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知識だけでは適切な判断はできない、けれど・・・・
»2011年4月 5日
開米のリアリスト思考室
知識だけでは適切な判断はできない、けれど・・・・
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
昨日の「知識は役に立つものなのか?」の続きです。
今から少し退屈な話をします。いや、少しじゃないかもしれないので、時間と興味のある方だけ、続きをご覧ください。ちなみに、内容はごく当たり前のことしか書いてないので、時間をかけて読んだら「損した!!」と思うかも知れないことをあらかじめお断りしておきます(^^ゞ
まずは下の図を見ていただきましょう。
たとえば露地栽培で野菜や花を作っている農家がいるとします。その人がある日の夕方、こんな判断をしたと思ってください。
「晴れそうだ」という情報のインプットを受けて、判断し、適切な行動というアウトプットをするわけですね。仕事というのはこんな「判断」の連続であり、適切な判断ができる人が、「仕事の出来る人」と言えます。
まあ、ここまでは何を今さらというようなあたりまえの話です。
それでは、たとえば「今から、初めて農業をやります」、というような初心者がいたとして、その人がこういう判断ができるようになるためには、何が必要でしょうか?
このシチュエーションでは、少なくともこんな知識が必要ですね。
(K1) 晴れた夜は冷え込みやすい
(K2) 急激な温度低下は作物を傷めてしまう
(K3) 適切な防寒対策をすれば低温による障害を防ぐことができる
では、
というと、残念ながら、「NO!」なわけです。
なーんていうタイプの勉強をしても、その知識は肝心なときに使えない、そもそも学校の勉強なんて役に立たないよね、というような声をよく聞きませんか?
知識だけあっても実際の判断には使えません。それは確かにその通り。
でも、それは
ということではないはずです。知識は最低限必要なものであって、それにプラスαがないと、実際の現場では適切な判断ができない、ということです。
ではそのプラスαとは何でしょうか?
答えは単純な話で、実際に「判断」をする経験を積むことです。
「覚えた」だけで判断が出来るわけはない以上、
実際にやってみて、
当然最初はうまく行かないので失敗して、
軌道修正をしてやりなおして、
という経験を積まない限り、「知識」は役に立ちません。
ここまでも、実際のところあたりまえの話です。私がここに長々と書かなくても分かっている方が大半でしょう。
問題のひとつは、「実際に経験を積むこと、積ませることが非常に難しい」ということなんですね。
そのため、これまでは「専門分野の細分化」が進行してきました。
と、これまでの社会はそういう方向で動いていたわけです。
しかし、今では「専門分野のことは専門家にまかせておけばいい」とは言えない時代になっています。現在進行中の原発事故関係の情報はその最たるもので、「専門家」の下す判断とその説明が国民に信用されない、という事態が起きてしまっています。
この状況で、必要なことは何なのでしょうか?
(続く)
今から少し退屈な話をします。いや、少しじゃないかもしれないので、時間と興味のある方だけ、続きをご覧ください。ちなみに、内容はごく当たり前のことしか書いてないので、時間をかけて読んだら「損した!!」と思うかも知れないことをあらかじめお断りしておきます(^^ゞ
まずは下の図を見ていただきましょう。
たとえば露地栽培で野菜や花を作っている農家がいるとします。その人がある日の夕方、こんな判断をしたと思ってください。
「晴れそうだ」という情報のインプットを受けて、判断し、適切な行動というアウトプットをするわけですね。仕事というのはこんな「判断」の連続であり、適切な判断ができる人が、「仕事の出来る人」と言えます。
まあ、ここまでは何を今さらというようなあたりまえの話です。
それでは、たとえば「今から、初めて農業をやります」、というような初心者がいたとして、その人がこういう判断ができるようになるためには、何が必要でしょうか?
このシチュエーションでは、少なくともこんな知識が必要ですね。
(K1) 晴れた夜は冷え込みやすい
(K2) 急激な温度低下は作物を傷めてしまう
(K3) 適切な防寒対策をすれば低温による障害を防ぐことができる
では、
この「知識」があれば適切な判断ができるのか?
というと、残念ながら、「NO!」なわけです。
「はい! ここ試験に出るからね!! 覚えておくように!!」
なーんていうタイプの勉強をしても、その知識は肝心なときに使えない、そもそも学校の勉強なんて役に立たないよね、というような声をよく聞きませんか?
知識だけあっても実際の判断には使えません。それは確かにその通り。
でも、それは
「知識なんかなくても適切な判断ができる!!」
ということではないはずです。知識は最低限必要なものであって、それにプラスαがないと、実際の現場では適切な判断ができない、ということです。
ではそのプラスαとは何でしょうか?
答えは単純な話で、実際に「判断」をする経験を積むことです。
「覚えた」だけで判断が出来るわけはない以上、
実際にやってみて、
当然最初はうまく行かないので失敗して、
軌道修正をしてやりなおして、
という経験を積まない限り、「知識」は役に立ちません。
ここまでも、実際のところあたりまえの話です。私がここに長々と書かなくても分かっている方が大半でしょう。
問題のひとつは、「実際に経験を積むこと、積ませることが非常に難しい」ということなんですね。
そのため、これまでは「専門分野の細分化」が進行してきました。
「経験を積ませるためには時間とお金の両面でコストがかかる。多くの人間に幅広い経験を積ませることはできない。そこで、分野を限定することで、その分野についてはプロフェッショナル、と言える専門家を育成しよう。
と、これまでの社会はそういう方向で動いていたわけです。
しかし、今では「専門分野のことは専門家にまかせておけばいい」とは言えない時代になっています。現在進行中の原発事故関係の情報はその最たるもので、「専門家」の下す判断とその説明が国民に信用されない、という事態が起きてしまっています。
この状況で、必要なことは何なのでしょうか?
(続く)