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若者よ海外に雄飛せよ その3 何のために海外に行くか

若者よ海外に雄飛せよ その3 何のために海外に行くか

樋口 健夫

アイデアマラソン研究所所長 ノートを活用したアイデアマラソン発想法考案者であり、電気通信大学講師。現役時代は三井物産の商社マン。 企業の創造性トレーニングでは、ジャパネットたかたの全社員運動、アサヒビールでの研修などを続けている。独創性を命と考えている。

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何のために海外に行くか

 

友人の友人を通じて、オーストラリアの青年商工会議所に頼んでもらった。留学のスポンサーになってもらえることになり、オーストラリアの査証も取れた。1968年のことだった。シドニーのマコーリー大学は、新設の大学だったので、入学の応募には早すぎたために、「とにかくできるだけ早くオーストラリアに来なさい」というアドバイスをもらった。

 

 ただ、飛行機代が途方もなく高かった。今、オーストラリアに行くのに、シンガポール航空でも10万円前後、格安航空に至っては数万円(燃費など別)という安さだ。

 当時、海外に持ち出せる外貨は、500ドルだけだった。円の交換レートは1ドル360円で、オーストラリアまでの往復航空運賃は、50万円近く必要だった。

 その頃、海外に自費で出かけるのはよほどの金持ちだけだった。とてもそんなお金は持っていなかったから、大阪の船会社を回って、オーストラリアまでの船に乗せて欲しいと頼み回り、最終的には巨大な石炭運搬船に乗せてもらうことができた。

 

 名古屋港を出て外洋に出た後、船長曰く、「本船は台風を避けるために、遠回りする」と言ったが、数日後、荒れ狂う海の中で、一晩中波を叩く船底の轟音と立っても、寝てもいられないほどの大きな揺れを体験し、シンドバットか、ロビンソンクルーソになるのかと思ったほどだった。それでも、私は酔わなかった。

 

 乗った船は、その前の北太平洋航海で、アンカレッジの桟橋で、船側を破損して、その穴からどんどん海水が入っていたが、

「大丈夫、入ってくる量と同じだけポンプで排水しているからね」と、誰も気にもしていなかった。嵐にも全く動揺しない船長以下船乗りの度胸には驚いた。

 

 オーストラリアでは、シドニー市内で働きながら、大学に入学した。毎日、くたくただったが、それでも生活は充実していた。

 

オーストラリアに留学していた2年間、学んでいたのは経済学だった。これもやはり生涯の影響を受けている。オーストラリアの大学では数百人の講義とチュートリアルがセットだった。チュートリアルでは、大学院生1人が私たち学生4名ほどを個別に指導することになっていた。その懇切丁寧な指導は、私の教育感の基礎になっている。

 

オーストラリアでは、交通事故以外の危険性は、感じたことがなかった。暴力を受けかけたことも、反日感情も体験したことはまったくない。

 

 その安全の基礎は、下宿していた銀行員の主人と家族の絶対の生活信条だった。家族と家を自分で守り、こつこつと生活レベルを上げていくことを計画していることを知って、すばらしいと思っていた。その後の人生に大きな影響を受けた。

 

 日本からの仕送りもなく、私はアルバイトをしながら、大学の学費、下宿代、そして一定の貯金をしていたから、下宿の銀行家の主人が驚いていた。それだけ当時のオーストラリアは、懸命に働けば、働く機会は十分にあって、働きながら学ぶワーキングスタディができた。

 

 さて、今、私が大学3年になりかけている場合、どうするだろうか。当時のことで思い出して、今も間違っていなかったと思うのは、

①学生の身分のまま出かけたこと

②特定の国に滞在して、学び、働き、その国の市民の家庭に入ったこと

③帰国して日本の大学を卒業したこと

 

 現在私が、学生だったら、やはりアメリカか、カナダか、オーストラリアをまず選んでいるだろう。あるいは、欧州の国々を選んでいるかもしれない。ドイツ語、フランス語のどちらかを学びに行っている可能性も高いだろう。タイも魅力的だ。とにかく日本から出て行くことは間違いない。

 やはり反日の国々は躊躇するだろう。ぶらり世界漫遊貧乏旅は、避けるだろう。旅の寂しさに私は耐えられないだろうから。

 

ポイント

  学びに行って、働きながら学ぶこと

  世界漫遊の旅よりも、一定の場所で学ぶこと

  学生の間に出て、学生の間に戻ってくる。今なら海外でまなんだことも、国内の大学の単位として認められることもある。

  とにかく人と話し、交際し、生涯の友だちを作ってくること。

  自分の才能を発見しにいくこと

  海外に出るならば、ノートにアイデアマラソンを続けること