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Facebookをやめたら世界が変わった
風を切って走る!走る社長の軽快ブログ
Facebookをやめたら世界が変わった
社長業5年目です。接客、営業の仕事をしております。趣味は体を鍛えること、読書、ドライブ、漫画です。自由に生きましょう!
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こんにちは! みなさま、Facebookをやっていますか? 私も3年前くらいにハマって、毎日たくさんの交流をしてきました。でも、今はやっていません。1か月程前にやめてしまったのです。
Facebookをやめた理由
・「なんかおかしいな」と思ったから
・元々人目を気にして動いてしまう私の性格上、どんどん自分らしさが失われてしまうから
・友達を大切に思う人間らしい気持ちがどんどん失われてしまうから
Facebookには「利用解除」と「削除」の2種類がある
・「○か月お休み」という方法がとれる「利用解除」はとても便利
・「この仕事に集中する間だけSNSはお休み」という事が簡単にできる
・「削除」ほど大げさに感じずにSNS断ちをすることができる
さて、私はFacebookが嫌いだったのか? 答えはノーです。結構好きでした。ただ、私の性格的に「なんかおかしい」と思ったものを自分の生活に残しておくことが出来ないのです。
人にはそれぞれ性格があって、性質があって、得意なことがあるはずなのです。それがあの場では「正しいこと」を発言するように無意識に修正されてしまっています。例えばニュースについて書く場合、まだそのニュースについて未熟な意見の場合は「発言しない」という選択肢が出てくるわけです。
「正しいか」「自分らしく発言できているか」「未熟・稚拙な意見になっていないか」常にこういうことを気にしながら発言していくわけです。
それが自分を成長させてくれるという意見もあるかも知れませんが、なんというか「人生の縮図」みたいになっていません?(笑) 私の発言は稚拙、とか人目を気にしたりとか、もうそのまま人生の縮図じゃん! と。
「高校野球見なきゃ症候群」と言うと少し伝わるでしょうか? 私は母校が女子高の為、高校野球を応援する習慣がありません。社会に出るまで、そういうものがあることすら、よく知りませんでした。でも、社会に出るとみんなどこかの高校を応援している。仕方なく自分も「ここにするか」と応援する高校があるフリをして何となく見る。結果を言い合って無意味にテンションを上げる...。
翻って、本当に興味のある事以外に時間を割くほど人生は長くありません。Facebookのタイムラインを追い続けると、弱い私の心は「みんなの話題」についていこうと必死になり、とうとう発言しているはずの「私」はどこにもいなくなってしまったのです。簡単に言うと、私はbotになったのです(笑)
botとして生きるつもりなど毛頭ない私は(そもそも誰のbotだよ!)、「ぼっち」になることを選んでみました。自分で考えて、正しかろうが間違っていようが、自分の意見を大切にする。感じたことをそのまま話してみる。趣味にどっぷりハマってみる。好きな事を好きなだけやる。孤独上等!
Facebookの第二の弊害は「人間関係自慢」にあると思いました。これは地味に打撃が強いです。ここだけの話ですが、同業他社の方々の人間関係が、もう丸見え(笑) 「見せているんだ」と言われればそれまでですが、ガラス張り経営とはまさにこのことか! と思いました。現代社会におけるガラス張り経営。
私もそこまでやれればいいのでしょうけど...
それをやろうとすると「会う価値のある人」と「会う価値の無い人」を分ける自分がいました。この感情に気づいたとき、とっても怖かった。何やら触れてはいけないものに触れた気がしました。何のための人生なんだろう? 人に誇れる歴史を残すため? 今この瞬間の自分に満足するため?
そもそも人と人は魂レベルでは平等というのが私の心からの意見です。どうすればこの平等の概念のままで現世をうまく生きていけるのかが今一番の命題です。
そう考えた時、自分の目の前に別の道が開けた気がしました。人とは何か、心とは何かをしっかり勉強しなくてはいけない。何も知らずに知っている気持ちになってはいけない、と。
誤解を招いてしまうといけないので最後に書きますが、けしてFacebookが悪いと書いているわけではありません。上手に活用して人脈を広げている人もいますし、有意義なタイムラインを自分で作って行ける素晴らしいツールだと考えています。どの場にいっても「自分」を失わない人なら大丈夫です。
私はもうしばらくお休みするつもりです。
「ほとんどのものは、無ければ無いで生活は成立する」を痛感しております。
では、またお会いしましょう!