソーシャルメディアの使い方の特徴として私が思うところでは、日本人は結局気の合う仲間どうして自分たちと同じような意見を褒め合う場として使っているような傾向があるように感じる。これは結局は情報をそのままほぼ無条件に日本人みんなで受け入れてきたという歴史的事実が関係していると思っています。日本人は、今までマスメディアが流す情報をみんなで共有してきた時代を生きてきました。しかし、そうではない時代になっても、自分だけ違う考え方でいる勇気が持てない。自分だけ違う意見でいる環境に自らを置いたことがないからです。みんな同じ意見という環境に慣れ親しんだ日本人にとって、周りとは違う意見でいることがとても怖いのではないでしょうか。だから、ソーシャルメディア上でも誰かの意見に賛同するだけで自分の本当の気持ちや意見はあまり言わない。常に批判されることを恐れているのです。
一方、中国のソーシャルメディアの使い方の特徴として私が思うのは、日本のそれとは異なり、各々がかなり独立的であるという点です。情報というものは不正確であるという前提のもと少ない情報の中でもリスクを取って行動してきた中国人は、情報が溢れた時代においてもその傾向は全く変わらないし、それでよかったとさえ感じているのではないでしょうか。情報を集め、そして決断してきた経験は今の情報過多の時代でも十分に活かされる能力であると思えるからです。中国人はリスクを取ることに慣れているし、そのような不確かな情報の中での決断は決して成功をもたらすわけではないという意識をみんな共通して持っている。だから、その人の決断がどんな結果をもたらすのかは誰にも分からない。だから、中国人同士お互いの意見・主張・決断は尊重出来るし尊重出来ないのがおかしいのです。だから、多くの中国人が自分の気持ちや意見を何も恐れることなく素直に表現することが出来る。それぞれが違うことは当たり前だからだ。それはソーシャルメディア上でも何も変わらない。自分の生き方に自信を持っているから批判を恐れずにどんどん本音を語り自己主張する。それが中国のソーシャルメディアの使い方の特徴だと思っています。
ここでもう少し世界を広げてみるといかに日本が特殊性が分かってくる。中国人は同じ中国人でも様々な意見を持っていると述べたが、それは日本以外の殆どの国で言えることであるという事だ。同じアメリカ人でも同じインド人でも同じイギリス人でもそれぞれが様々な意見を持っている。ある意味これは中国という狭い地域にみられる現象ではなく世界的な現象であるという事だ。日本人はみんな同じような意見でいるのが安心するだろうけども、それは世界基準ではないという事だ。