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奇妙な食べ物体験 その1 わけのしんのす 初体験

奇妙な食べ物体験 その1 わけのしんのす 初体験

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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奇妙な食べ物体験 その1 わけのしんのす 初体験 
(当面、気分転換に、食べ物のことを書くことにした)

 ある技術の調査団の一員で米国を回っていた時、佐賀出身の一人が、有明湾の食べ物の説明を始めた。

(ひょうきんな姿で潟をあるきまわり、潟スキーからひっかけて捕まえる)ムツゴロウ、(恐ろしい顔をしていて有明海のエイリアンと言われる)ワラスボ、(三味線のような)メカジャ、(とても美味しいという悦にいる)エツ、(有明海の舌平目)くつぞこ、(手のひらほどの巨大な)牡蠣など、有明海は、驚くべき海の珍妙な食べ物の宝庫だ。

 私は食べ物の話になると、もう夢中になってメモを書いていたが、最後に言われた「わけのしんのす」には、仰天した。
「本当ですか。そんなものを食べるなんて、聞いたことがありません。世界にも例がない」
「本当に、食べるのですよ」
「刺身ですか」
「いや、炒めたり、味噌汁に入れます」
「うっ、食べてみたい!一体どんな味がするのですか、イソギンチャクってのは」
「イソの香り一杯で、コリコリしています」
「なるほど。しかし、あのびらびらした気持ち悪い髭のような触手は、小魚を食べるために、毒の針を打ち出すのでは。口の中は腫れあがりませんか」
「いや、有明海のイソギンチャクは、大丈夫です。毒もありません。とにかく美味しいのです」と明言する友人。

 日本に帰国した後、イソギンチャクをどうしても食べたくなってしまった。
それも自分で料理をしたくなった。
「いいよ。樋口さん、私の家で料理をすれば。泊まっていってもいいよ」と親切に言ってくれたので、出かけた。

佐賀の友人の家に到着し、荷物を置いて、
「じゃ、市場に探しに行くかな」
「行きますか」
 町の外れの市場で、
「わけのしんのすを売っているのは、有明海でも限られていて、熊本まで行けば、もう誰もわけのしんのすを知らないことが多いよ。それと、わけのしんのすを食べる地域が非常に狭い」
「どうして、イソギンチャクまで食べたのですかね」
「分からない」と友人。

「私の推測では、非常に深刻な飢饉に襲われた時期があったのかもしれませんね。あるいは、秀吉の朝鮮戦役の時に朝鮮で覚えた味でしょうか?あるいは連れて帰ってきた朝鮮の陶工が教えてくれたのでしょうか」(私はこの調査のために、韓国の釜山を訪問して、魚市場を訪問し、ズワイガニやアワビをたらふく食べたが、イソギンチャクは見つからなかった)
「単純に、他の具と一緒に味噌汁で煮ていたら入っていたのでは」と、魚市場で探しながら友人の説明。
「かもしれないですね」
「無いなあ」「ここも無いなあ」と、店を覗きながら、友人が呟いている。
 薄暗い一件の店で、「ああ、あった、あった」と、指さして「良かった。無かったらどうしようと思った」

 お店の容器を覗きこんだら、そこには、丸っこい、白っこい、わけのしんのすがあった。羊30頭からくり抜かれた目玉群のように見えた。外科のホウロウの容器に入った目玉。イソギンチャクの触手が睫毛のように見えないこともなかった。
(こ、これを食べるのか!)と、私は感激と緊張に襲われた。
 意外と高い値段に驚いたことは覚えている。

「ちょっと小ぶりかな。わけのしんのすは、こちらでは高級料理ですよ、樋口さん。しかし、とにかく見つかって良かった」
 ビニールの袋に入れて、友人の家に向かった。
「ただいま」
「おかえりなさい」と奥さん「わけのしんのす、ありました?」
「ああ、あった、あった。これから料理」
「私、それだけは遠慮させてもらいます。どうぞ、自由に料理をしてください」
(そりゃ、無理ない)

 私と友人は、台所で、まずわけちゃんを水洗い。手で触っても、なにか石ころが付いている。
「まずは、その石ころの付いた側を切り取っていきましょう」
 基本的にイソギンチャクというのは、壺のような形をしている。そこに指を突っ込むと、指キャップというように、遊んでみても分かるが、イソギンチャクの周りは非常に硬い軟骨のような筋肉で、死後硬直なのか、まだ生きているのか分からない。

 中華鍋を取り出して、油をたっぷり入れて、強火であぶり、
「さあ、一気にさっと行きましょう」と、水っぽいイソギンチャクを入れたものだから、油がバチバチと飛んだ。二人とも、さっと身を退き逃げ切った。あとは、鍋の底で納まっている。
(目玉焼き、目玉炒め)

 その時に一瞬にして、台所まわりには、磯の香りが拡がった。それは懐かしい香りだった。目玉に軽く色が付くまで、醤油と酒と塩と胡椒で炒めて、皿に載せて、食卓に運んだ。もちろんビール。

 まずは、わけのしんのすを発見し、購入し、勇敢にも自ら料理して、ここに至ったことで乾杯。冷えたビールは旨かった。そして、お箸で、わけのしんのすを1玉つまんで、口に入れてガブリと齧った。
「おう」、わけのしんのすから、熱い磯のジュースが香りとともにどっと出た。かすかに甘い。
「旨い。これ旨いです」
「そうでしょう」
「食わず嫌いとか、食の偏見なんですね。このこりこりしているのは、何ですかね」と言うと、
「それは筋肉なんでしょうね。イソギンチャクに骨はありませんからね」と友人。
「このコリコリは一種独特の食感ですね。美味しい」

「樋口さん、『わけのしんのす』って、何と言う意味か分かります?」
「知りません」
「それはですね。『若い人の尻の穴』という意味です」
 もはやそのような表現でも、たじろぐことはなく、ビールを飲み干した。

吉開鮮魚店HPより いそぎんちゃく写真.jpg

(吉開鮮魚店のHPの写真をお借りしました。このお店のHPはこちら

結論 世の中には、まだまだ色々な美味しいものがあるが、見てくれが悪いために、食べないでいる、たとえば、「あめふらし(Sea Hare)」「ヒトデ(Starfish)」その他の海藻などは、調理法によっては食べることができないだろうか。有明海では、歴史を掛けて、様々な変わったものを食べてきたのだから。