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機内で傘をさした話

機内で傘をさした話

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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飛行機搭乗珍体験集
機内で傘をさした話
 MEA(Middle East Airlines 中東航空)の機内は緊張していた。

 飛行機が、ジェッダを出発した時、見ると周りはほとんどがフィリピン人の若者たち数百人だった。日本人は私一人だった。飛行機はパキスタンのカラチに向かっている。私はそこからキャセー航空に乗り換える。彼らはマニラ行きの飛行機に乗るのだろう。
 彼らはサウジアラビアに単身で出稼ぎに行っていたのだろう。これだけの数のフィリピン人たちが一挙に帰国するのだから、きっと大きな工事の案件が終わったのか。

 ジェッダを出発した後、シートベルト着用のサインが消えた途端に、一人の若者が、「グッバイ、サウジアラビア、グッバイ」と叫んだ。
 それが、たちまち大合唱になった。
「グッバイ、サウジアラビア、グッバイ」
 その時だった。
「I want beer! (ビールが欲しい)」と一人が叫んだ。
 それがたちまち、機内を揺るがす大合唱になった。

 これらのフィリピン人たちは、工事の出稼ぎで1年か2年、灼熱のサウジアラビアの砂漠で働き続けたのだ。それも酒も酒場も映画館も、まったく存在しないところに、いつも酒と歌と女性たちが必須栄養素の天涯楽天主義のフィリピン人の男性たちにとっては、考えられない。本当に厳しいところだったのだろうと思う。

 サウジアラビアには、もちろんアルコールの入ったビールはまったく無い。アルコールは麻薬と同じ扱いである。だから帰国の飛行機に乗ったら、禁断のビールが飲めると夢見ていたはずだ。

 機内の放送で、パーサーが英語で、
「お客様に申し上げます。申し訳ありませんが、サウジアラビアの法律にしたがって、サウジアラビアの領空を飛んでいる間は、アルコールは機内では提供できません。あと40分ほど、お待ちください」と説明した。

「ビールが欲しい、ビールが欲しいWe want beer! We want beer!」の、座席のテーブルを拳で叩きながらの大合唱になって、飛行機は首都リヤドの上空を飛んでいく。
「We want beer! We want beer!」

 機内には、全くの少数だが、サウジアラビア人も乗っていたが、もうまったく何も言わない。私だって、ビールを早く飲みたい派だから、もちろん賛成。ただ、テーブルを叩きはしなかった。

 飛行機がアラビア半島の東海岸を超えて、パーサーがアナウンスをした。
「今、サウジアラビアの領空を超えました」と、感動のアナウンスだった。声が震えていた。
拍手が出た。

 「わー」何人かのフィリピン人は立ち上がって、手を振っている。フィリピンの旗があったら、振っていただろう。
 そこにスチュワーデスが、箱に入ったままのビールを、ぞろぞろと出してきたものだから、もう何人かのフィリピン人が機内の通路を走っていって、配る役を買って出た。たちまちビールが全席にわたると同時に、缶を開ける音が「カチン」「パチン」と聞こえた。

「わあー、ビールだ、ビールだ」もう、大変な騒ぎ。
 たちまち、一缶は終わり、次の箱、次の箱。機内は飲み放題だ。

二缶、三缶と、機内の在庫を全部出して、開け出したが、誰かが振った缶を開けてビールをお互いに掛け始めた。野球の優勝の祝いと間違っている。

前の方で開けたビールの泡や飛沫が、かなり後ろの私の席まで飛んできたから、もうこれは故意に缶をゆすって掛けあっているとしか思いようがない。

「わー、ビールだ。ビールだ。グッバイ、サウジアラビア」
 もうえらい騒ぎになった。振った缶ビールのスプラッシュがこちらに来ないように祈っていた。こんなことをしていても飛行機は飛ぶ。ふっと見ると、女性が機内で傘をさしていた。あれは知恵だ。
 
教訓 砂漠で飲めない冷たいビール。彼らはこの日を夢に見ていたのだろう。フィリピン人たちは、こうして一年間、サウジアラビアで出稼ぎで働けば、フィリピンに戻って、約5年間は生活できるという。これからは、日本人の若者も大量に出稼ぎに出る時代が来るのではないか。