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「極めるひとほどあきっぽい」 ・・・それでいいのか。やっぱりな。
»2013年6月17日
開米のリアリスト思考室
「極めるひとほどあきっぽい」 ・・・それでいいのか。やっぱりな。
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
こんにちは。本職・わかりやすく書く力向上トレーナー、趣味・最近は野鳥撮影の開米です。
今日は、20代で学者、30代で医者、40代で製薬ベンチャー社長となり、全世界で1億2000万人の患者がいる「加齢黄斑変性」という病気の治療薬を開発している窪田良氏の著書「極める人ほどあきっぽい」の書評です。
それにしても、「極める人ほどあきっぽい」・・・タイトルだけで興味を引かれます。そうそう、そう思うよ、と言いたくなります。
著者の窪田良氏は、だいたい10年ごとに、キャリアが変わって来たそうです。いずれも「眼」の医療に関わる分野でとはいえ、来る日も来る日も試験管や実験機器の相手をする研究者と、患者という一般市民と話をしながら治療方針を決める臨床医、そして投資を集め組織を作りビジネスをまとめるベンチャー経営者とでは仕事がまったく違います。普通は「慣れない世界に踏み込む」ことに躊躇するようなキャリアの変更をしてきたわけです。
まさしく、そう思います。私の場合は10年前に技術者から研修の世界へ足を踏み入れたのがそれでした。それ以前には「捨てる」というほどのキャリアは残せていませんでしたので、窪田氏とは比較になりませんが(^^ゞ、それでも慣れないことを始める前のためらい、始めてみて感じる戸惑い、そして新鮮さと、多くの学びといった感覚はある程度想像がつきます。
ここでいう「クロストレーニング」というのは、「まったく違う分野に挑戦することで、本業の方のブレークスルーを呼び起こすという考え方のこと」だそうです。
実際これはあると思います。違う領域ではそれぞれ違う技術が高度に発達しているもので、A分野ではあたりまえの技術がB分野では全然使われていないことがあり、両方を知っていると意外な強みになる、といったことがあるわけです。
ただ、「A分野の技術をB分野に応用する」と言っても、言うは易く行うは何とやら、実際やろうとするとA分野をちょろっとつまみ食いする程度ではなく、本気でやらなければうまく行かないのでしょう。
「本気でやる」というのも抽象的な言い方ですが、教科書を読んで真似をしてみるという程度ではなく、寝ても覚めてもそればかり考えていて、何度も試行錯誤を繰り返して独自の方法を開拓する、ぐらいであれば「本気」に入るでしょうか。
こういう「本気」を見せる人は、だいたいにおいて「優等生」じゃありません。ただしここでは「優等生」という用語を「親や先生の言いつけをよく守り、やれと言われた勉強をやる人」という意味で使っています。優等生タイプの人は「言われた勉強をしているだけ」なので、「寝ても覚めてもそればかり考えて、何度も試行錯誤を繰り返して独自の方法を開拓」なんてことはしません。そういうことをするのは、「自分の欲に忠実に生きている人」です。
優等生タイプは教科書をはみ出すようなことはしません。自分が何かをしたいわけじゃないので、「言われたことをやったらオシマイ」です。一方、自分自身で「こういう結果が欲しい」という欲がある人は、その結果を得るために何をしたら良いかを自分で考えて工夫するようになります。そういうことをやっていると、教科書に載っていることの意味も限界も見えてきて、他の分野に応用しやすくなり、「新しいことを実現する」ための問題解決思考のトレーニングにもなるのでしょう。
・・・と、↑この話は窪田氏がこう書いているわけではなく、私が個人的な経験から書きました。
なんにしても、そういう「自分の欲に忠実に生きている人」は、「飽きっぽい」とみられることがあります。私もそういうタイプと自認しています。「この道一筋40年」といった人間像をやたらともてはやす文化の集団ではこういうタイプは居心地が悪いときがあります。実際、私はあるとき、「開米さんはその仕事を始めたとき、それを一生の仕事にするつもりでしたか」と聞かれて、あまりにも予想外の質問だったのでしばらく意味が分からなかったことがありました。正直、「一生の仕事」という発想はありませんでした。いや、今はこれが面白いからやってるだけ、という感じだったので、ああ、世の中には「一生の仕事」というものにプライスレスな価値を見出し、それが人間として正しいあり方であるかのように賞賛する人もいるんだな、と始めて知った次第です。
ごめんなさい、私は単に自分の興味関心を追求しているだけなのです。その興味の対象が時によって変わるので、飽きっぽいとみられるかもしれませんが、それぞれその瞬間には真剣にやっています。
ちなみに今はツバメを撮るのにハマっていますね。とりあえず仕事には役に立ちませんが、これがなかなか奥が深いのですよ(笑)
(境川を飛ぶイワツバメ。 OLYMPUS PEN E-PL5 + BORG 71FL使用)
ずいぶん長くなってしまいました。肝心の本の中身をあまり書いていませんが、察してください。
「極めるひとほどあきっぽい」・・・なんだ、それでいいのか、やっぱりな。と、私にとっては勇気づけられる本でした。同じように「この道一筋40年」をやたらに重んじる価値観に息苦しさを感じている人にオススメです。
今日は、20代で学者、30代で医者、40代で製薬ベンチャー社長となり、全世界で1億2000万人の患者がいる「加齢黄斑変性」という病気の治療薬を開発している窪田良氏の著書「極める人ほどあきっぽい」の書評です。
