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「英語上達の近道は、外人の恋人を作ること」は、半分正しく、半分間違い
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留学して半年が経ったある朝、突如英語がパーフェクトに聞き取れるようになったことを機に、私の英語は急速に上達していきました。授業のスピードにもかなり慣れ、以前のように、授業後に先生に延々と確認する必要もなくなってきました。
このことを通じて気がついたのは、「自分に足りなかったのは、知っている単語の数や、正確な分法云々ではなく、単に聴きとるスキルだったのだ」ということでした。
聴くことが苦にならなくなるだけで、ものすごく精神的に余裕が生まれました。
ひとつ、大きなカベを乗り越えられたような気がしたものです。
さて、聞きとれる量が増すと、しゃべる量も比例して増します。
覚えた単語や、使う機会を待っていた慣用句を実践する機会が増えていきます。
また、喜怒哀楽の感情表現をも表現できるようになると、より深いコミュニケーションができます。
深いコミュニケーションなんて書くと、「心が通って、ハートウォーミング♪」と想像するかもしれないですが、実際は口げんかが増えてきたりもしました。まあ、ティーンエイジャーが24時間共同生活を送れば、日々ぶつかりあいがあります。出身国がバラバラで、文化も習慣も食や音楽の好みも違うわけで、当然といえば当然です。
でも、英語でけんかできるほどの精神的余裕が生まれてきた証拠でもあり、内心はそのことを喜ばしく思っていました。
心の余裕ができてくると、それまで自分のこと、英語のことで一杯一杯だったのが、徐々に異性に目をやりだすようになります。
留学してから半年間、英語習得とTOEFLのことしか考えていなかったので、誰かを好きになるとか、異性にちょっかいを出すとか、完全に意識の外だったのです。
「そっか、そういえば、女子いっぱいおったなー」
と改めて思い出したのです。毎日いっしょに暮らしながら、そんなことも考えていませんでした。
いまこうやって思い出しても、信じられないくらいです。
そんな状況だったある日、西海岸の高校から、17歳の韓国人の女の子が転校してきました。
アジアの黄色人種同士という共通点もあり、我々はすぐ仲良くなりました。
快活で笑顔を絶やさず、よくしゃべるその子に、私はほぼひと目惚れをしました。
ところで、「英語上達の近道は、外人の恋人を作ること」という表現を聞いたことがあるかと思いますが、あれは半分正しく、半分間違いです。
間違いの理由は、そもそも英語ができないまま、外人と恋人になるほど親しくなることは不可能であるということ。
正しくは、「英語上達の近道は、恋人になりたいと思えるほど好きな外国人をつくること」です。
私が好きになった韓国人の女の子とは、英語でしかコミュニケーションがとれません。
この瞬間、英語習得はこれまでの「勉学のツール・学びの手段」の域を越え、「思いの丈を伝える愛情表現の手段」になりました。
その点、全寮制学校というのはすばらしいものでして、大好きな人に朝起きてすぐ会えて、ご飯も一緒に食べれて、キッチンで一緒に皿洗いもできて、キャンパスを散歩したり、夜遅くに先生の目を逃れて階段の踊り場でコソコソおしゃべりしたり・・・といったことが可能なのです。
えーと、、これ以上書くのは、恥ずかしいのでやめます。
もはや、私にとって英語は「学ぶもの」ではなくなりました。
英語の上達にさらに拍車がかかったのは、言うまでもありません。
つづく
代表 中山順司