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着陸失敗にも度胸の軍人

着陸失敗にも度胸の軍人

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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飛行機珍体験集 
着陸失敗にも度胸の軍人

 ナイジェリアに駐在していた時に、北中部の都市カドゥナへ出張した。
 飛行機はいつも混んでいた。予約をしていても、オーバーブックとなっていて、誰もが飛行機に乗るのに必死だった。

 ナイジェリア航空の当時の飛行機の搭乗では、いくつかの色の搭乗券を何度でも使う、いわゆる使いまわしの搭乗券だったので、時にそれを悪用して、予約していない者が、搭乗券を見せて、さっさと飛行機に乗り込んでいくこともあった。座席は、ファーストクラスとかビジネスクラスが無くて、全くの自由席だった。
 
 当時の飛行機の乗り方は、とにかくぐずぐずしないで、さっさと飛行機に乗ること。通路側には座らない。必ず窓側に座ること。切符の写しを手に持っていることだった。シートベルトの端を握って、梃子でも動かないという姿勢を取ることだった。
オーバーブックになると、乗員が全乗客の切符の写しを調べる。切符の写しを持っていないと、飛行機の外につまみだされることになる。

 時には、切符の写しを持っていても、追い出されることもあった。
軍人や政府のVIPが急に出張するという時は、切符もへちまもなく、VIPたちは単に空港に来て、席を取る。そうなると、一般の市民も、我々外国人も、まったく無視されて、席を明けさせられる。

 軍人や政府のVIPは前から3列目までを占領することが多かったから、私は、①早く搭乗、②前から4列目より後ろの席の窓側、③切符の写しを持ち、④シートベルトをしてその端をしっかりと握る。というのを、ナイジェリアでの賢い飛行機の乗り方にしていた。
その日も、全員が座ったあと、細い指揮棒を持った軍人が二人乗ってきて、前の3列の乗客を、問答無用で追い出した。後ろに席が空いていれば、ラッキーだったが、まずは難しいだろう。私は4列目の真ん中に座っていた。
 
 しばらくして将官が乗り込んできた。私は彼の顔を知っていた。当時の北中部州の知事で、内戦の時の立役者の一人で有名な将軍だった。新聞でも頻繁に登場する。当時、ナイジェリアは、軍事政権だった。
 その将軍がお付きの軍人を二人一緒に搭乗してきて、3列の9席に3名が座った。と、同時に機のドアが閉まり、ラゴス空港を出発した。
離陸も問題なく、ボーイング707か727だったと思う。私の斜め前に将軍が座っていて、彼は新聞を読んでいた。背が高く、ハンサムだった。黒人は軍服がきわめてよく似合う。
 1時間半で、カドゥナに到着予定で、高度をどんどん下げていたが、窓から外の景色を見ていると、すでに空港の滑走路の上をかなり過ぎて、高度が高すぎたようだ。
「あれ、おかしいな」と見ていたら、途中から、「ガオーン」と、エンジン音がフルになり、飛行機は急上昇し始めた。要は、着陸に失敗したのだ。その時に、飛行機は戦闘機のように、右翼を下に、斜めに急上昇していく。乗客全員が、「わああ」とか、「ぎゃああ」とか騒いだ。
 
 飛行機が墜落する時は、あのような声をみんなが立てるのだと分かったが、私も声を出していた。こんな旅客機が、斜めに急上昇していくなんて、初めての体験だった。斜め横に発射されたミサイルのように上昇し始めた。

「失速しないでくれ」と、手に汗を握っていた。右側窓が地上と並行になっていたが、徐々に持ち直した。

 その時、私は何気なく、前列の真ん中の将軍を見た。彼は新聞を見ていた顔を、ちらっと外に向けて、ニヤッとしただけで、また新聞に戻っていった。一言も、叫びも、驚きもしなかった。実に堂々としていた。

 上空で、機体の平衡を取り戻し、機長が、
「びっくりさせて、もうしわけない。着陸をやり直しします。心配はありません」とアナウンスした。そして、ぐるりとまわって、着陸態勢にはいり、無事にカドゥナの空港に降り立った。乗客全員が着陸した後、拍手したのをおぼえている。将軍知事はにこにこ笑っていた。
 さすが軍人の将軍だけある。肝っ玉が違うと、私はすごく感心したことをおぼえている。

 それから3か月ほど後、ナイジェリアでは、軍事クーデター未遂(つまり失敗)が起こり、軍人が約50名ほど逮捕され、全員処刑された。下級の兵士は、海岸にたてられた砂のドラムに括りつけられ、銃殺刑に処された。

 着陸失敗の時に同乗した将軍知事も、クーデターの首謀者の一人として、逮捕され、秘密軍事法廷で死刑が宣告され、兵舎の中で銃殺刑になった。
 厳しい思い出だ。

教訓 栄枯盛衰、諸行無常。人間の運命は、いつどのように、変わっていくのか、分からないものだ。