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自分に力が無いなら無いと自覚して、人の力を借りるべき

自分に力が無いなら無いと自覚して、人の力を借りるべき

開米 瑞浩

社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。

当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


 実話ですが、単に教訓を得ればいい話で、個人名を書く意味はないのでイニシャルで書きます。

 昔々(というほど昔でもありませんが)、ある空港で、1人の日本人の音楽家が怒っていまいました。
 Nさんというその人はアフリカ出身の別な音楽家Bさんをフランスから日本に呼び寄せてコンサートを開き、成功させ、Bさんとともにフランスへ戻ろうとしているところでした。
 しかし、いざ飛行機に乗ろうというときにトラブル発生。

    航空会社:この荷物は搭載できません

 困ったことに、Bさんの楽器は大きなものだったので、サイズも重量も、無料で預けられる荷物の制限を超えていたのです。
 でもNさんは納得が行きません。
 今まではどの航空会社でもOKだったんです。日本に来るときも追加料金無しで載せてくれたのです。
 時にはBさんの楽器をコックピットに載せてくれた会社もありました。
 でも今回はダメだという。納得が行きません。

 どうして? どうして? どうして? なぜこんな理不尽な対応をされなければならないのでしょうか。この会社にはヒューマニティがないのでしょうか。すべてはお金でしか解決できないのでしょうか。
 あんなに素晴らしい演奏をしてくれたBさんへの、日本人からの贈り物は 愚弄 でした
 ・・・というわけですが、まあ正直Nさんそりゃまずいよと思うわけです。

 規約上は航空会社の「搭載拒否」というのは完全に正しい行動で、それを責めることはできません。
 「今まではどの航空会社でもOKだった」というのも事実でしょうが、それは現場の裁量で黙認されていただけのことで、旅客の側からそれを権利として求めるのは筋違いです。
 まして、「コックピットに載せてくれた会社もありました」・・・ってアナタ、私が航空会社のセキュリティ担当官だったらそんなことを許したパイロットは厳罰ですよ厳罰

 どう考えてもそれは「今までは相当に多くの人の好意で便宜を図ってもらっていた」わけで、それが認められないのがおかしい、「日本人はBさんを愚弄しているのか!」と怒るような話ではないですね。

 結局Bさんの楽器は載せられず、Nさんはこの後、「お金もなく、コネもない、個人招聘の不甲斐ない私を許してね」とBさんに詫びているのですが、そのメッセージを見て私はちょっと気が滅入りました。

 Bさんはアフリカの音楽家で、それがフランスで活躍しさらにはトルコに韓国に日本で、と海外公演まで出来るようになった、それまでには大変な苦労があったことでしょう。それでも行きも帰りもエコノミーで、楽器を載せるための追加料金も節約せざるを得ないぐらい、まだ経済的には厳しい状態なのでしょう。

 だからといってNさんが「今回は現場の裁量で黙認してくれなかった」ことを非難するのは筋違いすぎるわけです。まして、「日本人はBさんを愚弄しているのか」のように、「倫理的に間違っている、という非難を」「日本人、に範囲を拡大して」するのは根本的に間違っていると言わざるを得ません。

 でもまあ気持ちはわからんでもないというか・・・・

 Nさんの件の記事を読んでいるうちに、飛行機に関するものではありませんが、私は学生時代の経験を思い出しました。あるマイナーなテーマのイベントを学祭で開催するため、会場争奪戦の割り振り会議に出たときのこと、自分が交渉下手でろくに喋れもしない上に超マイナーな分野だから集客力も見込めず誰も配慮してくれないという状況で、何やら迫害されているような気分になったものです。

 そういえば「タッチ」というマンガの1エピソードで、ボクシング部の部長が野球部の部長にある要望をされる場面で、「いつもいつも野球部ばかり優遇されやがって気にいらねえ。断る!」というシーンがありました。そのボクシング部部長の気持ちがわかるというかなんというか。

 でも実は、マイナーならマイナーで、力がないならないでそれを逆に武器に出来るときもあります。

 私がNさんの話を聞いたとき疑問に思ったことがありました。

    Nさんは事前に航空会社に協力を求めただろうか?

 ということ。
 幾多の苦難を乗り越えてきたアフリカの音楽家が民族楽器を使ったコンサートを日本で開催します、ついては行き帰りの運搬に便宜を図って欲しい・・・・というような話、事前に交渉しておけばなんとかなったかもしれない・・・・と。別にスポンサー費を出してもらうわけじゃなく、単に「通常のサイズ・重量制限をちょっと緩和してもらう」だけの話なんですから。

 もちろん、個人と大企業の交渉じゃ分が悪いし限りなく手間がかかるし、最初から相手にされない可能性も高いです。でも、やってみる価値はある。Nさんがそれをやったのかどうかは、わかりません。

 逆に自分がNさんの立場だったとして、やったかどうか、を考えてみると、いまの自分だったらやると思います。でも、20年前の二十歳そこそこのころだったらやらなかっただろうという気がします。
 20年前だったらやらなかっただろう、と思うのはなぜかというと・・・・その頃の私はそれこそ「世の中から迫害されているような意識」に毒されていたからですね。
 かなり長い間、私は「お金もないしコネもない、自分には力がない」という鬱屈した心理状態で生きていました。その時期に、「こういうイベントをやりたいんです。でも、お金がありません。なんとか便宜を図っていただけませんか」・・・と、人の力を借りにいけたかどうか。
 ・・・まあ、無理ですね。たぶん。
 それをするには、「自分には力がない」ことを認めなきゃいけないので。
 それを認めてしまえば素直に人の力を借りにいけますが、「いや俺は弱くない」と思いたいときにはそんなこと、できないのですよ。コンプレックスを刺激されるから。

 でも実際には弱者には弱者の戦略というものが成り立つわけです。世の中には、人に力を貸したいと思っている人は大勢います。そんな人から助力を得るためには、「私の力ではできないので、あなたの助けが必要なのです」ということをはっきりさせなきゃいけない。間違っても、「便宜を図ってくれて当然であって、それをしてくれないなんてひどい」と非難しちゃいけないわけです。

 Nさんも困ったことをしたもので、Nさんのこの事件はかえって事態を悪化させる恐れが十分にあります。航空会社にとってみれば「Bさんの荷物運搬に便宜を図ってきた」のは、それこそBさんが「アフリカの民族楽器を使った音楽家」という、まさしく弱者だったからこそ好意で行ってきたことである可能性が高いでしょう。
 そうして今までは現場の好意で会社の規約を超える便宜を図ってきたのに、あるとき規約どおりの運用をしたら大声でごねはじめ、非難された、となったら・・・・

    めんどくさいから今後は規約を厳格運用すること

 になる可能性は十分にあります。「コックピットに乗客の荷物を載せた」なんておおっぴらに書かれたら黙認しておくわけにもいきませんし。そうなると今後はかえってBさんだけでなく、同じような立場のミュージシャンの負担を増やすことになりかねません。

 弱者には弱者ならではの主張の通し方というものがあるわけで、そのかなりの割合は「人の好意」に依存します。であれば大事なのは感謝であって非難ではない、ということをあらためて感じる事件でした。