それにしても、「極める人ほどあきっぽい」・・・タイトルだけで興味を引かれます。そうそう、そう思うよ、と言いたくなります。
著者の窪田良氏は、だいたい10年ごとに、キャリアが変わって来たそうです。いずれも「眼」の医療に関わる分野でとはいえ、来る日も来る日も試験管や実験機器の相手をする研究者と、患者という一般市民と話をしながら治療方針を決める臨床医、そして投資を集め組織を作りビジネスをまとめるベンチャー経営者とでは仕事がまったく違います。普通は「慣れない世界に踏み込む」ことに躊躇するようなキャリアの変更をしてきたわけです。
「思えば、ぼくは心の声に従ってジョブチェンジを繰り返してきた。それができたのも、それまでのキャリアをスパッと捨てられたからだ。ぼくはキャリアを捨てるたびに違う何かを得た。実感として、それまでの人生をきれいさっぱり捨てる勇気がないと、より大きな次の何かを究めることはできない」
まさしく、そう思います。私の場合は10年前に技術者から研修の世界へ足を踏み入れたのがそれでした。それ以前には「捨てる」というほどのキャリアは残せていませんでしたので、窪田氏とは比較になりませんが(^^ゞ、それでも慣れないことを始める前のためらい、始めてみて感じる戸惑い、そして新鮮さと、多くの学びといった感覚はある程度想像がつきます。
「何かの専門性を身につけている人は、意外と多趣味だったりします。好奇心と集中力を併せ持っているのでしょう。ぼく自身も興味の対象が広く、興味を持ったことにはチャレンジしていきます。
実は、自分自身が飽きっぽいとは思っていないのですが、飽きっぽいぐらいに好奇心が強くなければ、なかなかものごとを極めることが出来ないのではないか、とも感じています。数多くのことに挑戦し続けているからこそ、思考のクロストレーニングにつながり、結果的に道を極めることにつながっている――。ぼくは、そう思います」
ここでいう「クロストレーニング」というのは、「まったく違う分野に挑戦することで、本業の方のブレークスルーを呼び起こすという考え方のこと」だそうです。
実際これはあると思います。違う領域ではそれぞれ違う技術が高度に発達しているもので、A分野ではあたりまえの技術がB分野では全然使われていないことがあり、両方を知っていると意外な強みになる、といったことがあるわけです。
ただ、「A分野の技術をB分野に応用する」と言っても、言うは易く行うは何とやら、実際やろうとするとA分野をちょろっとつまみ食いする程度ではなく、本気でやらなければうまく行かないのでしょう。
「本気でやる」というのも抽象的な言い方ですが、教科書を読んで真似をしてみるという程度ではなく、寝ても覚めてもそればかり考えていて、何度も試行錯誤を繰り返して独自の方法を開拓する、ぐらいであれば「本気」に入るでしょうか。
こういう「本気」を見せる人は、だいたいにおいて「優等生」じゃありません。ただしここでは「優等生」という用語を「親や先生の言いつけをよく守り、やれと言われた勉強をやる人」という意味で使っています。優等生タイプの人は「言われた勉強をしているだけ」なので、「寝ても覚めてもそればかり考えて、何度も試行錯誤を繰り返して独自の方法を開拓」なんてことはしません。そういうことをするのは、「自分の欲に忠実に生きている人」です。
優等生タイプは教科書をはみ出すようなことはしません。自分が何かをしたいわけじゃないので、「言われたことをやったらオシマイ」です。一方、自分自身で「こういう結果が欲しい」という欲がある人は、その結果を得るために何をしたら良いかを自分で考えて工夫するようになります。そういうことをやっていると、教科書に載っていることの意味も限界も見えてきて、他の分野に応用しやすくなり、「新しいことを実現する」ための問題解決思考のトレーニングにもなるのでしょう。
・・・と、↑この話は窪田氏がこう書いているわけではなく、私が個人的な経験から書きました。
なんにしても、そういう「自分の欲に忠実に生きている人」は、「飽きっぽい」とみられることがあります。私もそういうタイプと自認しています。「この道一筋40年」といった人間像をやたらともてはやす文化の集団ではこういうタイプは居心地が悪いときがあります。実際、私はあるとき、「開米さんはその仕事を始めたとき、それを一生の仕事にするつもりでしたか」と聞かれて、あまりにも予想外の質問だったのでしばらく意味が分からなかったことがありました。正直、「一生の仕事」という発想はありませんでした。いや、今はこれが面白いからやってるだけ、という感じだったので、ああ、世の中には「一生の仕事」というものにプライスレスな価値を見出し、それが人間として正しいあり方であるかのように賞賛する人もいるんだな、と始めて知った次第です。
ごめんなさい、私は単に自分の興味関心を追求しているだけなのです。その興味の対象が時によって変わるので、飽きっぽいとみられるかもしれませんが、それぞれその瞬間には真剣にやっています。
ちなみに今はツバメを撮るのにハマっていますね。とりあえず仕事には役に立ちませんが、これがなかなか奥が深いのですよ(笑)
(境川を飛ぶイワツバメ。 OLYMPUS PEN E-PL5 + BORG 71FL使用)
ずいぶん長くなってしまいました。肝心の本の中身をあまり書いていませんが、察してください。
「極めるひとほどあきっぽい」・・・なんだ、それでいいのか、やっぱりな。と、私にとっては勇気づけられる本でした。同じように「この道一筋40年」をやたらに重んじる価値観に息苦しさを感じている人にオススメです。