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若者よ、海外に雄飛せよ その21 オーストラリアへのイタリア人移民の話

若者よ、海外に雄飛せよ その21 オーストラリアへのイタリア人移民の話

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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若者よ、海外に雄飛せよ その21 オーストラリアへのイタリア人移民の話


 私がオーストラリアに留学していたころだから、1967年、68年。
相当古い話だ。当時のオーストラリアでは、まだ白豪と呼ばれて、アジア人の移民は難しかったが、白人の移民は割に簡単だったようだ。

 その当時、一人のイタリア人の若者が移民してきたとする。背が高くて、スマートだが、英語は全然話せず、教育も中学卒程度だが、年齢は18歳程度。彼は、オーストラリアに到着すると、まず清掃の仕事に就く。

 つまり清掃車の後ろにぶら下がって、家の前の通りのごみ箱の内容を清掃車の後ろにぶち込む仕事だ。スニーカーで、短パンで、上半身裸で、車の後ろにぶら下がって、家の前のごみ箱を担いでは、車の後ろに投げ込んでいく仕事だ。背中も日焼けしていたが、車から飛び降り、飛び乗りして、仕事をこなしていた。

「彼らの給料は、悪くない」と、同じ下宿の若い銀行員が私に話してくれた。
彼らイタリア人の若者の新移民は、まず清掃車の後ろで仕事を2年ほどする。そうすれば、かなりの貯金ができる。その貯金で学校へ行って、英語を覚える。昼間は八百屋さんを手伝う。

 英語ができるようになれば、Caféの店員になる。そのまま八百屋さんで独立する者もいる。こうして、落ち着いて生活ができるようになるという。このようなコースを通るイタリア人移民が多いとのこと。もちろん中にはマフィアのような者もいると言っていた。

 40年間で、移民の種類が変わった。中国人、ベトナム人が多数オーストラリアに入ってきている。そして、オーストラリアは、フェアな国だから、中国人もベトナム人も自国民として扱っている。
 日本人の若者がオーストラリアに長期滞在するには、私の理解している限りでは、留学か、しかるべき理由があってオーストラリアで仕事をするという以外に方法はない。しかし、留学しながら清掃車の後ろにぶら下がる仕事をすることは、可能なのかもしれないが、保証できない。

 オーストラリアに留学して大学を卒業したとしても、オーストラリア国内では、かなりの就職難だ。しかし、それだけの語学を持って帰れば、日本では就職はかなり楽になるだろう。