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雨季の飛行便
»2010年10月22日
読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~
雨季の飛行便
アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。
当ブログ「読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/idea-marathon/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
飛行機珍体験集
雨季の飛行便
ネパールに4年半駐在した。
首都カトマンドゥはヒマラヤの深い山々の中の大盆地の中にあり、周り360度を完全に1200メートルほどの山々で囲まれている。その大盆地の中というか、鍋の底にネパールのトリブバン国際空港がある。すべての飛行機は、大鷲が翼を広げた形で巣に降り立つように、周辺の山の尾根を越えて、盆地の底に着陸していく。
昔の香港の啓徳国際空港もパイロット泣かせの難しい空港であったが、トリブバン国際空港では、過去に実際に大きな航空事故が起こっている。
1992年7月31日 タイ国際航空が着陸時に、周辺の山々に激突し、乗客全員が亡くなっている。日本人もたくさん乗っていた。更に立て続けに、同年9月28日には、パキスタン国際航空が事故を起こしている。
タイ航空の場合は、雨季のピークで視界が利かず、高度計のセッティングを間違えたとも言われているが、両航空機とも、トリブバン空港には、着陸誘導用のレーダーが無かったことが問題になり、日本政府が空港用のレーダーを無償供与して、私たちも安心して飛行機に乗れるようになった。
ネパールの気候は乾季(9月―3月)と雨季(4月―8月)に分かれるが、雨季の、特にピークの7月はものすごく雨が降る。どんな家でも雨漏りがするほどで、バケツを置けばすぐに一杯になるほどの雨が降る。
実際に、毎年7月ころになると、小型飛行機やヘリコプターが、ネパール国で
頻繁に墜落していた。雨雲の中に入ってしまって、方角を見失うという。そして、十分な高度を保たず、付近の山に激突するというパターンだった。
「できるだけ7月には飛行機に乗るな」が私たちの事務所で囁かれていた
そんなことは言っていられないほど忙しいときがある。その時も、ネパール東部の茶園とサンプルの交渉をしなければならず、私とネパール人のDが二人で東部のビラトナガールまで出張することになった。
総務担当しているネパール人の部長が、
「樋口さん、この時期は出張しない方がよいですよ。止めた方がよいですよ」とまじめに私に言う。
「いや、大丈夫だよ。気を付けるから」と言い返していたが、正直言って、気分が良いものではなかった。気を付けるってどうすればよいのか。
ネパール国内の便は、すべて双発の飛行機であるが、その中でも一番評判が良いのがブッダエアーで、私はいつもブッダエアーに乗っていた。ブッダエアーは、ヒマラヤ、エベレスト観光飛行でも有名だ。
同社は、現在は、ATRという大型の双発プロペラ飛行機を保有しているがビーチクラフト1900というタイプの19人乗りの機種で揃えていた。
国内線の待合室は、大きな部屋で待っていると、色々な航空会社の係員が声を出して、出発便の案内を言う。
「ブッダエアー、ビラトナガール!」と叫ぶのを、聞き逃したら、出発できない。
雨季の間は、悪天候のために、キャンセルになることも多かった。出発時間が遅れることはごく普通だった。雨季の7月だったが、その日はカトマンドゥは降っていなかった。
ほんの少しの遅れで、乗客は搭乗した。ほぼ満員だった。座席は左右に1座ずつ、前から8席あり、一番後ろだけが真ん中に席がある。カトマンドゥから東の都市に飛ぶ場合は、さっさと乗って、左側後部の座席に座るのがよい。ヒマラヤの雄大な景色が見えるからだ。
