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都青少年健全育成条例可決に思う〜1〜
腐女子という市場(マーケット)
都青少年健全育成条例可決に思う〜1〜
40代、仕事を持った腐女子。 某ジャンルにハマり09年夏に初めてコミケという場所に赴く。 さらに同人デビューを画策、悪戦苦闘の日々。
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文学界で、吉本ばななが「キッチン」を発表し衝撃を与えた時、
少女漫画を読んで育った私には、
なぜあの小説がそれほど衝撃的なのか理解できなかった。
同年代の友人は、「キッチン」に熱狂する(漫画を読まない)妹を見て、
「え? だってこれ、ようするに大島弓子じゃん」と思ったという。
大島弓子の漫画「バナナブレッドのプデイング」と
吉本の「キッチン」の物語世界には類似点がある。
小説家による漫画へのオマージュやリスペクトといったものが感じられた。
少女漫画に親しんだものにとって、吉本ばななの衝撃は
「大島弓子的な世界観を小説に翻訳してみせた」こと、そして
「漫画は小説家からリスペクトされる価値のあるものである」と
明らかに示したこと、にあったのだ。
アーティストの村上隆が、アニメキャラ風のフィギュアをかたどった
「彫刻作品」を発表して議論を巻き起こす前に、
オタクたちは自らの審美眼で「作品」を愛好していた。
村上のやったことは、フィギュアというものをアートに変換しただけのことだ。
ライトノベルと呼ばれているものは、児童小説からの派生かもしれないが、
印象としては「漫画的な物語世界を活字に変換したもの」である。
そして、その文学より下に見られているライトノベルの作家が
小説を書いて評価される等、ライトノベルと小説の境界は曖昧になってきている。
映画界を見れば、優れたアニメ映画より出来の悪い実写映画はいくらでもある。
今、表現形態と作品の優劣にはなんの関係もない、と言っていい。
漫画やアニメは、文学、アート、映画等の各分野と互いに影響しあい、
それぞれにフィードバックしつつ文化全体を発展させる推進力にもなりつつある。
(さらに、経済的にも無視できない状況だ
それを今更「漫画やアニメは小説や映画に劣るもの」
という発言をすることは
「私は現在の日本における文化状況が
全く把握できない恐ろしく遅れた人間です」
と宣言するのに等しいのだが、
その「文化的愚か者宣言」を
文化人あがりの都知事と副知事が
なんの恥じらいも無く言ってのけたのには唖然とした。
東京都の「青少年健全育成条例改正案」を巡る論議の中で、
私がもっともめまいを覚えたのは
不用意な発言で明らかになった都知事や副知事等、
現状認識のできていない人々が文化を左右する現状である。
解らないことは解らないまま放っておいてくれないか、と切実に思う。
自分が理解不能だから下等なもの、というのは文化人のはしくれなら
あるいは、表現者なら、
言ってはならないことだろう。
ことは好き嫌いの問題ではないのだ。
(これは、仲違いしている、嗜好を別にする規制反対論者たちにも言える