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成活習慣とは(4/5) 左半身の完全麻痺から回復してエアロビクスができるようになったケニー田沼さんの話

成活習慣とは(4/5) 左半身の完全麻痺から回復してエアロビクスができるようになったケニー田沼さんの話

伊藤 高史

開業して三代目。高齢の方にも安全安心な保険の入れ歯治療、修理、メンテナンスを中心に行なっている。

当ブログ「杉並区「入れ歯専門の歯医者さん」今日の出来事」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/ito_takafumi/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


バレエダンサーとしてテレビ出演も経験し、その後美容院を多店舗経営していたケニー田沼さんは47歳のときに脳梗塞に見舞われ左半身完全麻痺になりました。

運動中は水を飲むな!
そのような間違った考え方がまかり通っていた時代。
はげしいダンスを長時間踊って水は飲まない。

いつの間にか血がドロドロになっていました。
指の先を包丁で誤って傷つけた時、血があっという間に固まっていたそうです。

いいことだと思っていたのですが、それが一番大きな脳梗塞の原因だと当時は夢にも思いませんでした。

タレントの西城秀樹さんも著書『あきらめない』(リベロ)で水を飲まないことが原因で脳梗塞になったと書いています。

顔がダランと下がったまま動かない。
絶え間なく襲ってくる頭痛。孫悟空の頭の輪のよう、と表現されていました。
左足の裏に釘を踏んづけたような違和感がある。しかし足の裏を見ても何も踏んでいない。自分の体が自分の思うようにならないもどかしさ。

またご家族の不幸、全ての美容院の閉鎖なども重なった田沼さん。

「毎日死ぬことをばかり考えていた」

そんな時期が続きました。
しかしお嬢さんは、病院の待合室で何も言わず寄り添ってくれていました。
この子のために生きようと決心します。

まずは脳梗塞の前の体に戻したいと強烈に願いました。
車イスや杖、介助があれば日常生活に不自由はありません。

「でもそういう問題じゃないんだよね」

たとえば傘が持てる、まっすぐ歩ける、髪が洗えるなど。そういう当たり前と思っていたことが再び出来るようになりたい。

「病気になると、病気になる前の状態に戻したくなるんだよ」

願ってはみたもののリハビリは大変。
痛いし、結果はなかなか出ません。
また当時は「脳梗塞は年寄りの病気」と一般的には認識されていました。
まだ若い自分がそんな病気になったなんて」人に言えない恥ずかしさ、後ろめたさもありました。

整体を学んで体の麻痺を少しずつ回復させ、試行錯誤しながら顔面筋トレを続けます。
麻痺でゆがんだ顔を自力で治そうと考えたのです。

「最初はがむしゃらに顔全体を刺激していましたが、それぞれ目的別に20種以上もの筋肉があることを知り、これを一つずつほぐしていけば、より元の顔に戻っていくということを理解していきました」

たとえば、眼輪筋という目の周りの筋肉をほぐしていくうちに、それまで垂れていた左目が次第に上がっていく、次にその隣の側頭筋をほぐすとさらに目は上がり、視野も広がった。眉間にできていた縦皺も額の横皺も消え、ついには麻痺が他人にはわからないほどに解消しました。

整体を行なっていた患者さんが額の縦皺が見苦しいと悩んでいました。そこで自分の縦皺を消したやり方を患者さんに施したところ、きれいに消えたのです。

これはいけるぞ! 手ごたえをつかんだ瞬間でした。

「たくさんの人にきれいに幸せになってほしい」
そう願った田沼さんは、自らの顔を元に戻したことで身に付けた整顔リハビリ美容法を用いるアンチエイジングサロンを開くことを決意。

「老齢を止める試みを楽しくやっているんだよ」
と素晴らしい笑顔で語ってくださいました。

今では70歳代にして毎日ジムに通って週3回ほど2時間のエアロビクスをこなし、足が頭のところに上がるほどまで鍛錬されています。

体が良い方向に変わると同時に変わったのが考え方でした。
「脳梗塞の前は、生きているのが当たり前と思っていたけれど、今では家族や周りの人、さらには、もっと大きな存在によって自分は生かされていると感謝しながら生きるようになったんだ」とおっしゃいます。