逆にカトマンドゥから西に飛ぶ国内便では右側座席が(これで同じ値段かよ)というほどに、景色が素晴らしい!(ご参考までに)前部の座席だと、自分の飛行機の翼で山が見えない。ビーチクラフトでは後ろから3席目程度が良いと私は決めていた。
余談だが、当時、ブッダエアーのキャビンアテンダントには、とびっきりの美人が何人かいた。また、副操縦士の一人は、以前にミス・ネパールだったという。外の山を見たり、キャビンアテンダントをちらっと見たり忙しい。
その日も美人のキャビンアテンダントだった。ビーチクラフト機では、操縦席が丸見えであるというか、操縦席と乗客の席の間に仕切りはない。だから、離陸の時のパイロットの仕草も、よく見える。
ヒマラヤ観光飛行の場合は、飛んでいる間に、乗客は一人ずつパイロットの席のすぐ後ろまで案内されて、パイロットが「あれがエベレストです。そう、あの山」なんて、教えてくれて、写真を撮影する。
さすが、7月は、雨季の最盛期で、雲がヒマラヤの山の上まで一杯で、まったく山は見えなかった。
私は当時GPSを出張に持参していた。以前に所有していたカシオの多機能腕時計のトリプレットは、電池交換が必要で使えなかった。(現在は、太陽発電で電池交換の必要性がない3代目のトリプレットを使っている)
このGPSは、現在位置情報と方角、高度を示す。地図は付いていなくて、実線が液晶画面上を速度や縮尺に応じて、進んでいく。
衛星からの信号を直接受けるために、GPSは窓の下において、手で支持していた。(念のために言うが、現在の飛行機の機内のルールでは、離陸時と着陸時は、電子機器の使用は認められていない)
私は東部への飛行が安定したので、小型のGPSで測定していた。飴玉と耳栓用の綿を配っている美人のキャビンアテンダントも、私のGPSを見て、何も文句を言わなかった。4センチ四方の液晶画面の中央を太い実線が、東に一直線に伸びていく。
ビラトナガールまでの飛行は1時間かからない。通路の反対側の席には、私の部下のDが居眠りしていた。
「飛行は順調だな...」と見ていたら、実線が左に曲がり始めた。「あれ、あれ、あれ」と見ていると、完全なUターンをしている。周りはまったくの雲の中だし、美人のCAは、今度はコーラの大きなペットボトルを持って、配り始めている。
(こ、これは、飛行機が戻り始めている。な、なんだ)隣のDはまだ寝ている。機内を立っているのは、美人のCAだけだった。
ひょっとすると何か機体に問題が起こったのではないだろうかと考えた。エンジントラブル。燃料を入れ忘れたなど、色々な心配が頭に浮かんだ。全身に悪寒を感じた。総務部長のアドバイスを思い出した。
隣の寝ているDをついに揺すぶって起こした。
「おい、大変だぞ。飛行機が戻り始めている」とGPSの軌跡を見せた。
「本当ですか。まったく分からないですね」
そこに美人がやってきた。話しかける絶好のチャンスだ。しかし、この時には私の顔に恐怖感が見えて、決して見ても気持ちの良いものではなかっただろうが。
「どうして、飛行機が戻っているの?何があったのか、機長に尋ねてくれ」と言うと、何も言わないで、私にコーラを渡さないで、機長のところに行って、彼女が話しかけた。私は前をじっとみていた。
機長が、ふっと後ろを振り向いたとき、にこっと笑っていた。これで、私の動悸はスーと治まった。その時、機長がハンドマイクを取り上げて、
「機長です。みなさんに申し上げます。ビラトナガールの空港は、現在豪雨が続いているので、着陸はできません。一端、カトマンドゥに戻り待機して、雨雲が通過することが見えたら、ただちに再度飛行予定です」
(もっと早いこと、言ってくれよ。言ったから、怒るわけでもあるまいし)
カトマンドゥ空港に戻って、待合室に移るためにバスに乗るとき、機長が、席から私の顔を見上げて、
「よく分かりましたね。驚きました」と言った。
「技術のおかげで...」と小型のGPSを見せた。(お客をなめるなよ)
追加 実際はそれから2時間、待合室で待っていたら、「ただちに出発します」とアナウンスがあって、飛行機にみんなが飛び乗って、無事にビラトナガールに到着した。
教訓 いずれは分かるものを、先に分かって独りで心配するのは馬鹿みたいだと思う。ただ、分からないだろうと、無視されるのは面白くない。
雨季の飛行便
ネパールに4年半駐在した。
首都カトマンドゥはヒマラヤの深い山々の中の大盆地の中にあり、周り360度を完全に1200メートルほどの山々で囲まれている。その大盆地の中というか、鍋の底にネパールのトリブバン国際空港がある。すべての飛行機は、大鷲が翼を広げた形で巣に降り立つように、周辺の山の尾根を越えて、盆地の底に着陸していく。
昔の香港の啓徳国際空港もパイロット泣かせの難しい空港であったが、トリブバン国際空港では、過去に実際に大きな航空事故が起こっている。
1992年7月31日 タイ国際航空が着陸時に、周辺の山々に激突し、乗客全員が亡くなっている。日本人もたくさん乗っていた。更に立て続けに、同年9月28日には、パキスタン国際航空が事故を起こしている。
タイ航空の場合は、雨季のピークで視界が利かず、高度計のセッティングを間違えたとも言われているが、両航空機とも、トリブバン空港には、着陸誘導用のレーダーが無かったことが問題になり、日本政府が空港用のレーダーを無償供与して、私たちも安心して飛行機に乗れるようになった。
ネパールの気候は乾季(9月―3月)と雨季(4月―8月)に分かれるが、雨季の、特にピークの7月はものすごく雨が降る。どんな家でも雨漏りがするほどで、バケツを置けばすぐに一杯になるほどの雨が降る。
実際に、毎年7月ころになると、小型飛行機やヘリコプターが、ネパール国で
頻繁に墜落していた。雨雲の中に入ってしまって、方角を見失うという。そして、十分な高度を保たず、付近の山に激突するというパターンだった。
「できるだけ7月には飛行機に乗るな」が私たちの事務所で囁かれていた
そんなことは言っていられないほど忙しいときがある。その時も、ネパール東部の茶園とサンプルの交渉をしなければならず、私とネパール人のDが二人で東部のビラトナガールまで出張することになった。
総務担当しているネパール人の部長が、
「樋口さん、この時期は出張しない方がよいですよ。止めた方がよいですよ」とまじめに私に言う。
「いや、大丈夫だよ。気を付けるから」と言い返していたが、正直言って、気分が良いものではなかった。気を付けるってどうすればよいのか。
ネパール国内の便は、すべて双発の飛行機であるが、その中でも一番評判が良いのがブッダエアーで、私はいつもブッダエアーに乗っていた。ブッダエアーは、ヒマラヤ、エベレスト観光飛行でも有名だ。
同社は、現在は、ATRという大型の双発プロペラ飛行機を保有しているがビーチクラフト1900というタイプの19人乗りの機種で揃えていた。
国内線の待合室は、大きな部屋で待っていると、色々な航空会社の係員が声を出して、出発便の案内を言う。
「ブッダエアー、ビラトナガール!」と叫ぶのを、聞き逃したら、出発できない。
雨季の間は、悪天候のために、キャンセルになることも多かった。出発時間が遅れることはごく普通だった。雨季の7月だったが、その日はカトマンドゥは降っていなかった。
ほんの少しの遅れで、乗客は搭乗した。ほぼ満員だった。座席は左右に1座ずつ、前から8席あり、一番後ろだけが真ん中に席がある。カトマンドゥから東の都市に飛ぶ場合は、さっさと乗って、左側後部の座席に座るのがよい。ヒマラヤの雄大な景色が見えるからだ。
逆にカトマンドゥから西に飛ぶ国内便では右側座席が(これで同じ値段かよ)というほどに、景色が素晴らしい!(ご参考までに)前部の座席だと、自分の飛行機の翼で山が見えない。ビーチクラフトでは後ろから3席目程度が良いと私は決めていた。
余談だが、当時、ブッダエアーのキャビンアテンダントには、とびっきりの美人が何人かいた。また、副操縦士の一人は、以前にミス・ネパールだったという。外の山を見たり、キャビンアテンダントをちらっと見たり忙しい。
その日も美人のキャビンアテンダントだった。ビーチクラフト機では、操縦席が丸見えであるというか、操縦席と乗客の席の間に仕切りはない。だから、離陸の時のパイロットの仕草も、よく見える。
ヒマラヤ観光飛行の場合は、飛んでいる間に、乗客は一人ずつパイロットの席のすぐ後ろまで案内されて、パイロットが「あれがエベレストです。そう、あの山」なんて、教えてくれて、写真を撮影する。
さすが、7月は、雨季の最盛期で、雲がヒマラヤの山の上まで一杯で、まったく山は見えなかった。
私は当時GPSを出張に持参していた。以前に所有していたカシオの多機能腕時計のトリプレットは、電池交換が必要で使えなかった。(現在は、太陽発電で電池交換の必要性がない3代目のトリプレットを使っている)
このGPSは、現在位置情報と方角、高度を示す。地図は付いていなくて、実線が液晶画面上を速度や縮尺に応じて、進んでいく。
衛星からの信号を直接受けるために、GPSは窓の下において、手で支持していた。(念のために言うが、現在の飛行機の機内のルールでは、離陸時と着陸時は、電子機器の使用は認められていない)
私は東部への飛行が安定したので、小型のGPSで測定していた。飴玉と耳栓用の綿を配っている美人のキャビンアテンダントも、私のGPSを見て、何も文句を言わなかった。4センチ四方の液晶画面の中央を太い実線が、東に一直線に伸びていく。
ビラトナガールまでの飛行は1時間かからない。通路の反対側の席には、私の部下のDが居眠りしていた。
「飛行は順調だな...」と見ていたら、実線が左に曲がり始めた。「あれ、あれ、あれ」と見ていると、完全なUターンをしている。周りはまったくの雲の中だし、美人のCAは、今度はコーラの大きなペットボトルを持って、配り始めている。
(こ、これは、飛行機が戻り始めている。な、なんだ)隣のDはまだ寝ている。機内を立っているのは、美人のCAだけだった。
ひょっとすると何か機体に問題が起こったのではないだろうかと考えた。エンジントラブル。燃料を入れ忘れたなど、色々な心配が頭に浮かんだ。全身に悪寒を感じた。総務部長のアドバイスを思い出した。
隣の寝ているDをついに揺すぶって起こした。
「おい、大変だぞ。飛行機が戻り始めている」とGPSの軌跡を見せた。
「本当ですか。まったく分からないですね」
そこに美人がやってきた。話しかける絶好のチャンスだ。しかし、この時には私の顔に恐怖感が見えて、決して見ても気持ちの良いものではなかっただろうが。
「どうして、飛行機が戻っているの?何があったのか、機長に尋ねてくれ」と言うと、何も言わないで、私にコーラを渡さないで、機長のところに行って、彼女が話しかけた。私は前をじっとみていた。
機長が、ふっと後ろを振り向いたとき、にこっと笑っていた。これで、私の動悸はスーと治まった。その時、機長がハンドマイクを取り上げて、
「機長です。みなさんに申し上げます。ビラトナガールの空港は、現在豪雨が続いているので、着陸はできません。一端、カトマンドゥに戻り待機して、雨雲が通過することが見えたら、ただちに再度飛行予定です」
(もっと早いこと、言ってくれよ。言ったから、怒るわけでもあるまいし)
カトマンドゥ空港に戻って、待合室に移るためにバスに乗るとき、機長が、席から私の顔を見上げて、
「よく分かりましたね。驚きました」と言った。
「技術のおかげで...」と小型のGPSを見せた。(お客をなめるなよ)
追加 実際はそれから2時間、待合室で待っていたら、「ただちに出発します」とアナウンスがあって、飛行機にみんなが飛び乗って、無事にビラトナガールに到着した。
教訓 いずれは分かるものを、先に分かって独りで心配するのは馬鹿みたいだと思う。ただ、分からないだろうと、無視されるのは面白くない。